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「無駄」こそ「ただの無駄」にするべからず
「人は持っているのに、自分は持っていないもの」が欲しくなるというのは、ある意味、自然な心の動きなのかもしれない。
――いや、そうなのだとしても。
他人の持っているものをうらやむような事は、 なるべく、「意識してでも、」 やめるようにしようとこの頃よく思う。
「自分が」本当に欲しいもの。――それは いったい何だろう?
「人をうらやんでいる」そのせいで、それがわからなくなってしまったら、 元も子もない。
本当に欲しいものは、既に手にしている事も多いのだ。
しかし、既に手にしているばかりに、それが自分にとって欲しかったもの (手放したくないもの)であるという事を、忘れてしまっている事もまた多い。
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そして。
無駄な事をすると、「あー、やっぱりこれは無駄だったか。」 と、確認できるので、 人生に無駄はない。
(……って事に、 せめてしておいておくれ。笑)
でも、真面目な話。
「損した」経験ならば、それは未来に向けての「学習」――「役立てる」「参考にする」ようにしていかないと、その「損」はただの「損」のままで終わってしまう。
「無駄」こそ、「ただの無駄」にしてはいけないのだ。