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「恋は下心なのか?」
恋は下心、愛は真心なんていうらしい
正直なところ、しっくりきてない
だから、自信たっぷりにこんな事を言う人に対しては
ふーん
って聞いている。正直なところね
「思い出を重ね 悲しみを越え 愛の意味を知れたなら」
この関係は恋だと思う
ここに下心あるのかな
恋っていうのは、「心が変わっていく事」だと思う
その人との関係の中で、心が変わっていく事
心を変えていきたいという関係
足
「不明確なものに出す「答え」とは」
「わかるように説明をしてください!」そんな事言われても、曖昧な部分もあるし、断言すると今度は責任について責められるし・・・。
特に不明確なことに対してはもっと難しい。とはいえ説明もしなくてはならない事もある。
しかも説明をするのが自分の場合は、もっと困っちゃう。「いや~・・決まってないので」なんてことも言えない。
仕事に限らず、プライベートなところでも実際のところは「あいまい」なことが多い。
「コンプレックス」という負の力が生み出す「最高の力」について(ジョジョ好き必見!!)
コンプレックスというのは、僕たち個人個人が持つ大きな負の力だ。そしてそれは自覚出来ていない。
その痛みから身を守るために、無意識にそのコンプレックスを避けるために、何かしらの「応力」が身についている。
その「応力」こそ、僕ら個人個人がもつ特殊能力である。この無意識の願望を自覚出来た時、精神的に「自立」できる。まさに「スタンド(stand)」である。
欠点→欠けた点が、欠かせない点に変わる瞬間
対応力って大事だけど、どうやって鍛えようか
最近、この「対応力」の重要性について改めて感じている。
自分がわかっている事をこなす事ももちろん対応ではあるが、この考察では
「自分が経験していないこと,、想定外の事に直面した時に、瞬時に対応し乗り越える事」とする。
この対応力、経験の幅が広いほどに能力が高くなるように思う。
それと「常識を知りながらもそれを壊すことを楽しむ気持ち」
このセンスがこの対応力につながるんじゃないかなと思う。
自分の為の仕事の中では、「やりがい」を見つける事は簡単じゃない
皆さんが今やっている事、趣味や仕事、何でもいいんですが「やりがい」って感じていますか?別に感じてないから悪いということではないですけど(笑)
そもそもやりがいって何ですかね。手応えだったり充足感だったりそういうものを感じているときに、これはやりがいだって認識」するんじゃないでしょうか。
その手応えを感じやすいものは何だろうかと考えていました。
誰かのために料理をする。誰かを楽しませるために行
短編物語「緑色をしたアップルティー」
アニエスは、天気が良かったので町へ出かけることにした。
外は夏の背中が見えるころで、うだるような暑さは通り過ぎた。風はひんやりと冷えはじめ、その風が髪を撫でていくのがアニエスは好きだった。
『誰かいるかしらね。ちょっとお茶したい気分だわ。』
お昼も過ぎて少し小腹もすいたので、町で友達を見つけたらお茶でも誘おうと、そんな気持ちで鼻歌を歌いながら町まで歩いた。
『そういえば、アルタの森の近くに
「哲学をするな」と聖書には書いてある
皆さんは、キリスト教の聖書を読んだことありますか?
「豚に真珠」や「目から鱗」などのことわざも聖書由来の言葉だったりしており、意外と身近な存在である。
「愛とはなにか」を考えると、それは哲学になっていきそうだが、聖書にはじつは「哲学をするな」と書いてある。
本というのは色んな人が読む。福沢諭吉の「学問のすすめ」にあるが、それぞれの人間の立場や理解の量だったりで与える情報や話し方を変えたりする
成長とは一種の「予約」だと思う
成長ってのは、一種の「予約」だと思う。
特にスポーツで考えるとイメージしやすい。
練習して、知識や筋力、体力を鍛えていく。
それらって、ある一点の成長点に向けた予約だと思う。
そして、試合などの精神状態が最高の時、過去の自分なら取らない決定的な行動をとる時がある。
その時、過去に予約したその成長への通過点が一気に繋がり、その人を一つ上に唐突にカチ上げる。
仕事だろうが人間関係だろうが、
愛とはなにかって、実際めっちゃ難しい
「愛とはなにか」って考えたことありますか?
みなさんはおさるさんの歌位に、アイアイ言ってると思います。
愛がほしいとか、愛してるとかイロイロ。
まず一つ言えることは、「好きの最上級ではございません。
好き、大好き、愛してるみたいな三段活用みたいに使ってる人がほとんどと思いますが、愛とはそうういう事ではありませんね。
なぜかというと、この三段活用における愛してるは「性欲に準ずる」ことが多い