つまりあれじゃな? ⊿を現象化するためにHzを記述と見なすのだな? そうすると、ゲシュタルトが担保されるので 見かけ上自由意志を発明したようになる が 実際は⊿を思い出してるだけだ 情報場をHz化して⊿の必然性を担保してるだけ つまりHzそのものはどうでもいい Hzの在り方
身体を観ないとは役割を観ないことだ。 役割とは情報である。 身体に「載った」情報が役割だ。 それが「なりたい自分」という役割ならハッピーだろう。 そして一番重要なことを述べよう。 「身体からは逃げられない」 「役割からは逃げられない」 身体と向き合うことはハッピーへの必須条件だ。
宝石が美しいのは空間を共有しているからだ これでは難しいか? 「宝石は美しい」これは文字だ 目の前に宝石が飾られていることを認識し、実際に瞳を近づけて光がキラキラと内部から零れる様をじっくりと味わう これは宝石と同じ空間に居なければ不可能だ 「同じ場所に有る」という視点だ
「自分と違う世界の住人」という認識では、素直に味わえないだろう。 映画はスクリーンの内部に視点が入り込むから、荒唐無稽なフィクションでも楽しめるのだ。 視点と臨場感である。 「自分と同じもの」が光り輝いていれば、「自分のことのように」嬉しく観じられるものだ。 これが中観の境地だ
「相反する要素を掌に収めようと足掻く行為」 「反発する磁石をくっつけようと足掻く行為」 いいか「悟り」とは「無駄だと諦める」ことではない この「相反する行為に没頭すること」だ それは「諦観」ではない 「根性」だ 終わりはない 「根性」 なのだから
自分の感性を全く信用してないんだよね。コロコロ変わるから。 ゆえに他人の評価も信用してないんだよね。コロコロ変わるから。 寧ろ軽率に評価してくる時点で、お前の感性どうなってるんだよ。それお前の感性じゃなくて、どっかで拝借してきた又聞きだろゴラア? ってなるよね。 黙らせるよ!
正直ウマ娘はライブ機能に関しては2万円くらいお金払っても観たい。 サービス終了してもこの機能だけ分離した単品のコンテンツを1万円〜2万円くらいで販売してくれないだろうか? して!欲しい! 人類史に残す至宝だよこれ!もっと大事にしてよお! と思いながらエンドレスリピートしてるよ。