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歌舞伎町という存在

  つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、
心に映りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。

歌舞伎町、靖国通りから

常夜と、街で

 タクシーは、街とかかわる……
 街とかかわるということは、その街特有のお客さんを運ぶということで、その地形に合わせて車を走らせるということではない。だから、歌舞伎町がかかわりたくない街ナンバーワンになるのは必然で、「お前らが言うな!」と言われそうだけども、タクシー運転手のほとんどが、この街で仕事をするのは避けたい、と思っている。

 でも、ここにいつも来ている運転手がたくさんいるのも当然で、何故なら、そこに仕事がある限り、タクシーは必ずいるんだから。まあ、ぼくらの仕事は歩合だから、お客さんを乗せなければ一銭にもならないわけで、生活のためには「場所なんか選んでられねーよ」というのが現実で、でも、そんな仕事にも慣れてしまえば何てことなくなってしまうものだし、慣れてしまったら、慣れないところで仕事をすることの方が億劫になるものだ。
 けど、なんせこの街とのかかわりはトラブルが異常に多くて、だから、稼ぐためにリスクを覚悟の上で来ている人ばっかり。

 ここ歌舞伎町は、「東洋一の歓楽街」とか呼ばれていて、よく不夜城と表現されるけども、ぼくは逆の印象を持っている。ここは、いつでも夜の街で、昼間がない。人々はこの街で朝まで夜を楽しんで、昼になっても夜を楽しみ続ける。日が昇り、人けが少なくなる時間は、歌舞伎町で働く人間にとっての夜で、休む者もいるし、遊ぶ人も。何か、悪さをするための相談も、稼ぎ時にではなくここでされるのだけど、それもやっぱり夜にする特徴的な行動パターンなんじゃないかと思う。まあ、印象なんて一方的なものだけど、ぼくにとっての歌舞伎町って、そんなイメージだ。昼間なのにギラギラのネオン、常夜の街。

 そんな夜の街に特徴的なのは「欲望」で、だからここに来る人々は、酒、女(男)、賭け事なんかを中心に、本能の赴くまま羽目を外す。そんな人たちを相手に商売をするのは裏の世界とのかかわりが色濃くなるのも特徴で、だから、街全体が夜と化すのかもしれない。だから、表の社会で通用する法律が通用しないことも多いし、この街独特の道徳、倫理、ルールが存在している。だから、タクシーに乗り込むお客さんもそういう雰囲気を背負っていて、早い話が、ガラが悪くて、身勝手で、遠慮を知らない。「お金を使い過ぎた」とか「目当ての女の子に邪険にされた」だのとむしゃくしゃしてる人だってめずらしくないし、そんなお客さんと狭い空間で同じ空気を吸うのは、たとえ短い時間だからって嫌なものだ。

 まあ、渋谷や六本木でだって夜ともなればそういう面倒なお客さんは乗って来るけども、歌舞伎町で乗って来るお客さんに感じる特徴は、その態度が日常的なところだ。
 大きな街に出掛けるとき、人は、特別なことをしに行くもので、それがその人にとってのイベントというか、大袈裟にいえばお祭りみたいなもので、だからはしゃぐし、悪ノリするし、普段よりも背伸びして遊ぶものだ。だからそれが行き過ぎて、揉め事に発展してしまう。渋谷や六本木というところはそんな感じがする典型的な街だと思う。
 けど、歌舞伎町でタクシーに乗り込む人からは、そういう「特別」が感じられなくて、この欲望の街では、住人も常連も、それが普通で日常。そういう素描の持ち主が多くそこに生息しているってだけで、だから、渋谷や六本木のようにわざわざ揉め事を起こそうなんて考えていなくて、でもただ、もともと揉め事を起こす質の人たちばかりだから、揉め事は絶えないんだけど……

