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随筆(2021/1/1):謹賀新年を兼ねて、年始のご挨拶

1.ご挨拶

あけましておめでとうございます。

2.去年果たしたこと

2_0.去年果たしたこと

去年は39から40になる人生の節目であり、この歳になってなお成長する、価値観レベルで変わるところがありました。
(39から40になって、まだ成長がどうとか言ってるのか。ガキでは?)
(えー。39から40になって停滞するよりマシでは? 停滞、あることだけど、避けたいっすよ)
(いい大人は停滞も呑み込むんだよバァカ)
(そうでっか。いい大人になれてない俺は、そこまで行けてないし、そこまで行けるように今こうして頑張っている訳ですよね。そこで茶々を入れるやつ、何も分かってないんだから、すっこんでろよタァコ)

主な成長ポイントは、以下の通りです。

2_1.サウナで「ととのう」スキルを身に着けた

おっさんになった! (顔を覆う)

いや、実際、重要な回復手段ですよ。
心身が参っていると、そのまま寝ても、眠れないんです。
その前にほぐす方法として、サウナ、いいやり方ですよ。

トイレ行って、体と頭と顔を洗って綺麗にして、風呂入りながら爪を揉んで心身を少しほぐして、水をたらふく飲んで。
サウナ5分入って人為的に血管を拡げ、水風呂1分入って一瞬人為的に血管をシメて、椅子寝10分キメて自然に血管を拡げ、ひたすら何も考えずにリラックスし、何なら爪を揉み、呼吸法をする。
これを3回繰り返すと、3回目頃に、お湯の音と呼吸と心拍が心身に大きく響いて来る瞬間がある。そうなると、不思議な安らかさがもたらされていることに気付く。
この状態で20分でも30分でも椅子寝していられる。(30分寝てると椅子を占領していることになるから要注意だ)

心身が摩耗するほど面倒な仕事がやってくるんですよ。
そういう状況下で、心身の回復手段を一個でも多く持っているということは、とてつもない大きな意味を持ちます。
それをやりゃあ、高品質な回復が期待できるんだから、ジャンジャンやるべきだ。

2_2.温泉宿3泊4日1人旅スキルを身に着けた

おっさんになった! (嗚咽する)

いや、実際、重要な回復手段ですよ。
心身が摩耗するほど面倒な仕事がやってきて、休む場合、24時間は寝ていても全く回復しないで途方に暮れるが、さらに12時間寝ているとようやく回復して来る。
要するに、まともなパフォーマンスになるまで、36時間かかる。土日2日休日が必要なのは、そういうこともありますね。
(だから、ゴロゴロしている人を非難してはならないんですよ。それは必要だからやっているのです)
要するに、本当に疲れている場合、最低限36時間は休養が欲しい。

そういう時が、年に何度か、ある。
だとしたら、その気配があった時点で、断固予約枠を設けて、温泉宿3泊4日1人旅を敢行すべきだ。
愚図愚図していると、数か月後、にっちもさっちもいかなくなりますよ。

そんな訳で、1泊2日だと、慌ただしすぎて回復しないことがある。そんなんだったら、やらない方がいいくらいだ。
2泊3日だと、意識に上らないレベルでは回復しているので、働けばパフォーマンスは回復しているが、意識はその回復した気持ちよさを感じていないため、不満が残る。
3泊4日だと、回復した気持ちよさが意識に上ってくるので、心身共にキッチリ回復する。ここまでして初めて意味がある。

また、1人であることに意味がある。
サービスは宿の人に任せて、家族サービスを要求しないし、自分もしない。そういう必要最小限の人的アクセスが、隔離が必要なのだ。
これをしない場合、宿泊旅行は、何ら回復のためではなくなる。というか、基本的にまるで回復しなくなる。
そんなんだったら、やらない方がいいくらいだ。
あるいはいっそ、「これは回復目的の旅行ではなく、家族サービス活動だ」と割り切った方がいい。
あくまで、温泉宿3泊4日1人旅は、確保されなければならない。

2_3.「たたかう」の他に「まもる」「にげる」等によって問題を飼い馴らす

数年前くらいは「頑張れば報われる」程度のことしか考えてなかった。「良い子」だった。(30代後半でか?)

