![マガジンのカバー画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/49038418/7333b72e1e07841735e5b15a3ca8dc68.jpeg?width=800)
- 運営しているクリエイター
2023年7月の記事一覧
どうしたら「自己満足」を「満足感」にできるだろう?
自分にとっての「完璧」と
他人からみた「完璧」は
違う場合も多いものだ。
「自分基準」を採用している、
ってその時点で、
「完璧目指しているっていうこれもまた
一種の自己満足なのかも?」
って視点は
常時持っていた方がいいんだろうな。
かといって、まあ、
そんな「自分基準」を
何かしら設けないかぎり、
「完璧」なんてあり得ないわけで。
例えば掃除。整理整頓。
「更なる完璧」を追求すれば
追求
精神の「金満主義」に陥ってないか
働く意味とか、
行動する目的とか、
「全てがお金基準・お金中心」
っつーのは、
どうも抵抗があるし。
確かにお金は大変便利なもので、
「ほとんど何でも」
買えてしまったりするのは
事実かもしれないけど、
でも、それで
「何でも買ってしまえ!」
って思考回路になるのにも
また抵抗がある。
(「お金で買っちゃいけない」
あるいは
「そんな高いお金出して
買うべきじゃない」
そんなものもある、というこ
「素直」に「正直」に
たとえば、
大林宣彦監督とか
市川崑監督とかの映画を、
初めて見たのが幼少期で
よかったと思う。
大人になってからの初見って、
どうしても
「どうやって撮ったんだろう」とか
「何を狙ったんだろう」とか
考えてしまうし、
場合によっては
「何故この映像は印象的に見えるのか」
とかまでわざわざ考えちゃう。
――ま、
大人になってからのそういう
所謂「分析」は、
それはそれで
大人になった今しかでき
「好い加減」で「適当」に
「ベストを尽くす」 とか
「完璧を目指す」とか
そう意識することって、
自分にとってはあまりいいことないなー。
プレッシャーがかかり過ぎちゃって。
「ガンガン失敗してガンガン試そう!」
みたいに
意識的に軽いほうへ軽いほうへ
考えるほうが(自分の場合は)いいみたい。
「無意識に」且つ
「自分で自分に」やっていることって、
その存在の大きさとか重さに
気づきにくい。
(自身の体重とか体の大きさ
「青い鳥」と「クローバー」
「青い鳥」を、
見つけて捕らえて
自分だけの鳥籠に入れて
……っていうことよりも。
もしかすると。
「青い鳥」を、
探して、さすらって、
旅している時間の方が、
もしかすると
自分は好きなのかもしれん。
と、
ふと思った。
(こうして私の徘徊癖は、
一生治ることがありませんでした。
めでたし、めでたし。笑)
そう、
四つ葉のクローバーは
なかなか見つからないからこそ
「幸せの」四つ葉のクロー
「本当に大切なこと」から、何なら「それだけ」を。
「本当に大切なことから順に、
――いや、何ならそれだけを
大切にすればいい。」
と、そう決めてしまえば、
何だかラクだと思った。
だって、
「本当に大切なこと」って、
自分の場合は
そんなにたくさんないし、
そうなるとほとんどのことは
まあ(言い方は悪いけど、笑)
テキトーでよくなるし。
――ああ、楽。
もう、どんどん楽になろう。(笑)
で、
せっかくなので、
そのたっぷり目の「余
「まずは言わないでおく」という「沈黙癖」
「なるべく人の意見を尊重し、なるべく自分を殺して自分の意見をひっこめて」みたいな。
「とにかく何でもかんでも『迎合』しましょう、 それが人として正しい」みたいな。
――そんな「しつけ」を、ずーっと、子供のころからされてきた気もまたする。
わがままや、自分を何が何でも押し通して他人をまったく受け入れないみたいなのは、 確かによろしくないし、またみっともないとも思うけど。
でも、「とりあえず一
「他者の幸不幸」と「自分の幸不幸」との関連性
「その人が幸せになったからといって私が不幸になるわけではないし、
その人が不幸せになったからといって私が幸福になるわけでもない。」
と、思えている状態の方が、どう考えても幸せだと思うのだが。
……なーんか知らんが、「これの逆」になる人を、時々見かける気がする。
と、いうか。
いや、自分自身、「これの逆」を思ってしまったことが、かつてあったり?なかったり?
(いや、ここは正直になろう。
―
「心が入ってない自分」をわざわざ自分で作りだしていないか
「うさぎ跳び精神」からの脱却をはかりたい。
「苦しい思いをする。苦しければ苦しいほどいい。」 =「力がつく」 ではない。
「苦しい思いをしたから力がつく」わけではないのだ。
――思い起こすに。
一部の学校の先生や、 あとぶっちゃけ、うちの親も、 そこらへんよくなかったと思う。
なんか、「苦しむ」=「努力」というように、子どもの頃から、度々周りの大人たちに刷り込まれてきた気がするのだ。
も