ある土曜の早朝4時

 だからこの街とうまくかかわるには、余計な刺激を与えないのがコツだ。何を言われたって能面の如く無表情に対応するがいいと思う。タクシー強盗とかタクシー詐欺とか直接的なものを除いて、みんな純粋に交通手段として利用しているってだけなんだから、少々乱暴な扱いを受けたって動じずに、静かに対応していれば、何事も起こらない。
 そんな歌舞伎町での仕事って、子供の頃カブト虫やクワガタを取りに行った山での記憶とちょっと被る。すごく蜜の出ているクヌギの木があって、そこにはたくさんのクワガタがいたんだけど、でもそのすぐ近くに蜂の巣があった。蜂もその蜜を吸いにやって来ているから危なかったんだけど、ぼくらは子供ながらに心得ていて、できるだけ蜂を刺激しないように近寄り、大物のクワガタだけを取ったら、余計な長居はしないで立ち去っていた。欲をかいたり、目立った行動を取ったりしなければ、蜂は何もしてこないことを知っていたから。でもだからといって安心かといったらそうでもなくて、もちろんいつ襲って来るかわからないという危険ははらんでいて、まあ、歌舞伎町は、ぼくらタクシーにとってそんな存在なんじゃないかな。

 まあ、そんなこといったって、この街の人混みは、住人や常連よりもはるかに多い数の流動的な人たちによって形成されていて、だから様々な商売が盛んだし、ぼくらタクシーも少なからず潤わせてもらっている。今、ぼくはこの街で仕事をするのを避けているけども、かつてここで毎日仕事をしていた時期だってあったし、で実際、事件に会ったという経験もない。いざ暇でどうしようもなくなったら、きっとまたここに来るはずだ。

昔、この街で

 ぼくはタクシーをする前にもこの街と深くかかわった時期があった。病人として。
 この街には実にいろいろな遊びがあるけども、ぼくの場合は賭け事で、お金を手にしたらそれを全て賭け事に注いじゃうギャンブル依存症だった。まあ、数千万の借金をこしらえるとかの甲斐性もなかったし、せいぜい数十万円の勝負に一喜一憂される程度の。
 パチンコや麻雀もしたけども、主にポーカーゲームにハマってしまった。今でこそその看板を歌舞伎町では見なくなったけども、当時この非合法のギャンブル場がたくさんあって、勝てるわけのない機械相手に多くの人が虜にされていた。夜な夜なこの街にやって来ては給料のほとんどを注ぎ込んで、もちろん借金もこさえて、友人を裏切るようなこともあったし、それによって仕事も失って、更にそのポーカーゲーム屋に仕事を求めて、そしてその給料をまたポーカーゲームに使ってしまうという典型的なジャンキーで、薬物依存でいうシャブ中といわれる人たちと全く変わりのない症状だった。ギャンブルをするために嘘はつくし、どんどん深みにハマって行った。その嘘も、その賭け事で「勝てば、全ては嘘ではなくなる」と、そう自分にまで嘘をついて。

 そういう街に入り浸っていると、ぼくのような人間を食い物にするしたたか者も現れて、更に更に深みに入れられる。ソイツは早乙女という男で、ポーカー屋の店長だった。早乙女は店の金をちょろまかすためにぼくを雇い、勝つ可能性を強くした台でゲームさせ、7、8万円稼がせ、一万円をよこす。よその店にも行かせて、同じようにする。その時は、「そこの店長にもお金を渡さなければならないから」と5千円だけぼくによこす。店のオーナーは監視カメラで確認するから、店の中では他人のフリ。一時間後に店の外でお金のやり取りをした。段々エスカレートしてきて、これ以上続けたらもうマズいな、と思い始めた頃、早乙女もぼくの限界を察してか、ちょっと大きな仕事を持ちかけた。闇カジノだった。
 その頃はカジノバーだって歩いていればすぐに見つけられるような感じだったんだけど、早乙女がぼくに指し示したのは、ちょっとヤバいところで、歌舞伎町の外れの方の少し目立たない大きなマンションのような建物の中にあった。

