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双極性障害。

こんにちは!
お仕事終わりの方お疲れ様です🍵

ちょっとだけ忙しい?のもあったというか、
使命感に駆られすぎたのもあって、投稿お休みしてました……!

ちょっとだけ、私の障害が今どうなってきてるのかお話させてください。

長くなりますので、最初は飛ばしていただいても結構です!


1.健忘症?

最近よく、物忘れをしてしまうようになりました
記事の更新もそうです🥲
なぜか、頭からすっぽ抜けてるのに全く気づきません……

そして最近始めたことや、さっきまで何しようとしてたとか、そういう新しい記憶ばかり消えていきます。

めちゃくちゃ怖いです。

お風呂上がったのに、あれ?お風呂入ってないよね?って彼氏に聞き直して入ったよ?って言われたり

歯磨きしたのに、あれ?歯磨きしたっけ?

買い物に来たのに、あれ?なんのためにスーパーきたっけ?

なんででしょう?

高校生の時スルスル動けて、機敏だった自分がどこか遠くに行ってしまいました。

大学生になるともう集中力も皆無。
先生の目を見て話を聞くばかりで実は頭になーんにも入ってない。
なのに人と目を合わせるのは得意だったので、ずっと見てたら先生に当てられて冷や汗かきまくりました……

新入社員時代
なんの知識もなくて大丈夫だから、どうですか?
というフレーズを見て「手に職つければいいじゃん!」
と安易にIT業界に応募し、就活に蹴りをつけました。

入社して3ヶ月、研修はリモート(コロナ禍)で行われることになり余計分からなくなって蕁麻疹だらけに。
いざ配属が決まると、そこはトラブル続出のプロジェクト。

どうも、プロジェクトリーダー(仕事の概要を聞いて引き受けた人)が長期療養することになり、リーダーが変更になったばかり。
しかも何故かリーダー2人体勢。
今思い返せばとんでもないプロジェクトです。

リーダーが2人ということは、そこの連携が上手くいっていないと後々の進捗が変わってきます。

私に着いてくれていた先輩はまだ4年目。
4年目、と言うだけでプログラマーからシステムエンジニアという職位に上げられたばかりでした。

たしかに、3年働けば大体の流れは分かってくるものですが、人によって覚えるペースも違います。
なのに、4年目以降は全員強制的に職位を上げなければならないという部長の指示で先輩は難しい仕事をこなす事に。
さらに新人を付けるとなれば、残業が当たり前。

プロジェクトの終わりごろ、その先輩は私と同じように病気になって居なくなってしまいました。

一人ぼっちの私。
1人のプロジェクトリーダーが心配してくれて、ここなら簡単だよ、やってみて?
と言われながら、エラーをひとつずつ解消していけました。それがとても嬉しかった。

でも顧客にいざプログラム導入した日、事件。
私と先輩が担当していた箇所に誤りがあって、動かない。との連絡。

私は既に帰り支度を済ませた所でした。
(もちろん残業してから)

とりあえず、今日は帰っていいよと、心配してくれていたリーダーが話しました。

翌日の朝。
テストしていた箇所がなぜすり抜けたのか、なんで分からなかったの?
と、もう1人のリーダーから詰め寄られました。

右も左も前も後ろも分からなかった私は、先輩の話した通りにプログラムを書いて、テストも上手く行き、さらに経験年数の多いSEにテストを行ってもらって問題ないです。

と、言われた箇所でした。

二重チェックしてOKが出たのに、なぜ私だけ詰め寄られるのか。

配属されて2ヶ月でテスト以外の全ての工程をなんとかこなしたのに、なぜ私だけこんなに詰め寄られるの?

二重チェックしてくれた方にも責任があるのでは?

その方にはお咎めなし?

なぜ私だけ?