***

去年は「頑張ったのに報われない。近いうちにノシつけて返してもらう。取り返す」ことが、万事につけて主な動機だった。

これは自我の芽生えではあるが(繰り返すが、30代後半でか?)いくつかの問題があって。
具体的には、
・何かにつけて恨みがましくなるし、
・自分が損をさせられていると許せなくなるし、
・我慢をさせられていると思うと我慢ならないし、
・自分に報いるために自分に何でも食べさせてしまうし、
・当然健康にも悪い。

***

今年、11月頃。
長い仕事にひと段落ついて(後にすぐに吹き飛ぶことになるが)、温泉旅行が終わり、たまたま親戚と婚活の話になり。
自分の中で整理があって、自分の中のそうした問題と、和解することが出来るようになった。

だって、結局、恨みを抱えて生きていると、それは問題を解決出来ないまま、苦痛を伴って生きる。ということにしかならないんです。
そんなんヤですよ。当たり前だけど。

***

問題は解決する。これが基本形だ。
そして、解決には
・「そこにあるものは戦って片付けていく」(たたかう)だけではなく、
・「一過性のものは防いで守ってやりすごしていく」(まもる)とか、
・「手に負えないものは逃げて傷が浅いように留める」(にげる)とか、
・「そもそも手に負えないヤバい領域を避けて通る」とか、
・「鍛えてレベルアップして、上手に片付けたりやり過ごしたり逃げ切ったり、避けずに挑戦していく」とか、
・「極力安価に効率的に休んで回復させる」(やどや)とか、
・「仕事組織で誰かに何かを任せて、自分は自分の持ち分をキッチリやって、全体として安価に効率的に上手に解決する」(パーティー)とか
そういういろいろがある。

・最終的には、「問題を、自力で、様々な手で、あしらえるようになる」。「問題を飼いならす」。
これが大事だ。
死ぬまで一生問題に脅かされたくない。問題があろうが、どうとでも出来るようにする。これはとてつもない安心をもたらす。脅威じゃなくなったんだから。
実際に上手くあしらえたら、尚更自信は大きい。こういうことの積み重ねが、人の姿勢を堂々とさせていく。様々なところで、いろんなことが、自由自在に出来るようになる。

2_4.欲望や気晴らしに対する我慢が練り上がってきた

今まで、私の中では、
・「そこにあるものは戦って片付けていく」
・「手に負えないものは逃げて傷が浅いように留める」
・「鍛えてレベルアップして、上手に片付けたりやり過ごしたり逃げ切ったり、避けずに挑戦していく」
の選択肢の比重が大きかった。

・「そもそも手に負えないヤバい領域を避けて通る」
というの、数年前まではあったが、これを「鍛えてレベルアップして、上手に片付けたりやり過ごしたり逃げ切ったり、避けずに挑戦していく」で塗りつぶしていった。
今なら出来るからね。昔では無理だった。地味なレベルアップ、結局こういうところで、閾値を越えて効いて来る。

そして、肝心な話だが、
・「一過性のものは防いで守ってやりすごしていく」
・「極力安価に効率的に休んで回復させる」とか、
・「仕事組織で誰かに何かを任せて、自分は自分の持ち分をキッチリやって、全体として安価に効率的に上手に解決する」とか
これらが出来ていなかった。

ストレスが強すぎる時に、ストレス解消をしたいじゃないですか。(俺の場合はうまい酒と飯を食うことです)
ですが、これ、「手に負えないものは逃げて傷が浅いように留める」のバリエーションだったんですよ。
もちろん必要なことですが、ふつう、ストレス解消には、金がかかるんですよ。(特に、うまい外食は、お高いからね)

「極力安価に効率的に休んで回復させる」ためには、「極力安価に」の方を実現するために、「一過性のものは防いで守ってやりすごしていく」ことを、どうしてもやらなきゃならなくなりました。

***

これ、昔プログラマの頃にやっていて、放棄した選択肢だったんですよ。
今もそうですが、当時は防ぐだけの体力がなかったからです。藁の家でした。あっという間に狼に吹き飛ばされてヒデエ目に遭いましたね。
防いでいるうちはタダでよかったのですが、そのうち「あいつは防げるやつだ。一過性でない負荷を分担させよう」ということになりました。
一過性のものじゃない場合、「たたかう」か「にげる」になっちゃうんですよ。戦い切れなかったし、最後には心身ぶっ壊したんで、キッチリ逃げ切りましたね。
んで、心身ぶっ壊した結果、医療費がかなり高くついたので、「防いで守ってやりすごしたら死ぬ」という悪い刷り込みが身についてしまったのでした。