 その一室のドアを開けると廊下を抜けてまたドアがあって、そこのインターホンを押して、打ち合わせ通り「黄色いアサガオ、山本です」と言うと、2、3秒後にドアが開き、そこにはまるっきりその筋の人間が立っていて、ジロリと見られて、先に通される。でまた次のドアにその男が何かをつぶやくとそのドアが開いて、2人の男がお辞儀をしていて、カーテンを開けるとそこにはルーレット、バカラ、ポーカーを楽しむ人たちで賑わっていた。びっくりするような広さで、しかも4、50人ほどの人が遊んでいて、マンションの入り口からはとても想像できなかった。音楽は大きく響いていたけども、チラチラと映るあきらかなヤクザ者の姿によって、カジノバーというよりは賭場という雰囲気だった。

 早乙女の指示は、「何もするな」だった。四十分間、うろついたり、座って勝負をのぞいたりしながら、指定の時間が来たら「トイレに入れ」ということで、そこで従業員と待ち合わせ、コイン二枚を受け取って、また三十分間、うろついたり、勝負を眺めて、そして、キャッシャーと書かれた窓口でそのコインを換金し、お金を受け取ったら速やかに「そこを出ろ」という段取りで、受け取った現金は六十万円だった。
 表に出ると、すぐに早乙女が寄って来て、ドトールコーヒーに連れていかれた。で、受け取った現金全てを渡すと数え終わった後、そのうちの二枚をぼくによこした。その危険さと釣り合わないと思ったぼくはそれを訴えたが、早乙女は冷めた目で「だからいつもより多いだろ」と静かに脅しをかけて、それ以上は何も言わなかった。早乙女はぼくよりも5、6歳は年下で、はじめはぼくにも敬語を使っていたけども、最後にはこんな感じだった。まあ、ぼくはただのジャンキーで、見下されたって当然の人間だったし、その二万円もすぐにポーカーゲーム機に吸い込まれる結果になるだけだったし。
 その後、早乙女からは一度だけ電話があったけども無視すると、もう二度と掛けてこなくなって、ぼくの足も歌舞伎町から遠ざかった。

流れ着く構造、自分の場合

 そんなぼくが仕事も住む家も失うのにさほどの時間はかからなった。でも、居場所を失い彷徨っていると、いつの間にか、また歌舞伎町のネオンの下に、自分を見つけた。

 自分の居場所がなくなると、どこに居ればいいかわからなくなるのは当然で、できるだけ人目に付かないところにそれを求めるんだけど、そんな居場所のないような人間は、どこに居たって目立ってしまう。身を隠すために彷徨えば、どうしてか人混みに足が向くのは、そうなった人間にしかわからないかもしれないけど自然とそうなるもので、で一番居心地がよかったのが歌舞伎町だった。

 どんなに無慙な姿で歩いていたって、ここでは、誰も彼も放って置いてくれる。周りには大勢の人がいるけども、一人でいられた。商売の邪魔にならなければ道端に寝ていたって平気だし、自動販売機の返却口に指を入れて忘れ物を確かめて歩いたって別段目立たなくて、寝そべってその下に落ちている銀貨に手を伸ばしてたって、ジロジロと見るような人は一人も居やしない。同じことをしている人も見かけたし。
 でも何よりも安心できたのは、ここではどんな負の心境だって飲み込まれてしまう、というようなところで、金に狂った人も、女に狂った男も、男に狂った女だって、ヤクザだって、家出少女だって、浮浪者だって、犯罪者だって……みんな溶け込んじゃうんだから。

 人の心の中にポッと浮かぶ、その「欲望」という火を、灯らないようにするなんて誰にもできやしない。ただ、その火が燃え広がらないようには誰にだってできて、我慢したり、適当に発散させたり、常識や道徳観、倫理観なんかを駆使して自分の心を制御する。でもそもそも欲望なんてものは炎となって初めてその意義を保つ類のもので、歌舞伎町は、そういうどうにもできないものを他の街から押し付けられてしまった、そういう街だ。だからまあ、燃え尽きた残りカスがそこにあったって少しも不思議じゃないってことかな。

 その後ぼくはある女性と知り合うことよってそこから脱することができたんだけど、おそらくその人は、ぼくがそこから抜け出す手ほどきをしたつもりなんてなかった。ただ、その人の魅力について行きたいというぼくの欲望によって、意味のない病的な依存症を克服できたのだと思う。
 欲望というものの存在は、あってはならないとは決していえず、かといって肯定してしまったら変なことになってしまうもので、歌舞伎町もまた同じような存在なのかもしれない。欲望とは、声には出せないけども、なくてはならないもの。
……いずれにしろ、今ぼくは、そうした自分の過去を他人事のように話せている。

