自分の「労い」方。 面白いことに気が付いた。単にいつも自分に話している自分が、優しく寄り添っていれば、労いもその延長で生まれてくる。 いかに自分に冷たかったか。非情だったか。 そしてそれは生まれた後、周りから受けた言動の拡大再生産だ。 ここからまた一段、「自分を大事に」。
息子が「職場の人達生きにくそう」と言うので、きみはどう?と聞くと「普通」らしい。 私は?と聞くと「それどころじゃない感じ」らしい。まあ日常に乗って走ってるってことだわね。 いやー合ってるわ。 そして実は「かつて生きにくかった」人なんだよね😁
「労う」 自分にするには、かなりエネルギーが要るのだ…!と気が付いて驚く!! やってこなかったから不慣れでは、ある。娘や息子にするほど、サラッとやれないよ? やるエネルギーに負けないくらいのチカラが必要かも!?
で。 どうやると自分の「上げ底」感を解消するケアになるのか? これかなー?とピンと来るものを、ひとつずつ試していく。食べ物や経験や…お金をかければ良いというものでもないし。 敢えて言うなら、数日自宅でひとりで過ごしたい、という願いはあるんだけども…数時間なら叶うねw
昔から、「水底に足が届いていない」感じと「自分は上げ底」な感じがあった。これ今思えばすごく正しい感覚。要は、自分には安全と思える場所も人もなかったから。ずっと緊張して根無し草だったのだ。 自分にとって今は自分が「安全地帯」なので、この上げ底の分を、しっかりセルフケアしていくのだ。
息子が苦しい局面。 彼の中で譲れないものと、現状が、矛盾している。 過ごしやすい方に流れず、譲れないものを守って生きる。それを大事にしてくれる場所を探し直す。 自分の中のバランスを取り続けながら日々を凌ぐ。実地練習だなあ…
上げ底感←労われたい←自分で労う←エネルギーが必要!?←自分に優しく寄り添えばよいのでは?(今ここ) だいたい「そっと寄り添う」なんてされたことないんだから、自分の中にその情報はなかったわ。子どもらに試行錯誤でやって学習したものだわ。 ありがたい。お陰で「寄り添う」がわかる!
自分のマイナス感情が、大枠「労われないこと」から来ているらしいと気が付くと、自分の仕組みが理解出来て、なんだかニュートラルになった気持ち。 こうなると今度は、ちょっと嫌だなと思ったことを、ささっとやるのが難しくなる。ひとつずつ労いを細やかにつけないと、「嫌だよー」と私が言うのだ。
続き。 自分の「上げ底」感を探っていると怒りに繋がっていた。(少し前に書いた悪態とかもこれ) さらに考えていると「労われたい」気持ちがたくさんあると気付く。 そうか、頑張ってもそれっきりは辛かったんだ。 良く働いて良く労って、朗らかに過ごしてみよう。
今日も結局休んでしまった。自分にとって必要な休みだったんだと思いたいけど、頭の中では自己否定のオンパレード。否定の音楽隊が頭の中をぐるぐるパレードなう。頑張りすぎたのはそう。抱え込みすぎたのもそう。でも私の解決方法はやっぱりこうして休むこと。誰にも迷惑かけてないから、いいのかな。
昨日の御言葉は今までで一番厳しかった。 15年くらい前はADHDの動画はそんなに多くなかったのに、今見たら100倍くらいに増えている。 スピ系のカウンセラーとかが「苦手なことはしなくて良い」と言っていたが逆だったんだ。_| ̄|○ ラプトブログを学んで、頑張ろう。💪