***

でも。
「防いで死にたくない」気持ちに従ったりしても、問題は解決しないまま残ったし、出来ない苦手なこともそのままだし、そのせいでどんどん事態は悪くなっていったもんな。(体重は増える一方だし)
シラフに返ると、「防がずに逃げて、今まで温存してきたリソースと、食らってきた損だと、損の方が大きい」ということは、多々ある。
じゃあ、「防いでりゃあ良かった。そのために鍛えてりゃあ良かった」んだよな。

で。
「今なら出来るからね」
という結論に、結局たどりついた。
やはり昔では無理だったことだ。地味なレベルアップ、結局こういうところで、閾値を越えて効いて来る。

そんな訳で、欲望や気晴らしに対する我慢が練り上がってきた。これはとてつもなく大きなポイントです。
何せ、今となってはもう出来るのだし、そうすると安くつきますからね。

3.新年の抱負

3_0.新年の抱負

去年まではそんな感じでした。
ここからは新年の抱負の話になります。
とはいえ、来年のことを言うと鬼が笑うので(この原稿書いてる時点では実はまだ2020年です)、まあ2021年12月31日になった時に、上手く行ってるかどうか、答え合わせですね。

3_1.もっと社交や処世や婚活を頑張ろう

上の話ですが、残った1つ、
・「仕事組織で誰かに何かを任せて、自分は自分の持ち分をキッチリやって、全体として安価に効率的に上手に解決する」
これを出来るようにします。

***

組織に貢献するという形で、信用を得るべくやってきたつもりなんですが。
どうも最近まだ職場の人が、新人相手に噂話をしていたのを、横切る際に耳に入ってしまったからな。

「あの人は変な人だよ」

ほーう。
修羅場の保健所で、
「あいつは異常者であるゆえ、共にやっていく仲間として、潜在的には信頼ならない」
と、外ならぬ同じ職場の人にマークされている訳だ。
一瞬でも「邪魔だ」と思われたら、「あいつが邪魔をした、放逐しろ」と告発されるパターンですね。
なるほどなるほど。そうでっか。やってられまへんな。

思い当る節はあるよ。
俺は太っていて醜いし、俺の日頃の挙動が、いまだに目立って不審なのだな。
どうやって直せばいいのか分からないが、まあ分かったよ。ナントカします。

***

あと、仕事を快く引き受けたりしよう。
今年はあまりにも何でも依頼され過ぎていて、最後の方は舌打ちしそうな顔でやっていた自覚がある。
これでは、「やればやるほど嫌われる」という仕組みだ。

個人的には、仕事量が減るか、評価が上がるか、どちらかしか歓迎したくない。
もちろん、前者は健康のためにとても大事だ。
本当に、目に見えて日々の挙動から精彩が失われており、集中力も激減し、ミスも多くなり、脳の危険を感じていたし、最後の方は動悸がひどく、命の危険を感じてすらいたのだ。
仕事量、減らしてほしい。

だが、長期的には後者にならないと、査定につながらないし、当然ながら昇給にも昇進にもつながらないだろう。
生活に金は足りない。ストレス解消にはもっと金が足りない。
それなのに、頑張っても給料は上がらない。
それでは、仕事している意味がないではないか。

***

あと、人に心を開いたりしよう。信じよう。任せよう。

あまりにも
「自分でコントロールできるところは出来ていたい。
状況的にも出来るだけ早い解決を求められている。
そのためには自分でやるのが一番だ」
という焦りが強すぎる。

おそらく、人事側としては
「出世して他人より上の階位になりたいんなら、意識を変えて欲しい。
下の階位の仕事を指導したり、管理したり、そういうのが出来るようになっていたい。
そういうのが大事なんだ。自分の仕事しか見えてないの、上の階位の者として、ダメ」
という意識があるはずです。

去年が鉄火場でなければ、それも考えたんですけどね。
今年は本当に非常時だった。
上のような意識を持って、人に依頼しても、非協力的な人もたくさんいた。
そういう人達に火急の仕事を任せていたら、引き継ぎは出来たかもしれないが、仕事は遅れて、多方面に大迷惑がかかっていたはずだ。
最終的に、「自分がやるのが一番早い」をやってしまっていた。
「他人に任せるために頑張る」などという、ゆとりあるムーブなど、やってる余裕がなかった。

