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「哲学をするな」と聖書には書いてある

皆さんは、キリスト教の聖書を読んだことありますか?

「豚に真珠」や「目から鱗」などのことわざも聖書由来の言葉だったりしており、意外と身近な存在である。

「愛とはなにか」を考えると、それは哲学になっていきそうだが、聖書にはじつは「哲学をするな」と書いてある。

本というのは色んな人が読む。福沢諭吉の「学問のすすめ」にあるが、それぞれの人間の立場や理解の量だったりで与える情報や話し方を変えたりする。

そして、恋は感情であるが愛は感情ではない。それぞれの間にあったり、その中に私たちはいる。故に愛を学んでいくには哲学的に考える必要がしばしばあると考える。それなのに哲学はするなという。

時折、勘違いによりあまり良くないクレームが発生することがある。この勘違いも一概にどちらが悪いとも言い切れないのでもどかしいものもあるが・・・。

これは情報を読み解くリテラシーと、自分が正しい行動をとっていると認知するエフィカシーなどのエラーによって起こりえる。

これらのエラーを防ぐ事や、愛についての理解を深めていくにはやはり素直な純粋な哲学は必要になると思う。

ではなぜ哲学をするなというのか。

私の一つの意見としては、先述したように「間違った方向に考えてしまい、間違ってないと勘違いをしてしまう事」を避けるための注意であると考えている。

けど、哲学って大事。

自分が世界を勘違いしてみている部分を払っていけば、毎日はもっと楽しくなる。


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