その日、配属後初めてメンタル崩壊。
午前中涙が止まることはなく、トイレにこもり続けました。

それからというもの、何をするにも手が震えるようになりました。

キーボードが叩けない。
上手くマウスが使えない。

息が詰まる。

同期の四大卒は吸収が早くどんどん差が開く。

私はゆっくり、少しずつ、確実に。
残業時間は多いけど、怒られるのはもう嫌だ。

そんな2年間でした。

そしてついにガタが来ました。
眠れない。こんなに残業して日をまたいでいるのに?
あ、もう明るい。冬だしバス遅れたら困るから起きなきゃ……

4時間眠れたらラッキーくらいな日々が続きました。

すると眠れなくなりました。
いつもなら地下鉄やバスで爆睡するのに。
2時に帰ってきて5時に起きるからその間移動で寝るのに。

眠れない。

目眩。吐き気。手の震え。蕁麻疹。

メンタルクリニックに初めて行った時にはもう手遅れでした。

それから、仕事に何度か復帰しましたが指示されてももう一度聞き直してしまう。

あれ?ソフトの使い方がわからない。

あれ?ショートカットキーなんだっけ?

PCの周りや机の上はおびただしい数の付箋になりました。

2.躁状態の恐怖

仕事が出来ていた時。
すーごく集中して、やっと解放!さ、かえろー!
帰って寝てやる!って思うんですけど

過集中。
躁状態だったんです。

帰ったらご飯も食べずに、何とかお風呂に。
いざベッドへ!!!

あ、今日そういえばこのゲームやってないな…
あ、そういえば、今日の仕事もっと効率上げれたな
色々思いつきが止まらなくて、迷惑だったろうけど、友人にLINE。

次の連休で旅行行こ!!!

夜中1時ですよ?笑

完全に眠ることなんか忘れて、次の日を迎えました。

この時はまだ躁状態がどんなものか曖昧だったので、気づいてもいなかったです。

今振り返ると、相当テンションおかしいですね。

通勤時、それは反動となります。

3.鬱状態の時

通勤時、吐き気が止まらず駅のトイレに駆け込むようになりました。

バスを降りようともしましたが、生憎田舎なので降りたら次のバスは1時間後。

耐えなきゃ、耐えなきゃ。

優先席に座ってしまいたいくらいでしたが、道民は基本座りません。

地下鉄が専用席、という表記になっているため、バスでも基本座らないのです。

立ってなきゃ、でも気持ち悪い。
お腹痛い。目眩が……

そんな日々を続けていました。

何とか家に着くのですが、ご飯が食べられない。
喉を通らない。しゃもじ半分もごはんを食べきれない。

水を飲むので精一杯。

すると、そのうち母親は晩ご飯を作ってくれなくなりました。

朝も忙しく、パン1枚食べれない私を見兼ねて作らなくなりました。

私が作れば良い話なのですが、母は父親と私の弁当を作っていました。
その間キッチンに入られるのは邪魔だ。入ってくるんじゃない。

と言われるので、朝も食べずに出勤していました。

それを3年、繰り返していました。

4.実家に戻れない。

自己紹介の時にも触れましたが、母親は突然癇癪を起こすことが多いです。

ご飯を残してしまうと機嫌が悪くなり、私の分だけない。

父親が家で仕事の電話を始めると、夜中に大喧嘩。

妹はそれが嫌で部屋から1週間近く出てこなくなり。

ビクビクしながら生活してきました。
母親の機嫌を損ねてはならない。

父親と喧嘩して何かあったら、母親の好きなお菓子を買って帰ったりしていました。

するとある日、「お菓子ごときで機嫌とるなら二度と勝ってくるな」

と、半ば八つ当たりのような形で叱責されました。

それ以来、街中に行っても母親に手土産を買って帰ることは無くなりました。

するとどうでしょう。

妹と私でお菓子を食べていると
なぜ私の分は無いのかと。

また母の機嫌を損ねないように、妹とゲームをたまにするのですが、
母親が買い物や仕事から帰ってくる前には何も無かったように、ゲームがどれだけ中途半端でも片付けていました。