だが、誰しも、偉くなる過程で、そういうことをしているのだ。
どんなに忙しくても。
もちろん、俺が、鉄火場だからやらなくていい、などという話は成り立たない。

これはもちろん処世です。やっていきましょう。

***

そして、人付き合いをしなければならない。
40歳を過ぎても、未だに興味があまりないが、婚活もした方が、世間的には強く望ましいらしい(こいつ…)
やりたくねえなあ(ホンマこいつ…)

だが、俺、人と心を通わせる能力、明らかに低いからなあ。
これを鍛えるためには、心は開かなきゃならないし、社交もしなきゃならないんだよ。
他人がつまんないのは、俺の感受性が鈍いからだ。俺が悪い。もっと他人の良さを感知しなければならない。

そこを鍛えたら、人から降って湧いて来るリスクは、減るか、少なくともコントロール下になるだろう。
それに、より豊穣な大地の広がる、新たな土俵にも立てる。そこが大事なのだ。
そういうのを目指して、頑張りましょう。(本当にこれが、40過ぎたおっさんの言うことか???)

3_2.もっと食費を節約して、貯金と体力を蓄えよう

外食を控えよう、ということです。
ストレス解消にかかる食費、馬鹿にならないからね。
「婚活に回す金はない」じゃあないんだよ。
そのストレス解消費用、丸ごと婚活に回せ。
(ストレスの塊になって結婚? そんな不幸の塊のような結婚、お互い論外では?)

***

あと、真面目にダイエットします。
素晴らしいことに、2020年末は真面目なダイエットをして、体重が95kgから89kgに減ったからね。
この意気でやっていきましょう。
そのうち、「夜寝て睡眠時無呼吸症候群で苦しむ」ことがなくなり、回復速度が向上すれば、しめたものだ。
日常生活動作、大幅に楽になるだろう。
そういうのを目指して、頑張りましょう。

3_3.数学本の要約がしたい

今読んでる本の要約で、優先順位の高いものがあります。
数学の本だと、彌永昌吉・彌永健一『集合と位相』IIになります。
まだ1章まで要約しただけで、それをGraphVizで図に起こせていない。アカン。
図に起こしたり、2章以降を読んだりしなければならない。

実は、2019年から、彌永昌吉の本を、立て続けに読む。ということをしていました。
『数の体系』(上・下)と『集合と位相』Iです。目的は数論のお勉強ですね。
これらは既にGraphVizで図に起こして、しかも統合しています。ものすごくキツかったのですが、メキメキと数学力(すうがくぢから)がつきました。「こうなってたのかよ」というのが一望できるからな。

だから、これに『集合と位相』IIを統合出来れば、当初の目的、「彌永昌吉本4冊を介して数論をとっかかりだけでも理解する」に、大幅に効いて来るでしょう。
これが出来たら、2021年はさぞ素晴らしいだろうな。

***

あと、論理学の本も、いくつか読んでいるのですね。

今のデファクトスタンダード論理学は「古典論理」というやつです。
紛らわしいですが、古典論理とはアリストテレスの名辞論理学のことではありません。名辞論理学はもう古いので、いくつかの問題があります。例えば数論や物理世界や自然言語と馴染みません。
で、改善されたはずの古典論理にも、応用の際に、未だにいくつかの問題があります。例えば数論や物理世界や自然言語といまだにしっくりと馴染まないところがあります。
これらの解決を試みるために、古典論理より条件を緩めた論理体系を作ったり、逆に古典論理により便利な条件を追加した論理体系を作ったりする人たちがいました。

既に読み終えて、要約もグラフ化も終えているのは、この2冊。
・野矢茂樹『論理学』(真面目な古典論理の本。文体がスットコドッコイ)
・戸田山和久『論理学をつくる』(より詳しい真面目な古典論理の本。文体がスットコドッコイ)

で、今読んでるのはこれらです。
・前原昭二『記号論理入門』(古典論理より条件の緩い「直観主義論理」と、さらに条件の緩い「最小論理」の話がある)
・戸次大介『数理論理学』(上の話をより詳しくしている。特に証明論のいくつかの流儀について説明がある)
・古森雄一・小野寛晰『現代数理論理学序説』(最小論理の話は乏しいが、「組合せ論理」「ラムダ計算」「様相論理」「部分構造論理」の話は充実している。また証明論の話もある)