歌舞伎町、昨日や今日の

 さて、そんな歌舞伎町で一風変わったタクシーたちに出会ったんだけど、その人たちは欲望に対してなんとも素直で、何か少し新鮮な思いすら込み上げてきたので、そのときのことを見たままに書き表してみたい。

 まあ、他人様がどう思うかはわからないし、それに何というか……その人たちはあまり褒められるようなタイプではなくて、でそんな人に好感じみたものを持ったりしたらみんなはぼくを非難しかねなくて、だからまあ、「見えたまま」と言い訳させてもらうとして。

風林会館を曲がったとこ

 この間、「歌舞伎町まで」というお客さんを乗せた時なんだけど、「靖国通りから区役所通りに入って、風林会館の信号を左ね」と最もコアな歌舞伎町を指示されて、お客さんは降りるだけだからいいけど、ぼくらにはその後のことだってあるんだから、「そんな奥の方まで入らなくたっていいじゃねぇかよ~」と思いながらの進行だった。でも、「風林会館のとこで降りて下さいよ、どうせそこから近いんでしょ」とかは言ったらダメということになってるので、しかたなく黙ってそこを曲がったんだけど、案の定、曲がった直後に「あっ、ここでいい! 止めて」と言う。一方通行だからもう逆戻りはできないし、でも「ちょっとは気ぃ遣って曲がる前に降りればいいじゃねぇか!」とかは言ってはダメということになってるので、心の中で歯ぎしりしながら会計をした。

 もう後ろには戻れないし、左に曲がったらどの道も狭いし、人も超多いし、右に行っても同じで、少し人通りは少ない分ガラの悪い度は濃くなるし、だから真直ぐ行くしかないけども、ますます歌舞伎町度は濃くなっていく。でもまあ、お客さんを乗せようと思って来た時にだって必ず乗せられるというものでもないし、ただやり過ごせば、何事も起こらないはずだ……と自分に言い聞かせて、仕方もなく前進した。
 でも、「さっきのお客がもうちょっと気を遣ってくれていたらこんなとこ入らなくたって済んだのによぉ~」とかって被害者意識が過剰に作用していると、ますます嫌なヤツがかかわって来そうな予感がしてくるもので、で何の法則なのか、そんな時に限って、そんなシチュエーションはいつも必ずやって来る。

 目の前を幾人もの人が平気で横切って行く中、そろりそろりと進行して行くと、人影の向こう側に静止してこちら方向を見つめている男が一人。お客さんを探してる時だったら「ロックオン!」という感じなんだけど、でもこの時の心境は、もうとにもかくにも、少しでも早くここから抜け出したくて、すかさず目をそらし、ロックオフ。でも、真直ぐ進むしかないし、もう観念して普通に乗せるしかないんだけど……なのに、何とか乗せない方法を考えてしまうのもまたタクシー運転手の性。そのチンピラのような格好の男に段々近づいて行くと、その男はポケットから手を外し、「乗るぞ」と合図をする準備に入った。

 まず、こういう人とかかわる時には、見えないふりをしたって通用しないし、そもそもその先が混雑していてすぐ捕まってしまうから絶対にそれをしてはならない。そして、乗って来たら必要以上に良くも悪くも対応してはダメだ。でも、それさえ気をつければ、何事も起こらない。その二つさえ気をつければいいってのに、「さっきの客が気を遣ってくれてればこんなとこ入らなくたって済んでた!」が頭に浮かんで、ぼくはちょっと頭が弱いのか、三つ以上のことを同時に考えていられなくて(二つまでは大丈夫)、で先に考えた方に上書きされちゃうから、一番しちゃいけないことをして、よく失敗してしまう。で、見えないふりをして、そのチンピラと反対側を白々しく眺めながら通り越したんだけど、前方はたくさんの人が横切るし、案の定、追いかけてきたチンピラに捕まってしまった。
 「てめぇ何逃げてんだよぉ!」と言ったかどうかは記憶にないが、そんなようなことを口走ってトランクを叩いた。運転席の窓のところに来たので仕方なくパワーウィンドを下げると「××××」と早口で何を言ってるのかわからなかったので、「どうしたんですかそんなに慌てて、乗るんですか?」と落ち着いてトボケたんだけど、やっぱり通用しなくて、ごちゃごちゃになっちゃって、「降りてこい!」だのなんだのと言われて、で困っていると、「どないしはりました? 兄さん」と違う人の声がして、見ると、桑田さんだった。

