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真実 そしてもう一度修羅ヘ 阿修羅王降臨

俺の父親のエソの理由は自殺未遂だった。
俺はその事実を目の当たりにした時、先ずは感情の閉廷が必要だと思った。

このまま安易に感情を持っていては自分がダメになると思ったからです。

元々俺は先ず、15歳の春に創価学会から引導を渡されて感情を閉廷している。
そこで、父の自殺未遂です。
その理由がリストラです。
社会的制裁により父は追い込まれ父を自殺に追い込んだと思います。

複雑な気持ちでした。
病院の先生たちはリストカットとは言ってはくれてましたが自殺未遂です。
俺が事の経緯を話すと納得してくれました。
リストラの話です。
このリストラの経緯はなにから来ていると思いますか?
病気です。
最初は長年務めて来た会社が病気でリストラしたのです。
本来は労働基準法に違反しているのです。
それから父は職場を転々としましたが不景気の時代だったのです。
なかなか正規で調理師を雇ってくれるところはありませんでした。
最後の職場はパートでの切捨てでした。
父クラスの職人としての技術があればどこでもやれたのにその時代の飲食産業は明らかに不景気でした。
職業を替える資質はなかったろうと思います。
中学を卒業して直ぐ、調理の世界で修行した人間が変化をかけれるかは心理的に診ても難しいと思います。
それに元々のリストラの理由が病気だという事です。

俺はその時期には俺自身がリストカットをやめてたのです。
その理由がもし腕の腱を切ったらもうギターは出来ないよと当時の病院の臨床心理士の先生に言われたからです。
それからすぐやめました。

ギターが出来なくなるのはやだ。

いつか弾けるようになって好きな人と歌を歌いたいが俺のギターの想いにありました。
ただその当時、恋愛感情まで閉廷されるとは思ってもみなかったでしょう。

そして俺の感情は父親の自殺未遂を期にあらゆる意味閉廷した。
残して置くべきは怒りの感情だけだなっと思いました。

それに俺は命の天秤もまた貸されたのです。

父はエソです。

腕と足です。

足は俺ももういいと思いました。

でも腕はちょっと待ったをかけました。
それが何故なのかと言うと父は調理師だったからです。
腕を切ったらもう料理は作れません。
ただ先生には伝えました。

腕は残せないのか?
理由も調理師だからとも伝えました。

でも命に限って言えば選択の余地はないから父と相談してくれと言われました。
でも時間はないからと
膿が上がって来ているから早くしなければ命の保証が出来なくなるからとも

父には伝えました。

「腕を残す事は無理だ」と
父は「俺に決めてくれ」と言ったのです

これが命の選択の二度目です

最初は15歳の春に夢砕け散った時、生きるのか死ぬのかを自分に選択を迫られた時です。
その俺は生きるを選択しました。
でも言うように楽は捨てなきゃ、これからは生きていけないでした。
既に感情のありらゆるものは捨ててた。

そして選択は迫られた
父の命
でも父の腕はプライドと俺に取っては母と自分の為に働いてくれた腕です
この選択も重かったです
より責任は重大です
だって自分の事じゃないからです

自分で考えろとは父には言えなかったです。

社会に制裁を加えられて弱っている父には自分で考えてくれとは言えなかったのです。

父に腕の事は考えさせてくれとは伝えました。

でももう決断は下ってたと思います。

「腕を切る」

みすみす死なす訳にはいきません。

ただ「腕を切る責任は俺にある」と割り切りました。
父にある訳でもなく社会的制裁を加えた社会にある訳でもなく腕を切る選択をした俺に責任があるだろうと割り切るしかありませんでした。

なかなか息子は父親とは上手くいきませんが、その時が親子としての最後の絆じゃなかったのかと思います。

手術が上手くいってリハビも着々と進行して退院して来てからまた意思の疎通出来なくなりました。

親子関係とは難しいものです。

でも考え方も改めました。

父は働き詰めの生活でした。

母と自分の為に働いて休みの時は俺を病院に連れてくが日課です。
休みらしい休みは人生でなかったと思います。

だから腕と足を切って2年ぐらいは楽な生活を送れたのかなっとは思っています?
最後、脳梗塞を起こし寝たきりにはなりました。それから2年ぐらいが俺に取ってはもっとも苦しい介護の時期でした。
脳梗塞を起こし2年半ぐらいでこの世を旅立ちました。

父が亡くなって父の事を考えました。

「もう介護はいいからこれからは自分の為に生きろと言ってくれたんじゃないかと」
そう思う事で感謝の気持ちとしてありがとう、そして父との闘病生活は終わりを告げました。

