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殺される言論~安倍晋三元首相の暗殺と宮台真司氏の襲撃と杉田水脈議員への脅迫事件と~

2022年(令和4年)7月8日  

日本国において憲政史上最長の政権を担った安倍晋三元首相が、銃撃によって暗殺された。

安倍氏は   一部’’独裁者’’ だとか ’’ファシスト’’ だとか罵る者もいるが  言論と民主主義によって政治を動かし、だれよりも(本来の意味での)’’リベラリズム’’ を愛し、だれよりも日本のために働かれた方だ。

心からの感謝を申し上げるとともに、ご冥福をお祈り申し上げる。

安倍さん、ありがとうございました。

そして、2022年11月29日。

東京都立大学の構内において、社会学者の宮台真司氏が何者かによって刃物で複数回切りつけられ、重傷を負わされた。

2022年12月10日現在、残念ながら犯人逮捕どころか、被疑者の特定にも至っていないようだ。

当然ながら犯人の動機は不明であり、所謂いわゆる「だれでもよかった」という無差別な通り魔である可能性も否定できない。

しかし、通り魔であるなら、わざわざ若い男性が多く集まる  取り押さえられる可能性の高い  大学を選ぶことはあまりに合理性に欠けており、襲われた対象が宮台氏であることから、私は宮台氏を狙った犯行である可能性が高いのではないかと思う。

私個人としては、宮台氏に対してあまり良い印象をもっていない。

しかしながら、「言論に暴力で対抗する」というのは、およそ文明人のやることではない。

そんな輩は、国民情緒法を採用している何処ぞの半島へでも行けばいい。

仮に宮台氏の襲撃事件が宮台氏を狙ったものであったとしたならば、「リベラル」や「左翼」の責任は大きいだろう。

安倍元首相が暗殺されてからというもの、安倍氏の死を笑い、祝い、犯人であると思われる  背後に何かしらがいたとしても暗殺に関わっていたことは事実である  山上徹也容疑者を擁護し、崇め、暴力によるテロリズムを肯定してきたのだから。

そして、安倍晋三元首相の暗殺が仮に山上容疑者の単独犯行であるとするならば、これまたその責任は「リベラル」や「左翼」、「メディア」によるところが大きい。

週刊誌レベルのソースをもとに口汚く安倍氏を罵り、似顔絵を焼き、破き、安倍氏を模したマスクを重機で轢き潰すなど、「アベには何をしてもいい」という空気を作り上げてきたのだから。

それでも法に訴えなかった、安倍氏の寛大さに甘えて。

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私はできた人間ではないので、特定の言論に対して「殺してやりたい」と思ってしまうことは理解できる。

というか、私自身が、特定の言論を行う者に殺意を抱くことが少なくない。

しかし、先ほども述べた通り、言論に暴力で対抗するのはおよそ人間のやることではない。

内心でなにをどう思おうが自由である  日本国憲法第19条「思想・良心の自由」  が、他者に危害を加えること  不法な有形力の行使(暴行罪や傷害罪、殺人罪などに該当する)  は、文明国家である日本において認められていない。

私が支持していた安倍元首相への暴力はもちろん、私が好感を抱いていない宮台氏への暴力も、決して認められない卑劣な行為である。

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このような「言論に対する暴力」が蔓延してしまえば、その社会において ’’言論’’ は抑圧され、人々は萎縮してしまう。

社会を変える力を持つものは2つ。

「言葉」と「暴力」だ。

強力な力を持つ言葉を操るオピニオンリーダーか、強烈・苛烈な暴力によってしか社会は変わらない。

言論に対する暴力が蔓延はびこる社会において、言論は萎縮する。

なぜなら、「言論とは、だれかを傷つけ、だれかに恨まれる行為」であるからだ。

もちろんだが、多くの言論は「だれかを助け、だれかの背中を押し、だれかを喜ばせる」ことを目的としている  と信じたい  

しかし、だれかが好意的に受け止める言論は、その反対に位置する者の反感を買う。

そして、好意的に受け止めるパワーが大きければ大きいほど、嫌悪するパワーも同じく大きくなる。

振り子と同じことである。

ポップな例で言えば、「きのこ / たけのこ戦争」が挙げられるだろう。

ちなみに私はきのこ派なので、たけのこ派とかいう味覚音痴は殲滅せんめつすることにしている。

冗談はさておき、言論に対する正負のエネルギーは表裏一体だ。

配慮に配慮を重ねた、当たり障りのない言論に価値などない。

そんな言論は、なんの役にも立たない。

薬はときに毒となり、毒はときに薬となる。

社会を変えるのは、’’毒’’ もしくは ’’薬’’ である「言論」だ。

それを「暴力」によって封じ込める社会は、はたして望ましい姿であると言えるのだろうか。

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’’言論’’ とは、「言語や文章によって思想を表現し発表すること」であるとされている。

私は「言論人」と言えるほど立派なものではないが、「言論を扱い、武器とする者」であることには変わりない。

私は未だ殺害予告を受けたり、襲撃されたりしたことはないが、悪口や罵詈雑言のリプライは日常的に飛んでくる。

誹謗中傷だって日常茶飯事だ。

かと言って傷つくこともなく、また己の言論を萎縮させるつもりもないので、いつか襲われ、いつか殺されるのだろうと覚悟している。

とくに、私の政治的立場は「右派」に分類されるので、私に反感を覚え憎悪を向けてくる主体は、根本的に暴力的な傾向にある「リベラル」や「左翼」なのだ。

このような。

畳の上で死ねるなどとは毛頭考えていない。

どこかでやっつけられてしまうのだろう。

私はマゾではないので、進んで恨みを買ったり憎まれたりしたいわけではないが、右派として闘う以上は仕方がない。

「なにか変えたいものがある」から、人は言論を世に送り出すのだ。

私は日本を変えたい。

戦後の教育やメディアによって歪められてしまったこの日本を、真っ直ぐ芯の通った、世界最古、皇紀2,682年の歴史に恥じない、誇り高き本来の姿に戻したい。

言論を武器に闘うのであれば、だれかを傷つけることもあるだろう。

だれかに憎悪を向けられることもあるだろう。

だれかに暴力を向けられ、命を奪われることだって充分に考えられる。

だからなんだというのだ。

それが怖くて小便をチビるようなら、言論なんてやめてしまえ。

黙って表舞台から消えればいい。

私は日本男児として生まれ、日本に育てられた以上、己の言論を磨き、日本に恩を返す。

血みどろになったとしても、筆を握り続ける。

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私は自身への誹謗中傷程度はブロックや放置で済ませるが  いちいち法的・物理的な処理などしていられない  私の周囲の人間へ矛先が向けられた場合や、私の名誉を著しく毀損する明らかなデマ(「國神貴哉は暴力団関係者である」とか、「國神貴哉には前科がある」とか)があった場合などについては、一切の遠慮をすることなく、然るべき手段によって、全力をもって叩き潰すのでそのつもりで。

私の守るべき対象に危害を加えた場合と、実害が発生した・発生が予測される場合は、その罪の重さを身をもって理解していただく所存である。

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P.S. 杉田水脈衆議院議員が、「言論に対する脅迫」を受けている。

言論には言論で対抗しろ、卑怯者。

言論に対して暴力を持ち出すならば、それは「私は相手に言論で勝つことができません」と、敗北宣言をしているに等しい。

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P.S.②

2023年4月15日、「殺される言論vol.2〜リベラル左翼とメディアの罪・岸田首相の暗殺未遂〜|Z世代、20歳から見た政治」を公開。

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