 その人は桑田良一さんといい、よく行くタクシー乗り場でたまに会う運転手で、だから笑い掛けると、桑田さんはぼくには目もくれずに、チンピラに向かって、「どないしはりました?」と関西弁で尋ねた。
 チンピラは、「なんだお前ぇは? 関係ねぇだろぉが!」と言うが、今度桑田さんはぼくにチラッと目をくれ、でチンピラに「あっ! またコイツや。兄ぃさんね、こんの野郎は、いっつもボンヤリ運転してて、ダメなヤツなんですよ。こんなヤツ相手にせんと、こっちのタクシーに乗って下さいよ」と自分のタクシーを指さす。でもチンピラは、桑田さんを三秒ほどジッと眺めて、「とにかく、気ィつけろやハゲ!」とぼくの方に吐きつけて、で、桑田さんのタクシーよりも更にもう一台後ろのタクシーに乗った。桑田さんは、「あら。向こうのに行っちゃった」と呟いてからぼくを見て笑い掛けた。で、ぼくは「助かりました……」とお礼を言いかけたんだけど、チンピラの乗ったタクシーがクラクションを鳴らすもんだから遮られて、そしたら桑田さんは「関さんね。大交番を曲がって職安通りに出たところに車止められるから」と自分の車に乗り込み、だからぼくもそこに向かって、またそろりそろりと走り出した。

 日本一忙しい交番といわれる歌舞伎町交番を右折して、細い登り坂を行くと、立ちんぼがチラチラと立っている大久保公園を横目に職安通りに出た。この辺りまで来ると歌舞伎町の喧騒から離れて、どうにか一息つける。車を止めて外に出ると桑田さんも出て来て、そこにあった自販機の前で、「何飲みますか?」と聞いてきて、「いいです、いいです」と断ると、「じゃあコーヒーで、冷たいのでいいですね」と勝手に押して一本をぼくによこした。 「いやぁ、さっきはすいませんでした、助かりました」というと桑田さんはニンマリと笑って、「なんでアイツ俺のに乗って来ぃへんかったんかなぁ」と話をそらして、でもぼくは、「ほんと助かりました、ありがとうございました」と話しを戻してお礼を言った。

大交番、かなり頑丈そう

 桑田さんは見た目、大柄で強面の六十歳の運転手で、で中身も、そのタクシー会社の制服の下には全身に入れ墨がびっしりと綺麗に描かれていて、まあ、元ヤクザなんだけど、今はもう組とは綺麗さっぱりと縁を切って警察の暴力団指定からも外されているから、すっかり堅気の、タクシーという仕事を大切に思う人の一人で、たまにしか出会わないけど、何故か気の合う人で、居れば寄って行ってよく話をする人だ。

 でその桑田さんと「いやぁ~まいりました」「歌舞伎町ではあんなことしょっちゅうですわ」なんて会話をしていたら、タクシーが二台続けざまに来て、二人の若い運転手が降りてきた。「お疲れ様でーす」と声を掛けてきて、桑田さんはぼくに、「仲間ですわ」と超簡単に紹介した。二人ともさっきのチンピラのような雰囲気で、そのうちの一人が、「なんですかコイツは?」と威嚇気味に言ってきて、で桑田さんは「関さんや。大崎で仲ようしとる」とその警戒を解いた。するともう一人の方が、「俺わかる? たまに大崎行くんだけど」と自分はぼくをわからないくせに聞いてきて、だからぼくも「ああ、たまに見るね」なんてテキトーに答えると、「テキトーだなぁ」と返された。この種の人たちはキツイ言葉を投げかけて、その反応を確かめながらその人間を見定めようとする。だから初対面がその後に強く影響するので、少々強い態度を示さなくちゃならないからちょっと疲れるんだけど、でも、無事になんとか溶け込んで「仲間」の会話に加わった。
 