でも俺が失ったのは父だけではなく感情も無くなってしまっていたのです。

感情がなくなるとはどう言う事かと言えば人間らしくないと言う事です。

人の心を忘れてしまったのです。

出逢いというシステムは縁です。

そこで出逢ったのが梨菜です。
あきらかにまわりは彼女に恋愛感情があると思ってました。
感情のらしい感情はなかったはずです。
ただ梨菜がもたらしてくれたのは楽です。

15歳で捨てたはずの楽をまたさせてくれたのです。
楽は楽しいです。
梨菜への想いは楽しいだけなのです。

多分、感情を捨てた時、最初に捨てたのが恋愛感情でしょう。
恋愛感情ほど複雑な感情はないと世の中の皆さんでも思うと思います。

自分は心理分析もするので感情を閉廷する時に最初に捨てたのが恋愛感情だと思います。

だから梨菜にはごめんといいました。
梨菜が姿は女性に見えるが俺の中の実感としては女性に見えないから、だからごめん。

一緒に居たいなんなら結婚もしたい。

でも感情が楽だけだったから一緒に居れば楽、それに尽きるのだと思います。

ただ梨菜には最後ストーカー法という裏切られ方をしてるので心の傷にはなっています。

今回、梨菜の事も書いた

理由が昨日、かなりひどい
PTSDが発症したからです

これが自分が消失するぐらいの強烈なエネルギのPTSDだったからです。

現状がひどい状態

今の俺は生きるしかばねです

かなりエネルギーを持っていかれたと思っています。

今回のPTSDも一度目の15歳の時のトラウマ同じように病的な質を持っているPTSDだと思います。

ここから続くのが新垣結衣ヒストリーなのです。

何故、俺が宗像病院を追い出されて生きてこれたのかです。

ここに超一流の芸術家が関わるのかです。

一つだけ言えるのは新垣結衣さん本人が超一流だからです。
だからです。
ただ結衣さんと話せる要素を作るには先ず自分が超一流にならなければでした。

それに精神障害者である自分には差別と偏見があります。
それを払拭する為に超一流の芸術家を目指す必要があった訳です。

ただ新垣結衣という人間とは如何にでした。
超一流と思える人は誰とか言われたらそんなに出て来ません。
はっきり言って何人しかいません。

絶対的超一流と思えるのはイチローさんです。

自分の中でもこの人は超一流と思える人の一人が新垣結衣さんなのです。

はっきり言って梨菜に裏切られたショックはあります。
最後がストーカー法が裏切りの大きさを示しているんじゃないでしょうか?

裏切られても生きてく糧と楽がしたかったんだと思います。

これはいつも思うんですが女性じゃなきゃだめなのか?
ダメなんでしょう。
生理的なものなんでしょう。

ただ取り組みとしては面白いとは思いました。

超一流になれるのか?

一流から超一流の違いは何か?

写真だけ見ても違いはあると思います。

先ずは写真を撮る為の方法論が既に自分の場合は違います。
フィルムカメラ、フィルム写真だからです。
そして写真をもう一度、芸術だと言わせたかったのです。

誰でも撮影出来る時代、写真はもう芸術とは呼べなくなったのです。
ただのツールでしかないのです。

コミニュケーションツールを俺がやらなくてもいい
俺がやるのは写真を芸術ともう一度見てもらえる写真を撮る事だと想いました。

ただこれに並行して超一流の楽しみの一つに新垣結衣さんとの対談や皆様はなれないだろうと思っているかも知れませんがお友達になれるかもです。
だから実証が必要だったのです。

超一流の芸術家の称号が必要だったのです。

ただその称号はあらゆる意味、手に入ったと想いました。

既にフィルムで撮影している写真が異質だと想いました。
自分でもヤバいと思うのです。

たしかにもう撮影スタイルが変わって来てるのです。
この時代にこの撮影方法かと言われるのかと想います。

でもせっかく超一流まで来たのに現時点では潮時です。

ここまで来たのに既に動きを止めなくてはいけないのです。
自分が好き好んでなった訳じゃなくまわりの組織や環境が俺への攻撃をやめないからです。

障害者基本法への対処を全ての組織は見失ってしまっています。

対抗措置を取らなければ終わります。

宗像病院は父がエソになった理由を知っています。
でも心のケアをする事なく俺に梨菜をぶっけて来た。
これを病院側がやるのかとは想いましたが宗像病院は平気でそれをやれます。
俺が腕を6回程、宗像病院に受診してる時、腕を切ったのに心のケアも傷のケアもやらなかったのです。
病院が治療を放棄したのです。
腕を切っている理由が病院側にあるのに知らん顔です。

最低な病院だと想います。

見切りをつけてよかったと想います。

スタッフぐるみで患者に圧力をかけるのです。

一つ言っておきましょう
組織の人間は自分たちが強者だと思い込んでますが、それは違います
組織の人間も個人の弱者なのです
でも強者と思い込む理由の心理が個人が集団になる事で生まれる思い込みです