全部読み終えたので、要約とグラフ化をしなければならないのです。とはいえ、彌永昌吉本4冊統合グラフ作成作業が終わってからだから、だいぶかかるでしょうね…

***

で、今回の問題意識は
「そういやゲーデルの不完全性定理ってあって、論理と数の間にしっくりこないところがあるけど、それはなぜそうなっているのか。どうすればしっくり来るのか。そもそも問題の立て方が間違っているのか」
というところにあるんですね。

私の読みがおかしくないなら、「自然数全体の集合」や、個々の「自然数」を作るのに、古典論理にいくつかの条件を追加した、ZFC公理系集合論というのを使わなければならないのです。

で、さらに、上の論理学の本を見ていると、
・構文論(文法のジャンル)で「n個の変数」「n項関係」「n項演算」、
・証明論(証明のジャンル。構文論と密接な関係がある)で「論理式の長さ(変数の個数)に基づく証明」
・意味論(真偽のジャンル)で「n値論理」
みたいなのがたくさん出て来るわけです。

今までの知見に基づくと、個数nの定義は自然数に基づくはずです。
つまり?
「自然数を定義するのに使う論理体系を定義するのに自然数が必要になる」。
ヤバイ。循環定義だ!
どこが本当の基礎なのか、ハッキリさせたい。このままでは気持ち悪くてしょうがない。
そういうのが、数学本や論理学本を読んでいる、大きな動機ですね。

***

構文論は論理学の本丸と言えます。そもそも言語も文も定義されていない論理など、証明も、真偽の判定も出来まい。そういう意味では、証明論や意味論よりも、より基礎的であると考えてよい。
で、その構文論の時点で、しかも言語を定義する最初の段階で、「n個の変数」「n項関係」という形で数が要請されているのだから、もうどうしようもない。
「n個の変数」は「数え上げられる性質と数は別である」と強弁出来なくもない。
が、「n項関係」は「変数をn個代入しないと式にならない(なっても特殊な式になる)」。
じゃあ、つまりは、「個数という形でだが、要するに数は要請されている」という話にしかならない。

どうやったらこれをうまく処理出来るんだろうな。というのが問題意識で、そのためにこれらの本を読んでいるのです。
(自然数より初歩的な順序数や、もっと初歩的な概念で代替可能で、これらを使って副作用が出ずに処理出来るなら、これは非常に嬉しい訳だが、上手く行くかはこれから検証です)

あるいは、圏論でなんとかなるかもしれない。
圏論における自然数対象は、1点集合になっている特殊な終対象と、1変数関数である後者関数だけで出来る。
ペアノの公理もZFC公理系も要らない。これをそのまま基数の定義に使ったら、循環定義は回避できるのではないか? (まあ後で検証だ)

まあ、2021年内にこれの目途がついたら、ものすごくスッキリするだろうな。(つかなくても2022年に終わらせるだけだが)
私は頑張りますよ。

3_4.個人雑誌『高校物理のロードマップ』を作れればいいなあ

年末に、たまたまTwitterで、私の会話が発端となって、高校2年生相手に、高校数学と高校物理と高校理学全般の関係について、気が付いたらつらつらと語ることになっていました。
(お前いつもこれだよな)

で、自分が語った部分、いろいろ粗もありますが、整えて、広く人様にお見せできる、恥ずかしくないレベルにしよう。
以前、数学が苦手な高校1年生の方(今は高校2年生です。希望通り理系に進学出来たのだろうか)に、『高校数学のロードマップ』という1点物の個人雑誌を作ってお渡ししたことがあります。
そういうのを、またやってみようか。題して『高校物理のロードマップ』!
(お前いつもこれだよな。はっきり言うが、正気の沙汰じゃないぞ)

まあ、これも余力があればですね。頑張ろう。

3_5.もっと恨みがましくなくなろう

それにしても、去年書いてた文章をつらつらと読んでいると、俺は本当に恨みがましかったんだなあ。
既に恨みがましさはなくなりつつあるが、書いているものを読み返してみると、『プラネテス』でいうところの「狂犬だった頃のハチマキ」なんですよ。困ったやつだ。
なので、もっと恨みがましくなくなろう。そう思うんですよ。
(だからって「げだつマンになった頃のハチマキ」になりたいか? 本当に?)

3_6.今年もやっていきましょう

それでは、今年もやっていきましょう。
ガンバルゾー!

応援下さいまして、誠に有難うございます! 皆様のご厚志・ご祝儀は、新しい記事や自作wikiや自作小説用のための、科学啓蒙書などの資料を購入する際に、大事に使わせて頂きます。