 桑田さんたちはこの場所でよく休憩し雑談するそうで、全部で七、八人の「仲間」がいるとのことだった。みんな桑田さんを頼りに集まって来るみたいで、この後ここで一時間ほどつぶしちゃったんだけど、もう三人現れて、みんな歌舞伎町を仕事場にしている、歌舞伎町によく似た、早い話が不良で、タクシー会社を渡り歩くタイプの人たちだった。すぐクビになっちゃうから。
 まあ、同じタクシー運転手として共通の話題はあるけども、何というか、毛色の違った人たちで、ちょっと常識が異なっていて、こちらが少数の現場では、何か、異文化と接触しているような感覚すらする。

 タクシーの運転手が集まると、お客さんの悪口を言い合ってガス抜きをするもので、でも桑田さんの仲間たちのは、ガス抜きというか、その車室で起こった厄介事の発表会みたいだった。普通のタクシーたちは、「相手はお客さんなんだから」と言いたいことも言えずにストレスが溜まるから、その発散が必要になるわけだけど、この人らはその我慢が苦手で……というよりは、その気持ちが欠如してて、だから、ちょうどこの時の会話でも、「さっき客がね。何も言わずに弁当喰い出したもんだから『ねえ、家まで我慢できないの?』って言ってやったら険悪な空気になっちゃってさ」なんて具合に不安を作り出すわけで、もしぼくが、「なんで『我慢できないの?』って言うのを我慢できないの?」と聞いたらば、「なんでこっちが我慢しなきゃならねぇーんだよ」と素直に返されていたに違いない。まあ、自分のしたいと思うことに対してためらいを知らなくて、それでいつも苦情や問題を作り出すっていうのにそれを何度も繰り返す懲りない男たちだ。

 桑田さんは概ね笑って聞いていたが、「一応最後までキチンと乗せな」「お金払わんとかいうたら喧嘩したらええ」「叩き降ろす前にはこう言わなあかんよ」とか口をはさむ。同じ価値観を持つ仲間の気持ちと同調をしつつ、世間との折り合いの付け方を指導する。運輸局の人間が聞いたら「そんな指導は言語道断だ!」と怒るだろうけど、自分の気持ちをどうにも制御することができない彼らには、絶対的な存在が必要で、自分たちにはわからないことをその人にゆだねないと生きていけなくて、だから、自分たち用のルールを作るよりない。

……で、そんな会話で盛り上がって、ぼくはもうその悪辣さに辟易しはじていた。その時、また二人の男が歩いて寄って来て、見るからにその身なりはタクシー運転手だった。何か、ただならぬ雰囲気を背負っていた。何故かぼくの目をくぎ付けにして、でみんなも同じだったようで、話を止めて注目する。桑田さんは、「誰か知っとるか?」とその二人の男から視線を動かさずに尋ねると、みんな首を振った。

 一人は五十歳前後もう一人は三十歳代と思われるが、その二人とも思いつめた顔をして頭を下げ、で「ここに小池ってヤツはいますか?」と聞いてきた。桑田さんは「今はおらん。小池がどないかしましたかの?」と丁寧に応対した。若い方の男は、「自分の女のことで」という。桑田さんはピンときた様子だったが、「なんや知らんけど、おらんのでまた出直してもらえますか」と年長の運転手に言った。年長の運転手は「わかりました……」といいかけたが若い方の男が「本当かよ!」と遮った。すると桑田さんの仲間の一人が「いねぇっていってんだろうが!」と怒鳴って、飛び掛かりそうになったところを桑田さんがそれを防いで「お前は黙っとらんか!」と言って、向こうの年長の運転手も若い運転手に「今日は言うこと聞けって言っただろ!」と言い聞かせた。が、若い者たちは止まらず、一瞬揉み合いにまでなって、ぼくは止めに入るわけにもいかないし、黙って眺めていた。