これから今、戦っている組織について書いていきます。
必ずうち滅ばさんとすです

歴史の1ページを俺の手で開きたいです

自分はエソの怖さを知っているのです。
知ってて腕を切っています。
もし自分もエソになれば芸術活動は出来ません。
でも腕を切らなきゃ怒りは収まらないのだと想います。
それだけ宗像病院に怒りを感じているのだと想います。

俺を裏切った病院。

そして俺の師匠がいた病院。

そして梨菜がいた病院だから梨菜と師匠に裏切られたショックは半端ないと想います。

俺の心はもう崩壊してるやも知れません
でも超一流の芸術家まで駆け上がって来ました
逆境に強い人間
死線を歩いている人間の本気だと想います

誰も到達出来ない精神障害者による超一流の芸術家です
これが言えるのは世界中でもなかなかいないと想います
言える想いは「ただ努力は誰よりもした」だからです

努力をした結果だからです

真価はこれからです

後は世間の人達が決めればいい事です

真似できる人間がいたら真似してくれ
ただ病気で障害で能力を出すのは難しい
それが理解出来ない人には俺の芸術は理解出来ないと想います

ただ撮るだけなら既に誰でも出来る時代だと言いました。

俺は誰も撮らない撮り方で撮影して、もう一度、写真の文化を芸術として認めさせたいのです

写真はあらゆる分野の芸術になめられています
それが俺が嫌だから俺は自分の闘い方をする
分野を極めるのは自分のやり方でいいと想います
俺の闘い方がこの超一流の芸術家になる事ではあったのです

一人ぐらい考え方が違う人間がいた方が面白いはずです。

だからの俺だけの撮影方法です

そこで絶対的な写真を撮影すればいいだけです

でも昨日、物は形は崩れるけど言葉は残るみたいな記事を読んだ。
俺は逆だった
物は残るけど言葉は消えるだった
その理由は人間は有限な生き物です
死んでしまえば肉体は消えてしまい消滅します
その言葉も一緒に消えると思っていました
だって死んだ人の記憶も徐々に霞んでいくのです
それは人間が生きていく為のシステムだと思っていました
いつまでも死んだ人の記憶を残していては生きる事は負荷は生きている人間にかかると思っていました

だから言葉は残るに未だにピンと来ません。

歴史的見地から見た事は考える事として残っていくのでしょうが通常生きていく為に物じゃなく言葉が残るのかとはまだ俺には理解出来ません

確かに歌であれば歌詞として残るとは想いましたが、理解出来なくはないんです。

一生を変える言葉はあるはずです

そう言う意味では残るのかも知れません

でも俺に理解出来ないのは問題に心の傷(トラウマ)を抱えているからかも知れません

言葉で傷付けられた人間には残す定義は合わないのかも知れません。

自分は言葉を鍛えて来ました
その理由が自分の状態を如何に伝えるかで今のキツさや苦しみを言えるのかで状態回復に繋がるからです
でも心の問題を言葉にするのは難しいと想いました

ただ言葉が残る理由は名言とかと捉えると残るのかも知れません。

どう言う事かと言えば一人単体では死んでしまえば終わりです
でも人から人に繋がれば言葉は残ります
そう考えると芸術と同じなのかも知れません
芸術って創作しているから凄いように思うけどそもそもが物事を考えている人も凄いのです
でも今の時代想像力に限って言えば持っている人が少なくなって来ています

人の苦しみ痛みその想いを想像する事すら出来なくなって人を苦しめる。
もう一度人間時代を取り戻さなくてはこれからの時代人間らしい時代になるのかは暗いのかも知れません

仕事はAIがやってくれる時代です
逆に人としての心のゆとりは取り戻せると思うのになんか社会的に暗い。

未来を考えるべき時代でもあると想います

地球という未来

地球は永遠じゃないと想います?

でも人類は永遠性を保てるかも知れませんせん?
それが考える事が出来て文明も発展させる事ができるからです
でも文明の発展には人としての成長が必要です

大きな意味の過度期に来たのかも知れません。

ここで人間とは自分とは考える時代であり社会なのかも知れません

なかなか世界共通社会にはなりません
国の壁が取れる事はないのでしょうか?
この壁こそが人類が生き残れるステージへの一歩に繋がると想います

人間という概念の構築も必要なのかも知れません

考えるべき思考こそ未来への布石になると想います

先週、今の怒りによりまた腕を切ったのです。
そしてこの写真は新垣結衣さんの写真です。
本来、買えなかったと想います。
だってめちゃめちゃ高いじゃん。
でも天から降って来ました。
ギフト券が手に入ったのです。
使えるのかを問い合わせたら使えると解答があったので俺に取っては早いクリスマスプレゼントになりました。
だからまだ見てません。
もう少し楽しみを温存させたくて温めてます。

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