こんな生活を続けていました。

ある日、私はたまたま母親が帰ってきたのに気が付かず、ゲームをテレビでしていました。

すると、楽しそうですね!!!!
と、買ったものを投げつけてきました。

その後物音を立てながら、明らかに不機嫌な態度でお昼ご飯を作ってくれましたが、勿論一言も交わさず食べました。

食べ終わって片付けた瞬間。

あんたはこっちが忙しくしてるあいだ、ゲームしているだけで何もしないのか!!!
片付けることも!掃除機をかけることも!!!何もしない!!邪魔なんだよ!!家にお金も入れない!!!
なんでそんなあんたにご飯作ったりなんだりしなきゃならないんだ!!

お陰様で一生わたしは夏休みと変わらないんだよ!
出かけることも出来なければ、自分の時間も持てない!!

それならさっさと出ていけよ!!


父親に相談しました。

「出ていけって言われたから彼氏の家に行ってもいい?」

彼氏は私の障害について理解してくれていて、それでも尚、好きだ、話してくれてありがとう。
困った時はいつでも来ていいからね!
と言ってくれる人でした。

父親は「彼に迷惑がかからかないかい?」

と聞いてきました。

勿論、疲れている彼に家事を任せてしまうこともあるかもしれないという不安はありました。
それでも彼は大丈夫だよ!!いつでもおいで!!

と話してくれたので、それを父親にそのまま伝えたところ了承を得ることが出来ました。

稼ぎがある訳でもない、必ず家事ができる訳でもない。

今でも自分を責め続ける事は多々あります。
それでも構わないよ、という彼に甘えてしまっている自分が情けなくて

辛くて

でも実家に戻ったら

母親にまた八つ当たりなり、癇癪をおこされたりされることでしょう。

今は金銭面の不安がとてつもなく襲ってきます。
失業手当は次回が最後です。

もう私が食費を賄うことは出来なくなります。

障害者年金については早くても12月に貰えるかどうかの判断が決まります。

11月、どうやって生きていけばいいのだろう。

田舎なので、近くにコンビニひとつありません。
そもそも、医師に働くことよりも治療に専念して欲しい。
今無理に働いて、行けないってなっちゃったらどう感じます?

と聞かれると、迷惑をかけてしまうことを考えてしまいます。

と話しました。

それならまだ働くことは難しいかもしれない。
許可は出せない。

正直、まだ散歩も行けないくらい体が鉛のように重たいです。

お風呂に入らない日もあります。

いつ、働けるのかな。

貯金も無いのに。

お金、ないな。でも、帰れないな。

八方塞がりって、こういうことなんだな。

5.通院

月に1度、彼の休みが確実にある日に送って貰って何とか通院しています。

でも、出張などが重なるかもしれない。

そういった場合は自力で行くことになります。

診察料、交通費、お薬代。
しめて1万円は軽くなくなります。

何度も何度も、金銭面を気にして、
遺書を残して生命保険の掛け金を全部彼に渡したいなぁー。

そしたら、彼も生活少しは楽になるよなー。

なんども家を出ては大きな道路を見て、考えてしまうこともあります。

フラフラ〜っと、赤信号のまま吸い込まれそうになる感覚もあります。

そこでやっとハッとします。

運転手さんに迷惑掛けちゃう。

それだけで踏みとどまっています。


これが現状です。

脳のバグと呼ばれることもあるこの障害。
一生、付き合うことになるかもしれません。

疲れますね、読む方も🥲
お付き合いさせてしまって申し訳ないです🙇‍♀️

ここまで読んでくださった方がどの程度いるのか分かりませんが……笑

また少しずつ、更新出来たらなと思います。
コスメの話もしたいし!
元気があるときにまた来ます🥲

以下に文章はありません。
やってみたかっただけです笑

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