 まあ、殴り合う気は双方とも元々なかったみたいで、だからすぐに落ち着いて、再び対峙した。年配の運転手は桑田さんに、「コイツは女のことで来てますが、オレはそれが商売にかかわってるから出張ったんですわ」といい、「どういうことや?」と聞く桑田さんにその理由をぼそぼそと話し始めた。ぼくは部外者だからあんまり近くに寄るわけにもいかず桑田さんの側には人が多かったから反対側の少し後ろの方に居て、だからよく聞き取れなかったんだけど、後で桑田さんから聞いたところによると、若い方の男の彼女もタクシー運転手で、その小池という桑田さんの仲間と同じ会社なんだそうだけども、どうも悪い仕事の仕方を教えてるみたいで、で、その彼女がタクシーセンターの取り締まりを受けてしまいタクシーをやめなくちゃならなくなる寸前で、だからその年配の運転手はそれを疎ましく思って進言しに来たらしい。で、若い男の方は方で、小池と彼女がプライベートでも遊びに行くとかで文句を言いたくて来ていた……というようなことだったみたい。

 とにかく、年配の運転手は「そういう仕事をしてること自体俺たちにはうっとうしいし、世間からもますます虐げられる原因になるんだからやめさせてくれ」といい、「とにかく確認せんことには『わかった』とは言えんから、今」と追い返そうとすると、また若い方の男が「とにかく遊ばせなきゃいいんだよ!」と怒鳴り、それを年配の運転手がたしなめようとした瞬間に桑田さんの仲間の一人が「お前が自分の女に言えや!」と返す。若い方の男は「クスリをチラつけせるから言ってんだよ!」とにじり寄り、桑田さんは「誰がや!」と凄む。確信が持ててないのか若い方の運転手は少しひるみ、それを見逃さない桑田さんの仲間の一人が「証拠はあんだろうなぁ~?」とたたみかけると、若い運転手は黙っていた。で仲間の一人が「あいつはそんなもんやらねぇし」と言ったら、若い運転手は「嘘コケ!」と大声でいうとスッとズボンのポケットに手を入れた。その瞬間! 桑田さんが「ワレ何出すんじゃい!!」と怒鳴り、仲間の一人が「無茶コケ!」と叫ぶと、みんな半歩下がった。ぼくの位置からは若い運転手の手にスマホが握られていたのが確かに見えたんだけど、若い運転手はその手をポケットにまた戻し、桑田さんを睨み返す。でぼくが、「スマホですよ……」と言いかけたその時、桑田さんは「おおう! 刺してみんかい!!」とバババッとワイシャツの前のボタンを引きちぎって大きく広げ入れ墨の肌を出して、「ここやっっっ!!」とうなる。すると年配の運転手が若い方の男の頬を平手打ちし強く叱りつけて、桑田さんに向き直った。で、「あとでしっかりと言っときます。今日はこれで帰りますが確認だけしといて下さいよ。また来ます」と頭を下げた。
 桑田さんの仲間の中から「そんなんで済むか!」という声が聞こえたが、桑田さんが「もおええ! こうして正面から訪ねてきた人がまた出直す言うてるんや。黙っとれ」と諭して、去っていく二人を無言で見送った。それでも仲間の一人が、「健全に遊んでただけなんじゃねぇの?」と声に出した。若い方の男は立ち止まり、振り返り、「遊ぶんだから健全じゃねぇだろう」と静かに言って、また歩き出した。「そりゃそうだ」と誰かが声にして、みんなは納得したみたいだったけど、ぼくには意味がわからなかった。

 二人が建物の角を曲がり姿を消すと桑田さんは、「……何やお前、『無茶コケ』て、そんな言葉あるかい!」と指摘。言った人は「えっ?」となり、「『えっ』やあらへん。お前、アイツが『嘘コケ!』いうたのにつられて間違えてもうたんやろが!」とツッコむと、みんな声をあげて笑った。ぼくも可笑しかったんだけど、あんまり笑うと突っかかって来そうだったら少しこらえて、でその時、若い方の男が手に持っていたのはスマホだったことを口にしなくてよかった、とつくづく思った。ぼくはやっぱり部外者だ。

