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ショートストーリー

86
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2023年9月の記事一覧

馬が走るには理由が必要。

馬が走るには理由が必要。

悲しそうな男の顔を横目に、タバコに火をつける。
数日前に仕事を頼みに来た男は、「覚悟はできましたから」と言っていた。
その気持ちは分からなかったが、今日の気持ちは理解できる。

タバコを消してから、マスターに視線で帰りを伝えた。
席を立つ。
恋人が死んだのだ、そのくらいの顔をするかと背中越しに思った。

「頼まれた仕事は終わらせる」とだけ言って店の外に出ると、雨は上がっていた。澄んだ風が静かに、星

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偽ったつもりはなく、だた静かに歩く。

偽ったつもりはなく、だた静かに歩く。

森の嫌われ者だった。

あまり話すのが好きではないし、自分の縄張りに出入りされるのも誰かと一緒に過ごすのも得意ではないらしい。
その体は大きく、守られる者からしたら頼もしいと感じるのかもしれないが、それ以外のものが感じるのは恐れだった。
怒りをぶつけることも無かったし、愛想笑いをしたこともなかった。
ただ眉間にシワを寄せ、遠くから眺めていた。

でもそれは、そう誰かが言っただけだった。

虎が一匹

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湿り気のある土地

湿り気のある土地

窪んだだけの湿地がある。
その半分はブロッコリーの森林地帯で、残りの部分はなんだか割らない粘着質のソースのような沼が広がっている。

沼は臭い。
「独特な匂いがする」と好意的な印象で言い表す者もいるが、現実は臭い。
触れると何日も匂いは取れないし、色だって染みつく。
そして沼は森林と共存などしておらず、次第にブロッコリーの森林は、「森林」とはとても呼べないような寂しい姿にしていった。
いまでは湿地

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暇だったから、ただ暇だったから。

暇だったから、ただ暇だったから。

無数の花が咲く花畑を、その人は、丘の上のベンチから眺めていた。

この中に四つ葉があるのだなと思うとすこし幸せだし、なにがあるか見えない深海の底には、恐れと好奇心を連れてくる。

その人は、靴ひもが片足だけほどけているのに気が付いていたが、そのままにしていた。

シャボン玉を吹くように息を吐く。
ビーチの砂利の大きさをバラバラにするために風を吹かせた。
それと同時に、何かの火が幾つか消えた。

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双子座のジレンマ

双子座のジレンマ

自分がもう一人ほしい。
自分がもう一人いれば。

分身と変身、このふたつを同時に実行するには・・・・・・。

バーチャルとリアル。
夢と現実。
おはようとバイバイ。
想像と盗み。
ファッションと衣装。
演技と嘘。

毎日当たり前に繰り返しているのにコントロールできないのは、練習と訓練の問題なのか・・・・・・。

必死さが足りないのか。
それともストレスが無駄なブレーキをかけているのか。

少なくと

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蚊帳の外だっていいじゃない、蚊じゃないんだから。

蚊帳の外だっていいじゃない、蚊じゃないんだから。

その日は男にとって、何の変哲も無い日になる予定だった。
仕事終わりのホームには、先週も見た景色。予定の無い週末の景色。
電車も行先は決まっている。
窓を見ながら、睡眠欲と食欲はある方が健全な印象がするのに、物欲だけは違うのはどうしてだろうと考えていた。

ただの偏見なのかもしれないが物欲があるんだというと、見栄っぱりでだらしのない浪費家をイメージする。「わたしは物欲がある人が好き」と友人に言ったら

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恐らくは報われない。

恐らくは報われない。

なるべく息を殺して走った。
夕方。カラスが鳴くには早い時間だが、ひとりで外にいる男の子には十分に罪悪感のする時間帯だった。
それでも走った。家とは関係のない方向へ走っている。

走るのなんて得意でもなんでもないが、草むらの中を進むと一度振り返ってから直感的にその場にしゃがんだ。
役目を終えたようにくたびれた色をした雑草は、頬のあたりまで背伸びしてくれている。

虫の声が、うるさい。
そして、それよ

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得意、不得意。

得意、不得意。

肺に空気をためて移動するのが得意な動物と、脳に記憶をためて移動するのが得意な動物を見たことがある。

と、テーブルの向こう側に座る友人が話している。
話すのはいつも彼で、なぜかぼくはいつもそれを聞いている。
彼とぼくが話すようになって、どれくらい経つのだろうか。それより、彼は友人なのだろうか。

だけど、彼の話はいつも突飛でおもしろいから聞いているのは悪くないのだけれど、何だかすこし申し訳ない気に

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いつもの席で、いつも二人で。

いつもの席で、いつも二人で。

「優しさにすら傷付くような弱い人間だから」そう言ってから、彼女は美味しそうに注文したパスタを食べはじめた。
そんなことを自ら口にするような人は本当に弱いのか、と頭をよぎった。
でも弱っている可能性はあるか、と思い直して「そうなんだ」といつもの相槌をかえした。
彼女は時々、こんな風にボクを食事に誘って、いや、ボクを食事に誘ってではない。彼女の食事にボクを誘う。
そんな彼女を、頭ごなしに否定できないボ

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雨からは傘が守ってくれるのに。

雨からは傘が守ってくれるのに。

買ったばかりの小説が、残りのページ数を減らしながらクライマックスに向かっていく。
コーヒーショップの端の方に座り、わたしは小説を読んでいた。
グラスの中のアイスコーヒーが減り、溶けた氷のだけが抵抗いている。

いつのまにか、わたしたちは定期的に数字を確認しないと生きていけなくなってしまった。それは、何故かわからない。
この国では聞いたこともない依存症の名前がピョコピョコ顔をだす。だけど、ここは少し

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