 桑田さんは、何とか生き残っていた一つのボタンでワイシャツをとめ、少しテレたような顔をして、「これじゃあ仕事にならんので帰りますわ」とぼくに言って、そして、自分のタクシーのトランクを開けて上着を取り出した。みんなには「小池には俺から話しとくから何も言わんでいいぞ!」と言い残し、タイヤを鳴らし猛スピードで走り去った。ぼくはもう別にそこにいる理由がなくなったので「じゃあ」とだけ言って車に乗った。その時、「また来なよ」という声がしたからそっちを見ると、何か、本当に来てほしそうな顔をしていたのが印象的だった。
 こういうことがあると興奮冷めやらぬ心境になるものだけど、不思議なほど冷静で、テレビを見終わったあとのようにさっきの出来事を思い返して、そして、「遊ぶんだから健全じゃねぇだろう」という言葉だけがこだまし出した。

歌舞伎町という存在

……あれ以来、そこへは一度も行っていないけども、桑田さんとは相変わらずたまに顔を合わせ、そして合わせたら車から出て、寄って行って話をする。
 で、あの時の話題になった時に聞いたんだけども、あの時、あの若い運転手が手に持っていたのがスマホだったことは入れ墨をさらす前に気づいたんだそうで、でもそれよりも一瞬早く体が反応してしまったみたいで、「なんや知らんけど勝手に体が動いて自動的に言葉が出おって、もう止められへんかった……」とか言っていた。「ヤクザ者の入れ墨いうんわね、ケンカせえへんためにありますねん。自分がケンカに勝とうが負けようが、ただでは済まさんいうことをね示すんですわ。ヤクザ者の中には本当に殺してまうヤツがいますさかい」と続けたけども、「……せやけど、普通に過ごそう思うたらそんなもんがあったらあきませんねん。せやから隠すんですけどね、日陰者の証拠みたいなもんですわ」と入れ墨が自分たちにとって負の存在でもあることを説明してくれた。

 まあ桑田さんは入れ墨が見えなくたって雰囲気を見ればそんな姿がありありと伝わってくる人で、だから他人は、桑田さんに寄って行くぼくの姿に「ヤクザ好き」というような色眼鏡で見ているような節があるけども、でもぼくはヤクザには興味はあるけども、好きってわけではない。ただ、桑田さんはぼくにとって数少ない「話の通じる人」で、話していると気が落ち着くから近寄って行くだけだ。でも迷惑になってもいけないから近づき過ぎないようには気をつけているし、桑田さんも同じようにしてくれているような気がする。気の合う人だからよくわかるんだけど、まあぼくにとってかなり大切なタクシー仲間の一人であることは間違いない。

 歌舞伎町で会ったあの仲間たちのことをぼくにはあまり話さないけども、でも時々話すその仲間の姿のとぎれとぎれの断片をつなぎ合わせて、で桑田さんの口調を借りて説明するとすれば、こんな感じだろうか……

「アイツらはねホンマにもうどうしようもないくらい悪いことばっかりするんやけども、でもしょうがありませんわ。だって悪いことを悪いと思いませんねやから。アイツらの中にヤクザ者だったいうのは一人もおりまへんの。だから余計に我慢が足らんのかもしれへん。せやからセンターに苦情が来りね、会社をクビになったりね、懲役にね出たりしたって、まぁた同じことしよる。でもアイツらにも家庭があって、ごっつ美人のかみさんがおるヤツも、かわいらしい子供もおって、生活せんとあきませんから仕事せなあかんのですが、でもダメですねん。クビになるようなことを、まぁたしてしまいよる。悪いことがわからへんのはどっか一本足りないからなんやろうけども、わからんものはどうにもでけへんの。でも、どうやろ? こうは考えられへんやろか? 世の中には怒りたい人間がたくさんおるやないですか。そんな人はね、怒られる人間がおらんかったら困りますやろ。だからアイツらが存在しまんね。役に立っとるんですよ。ワシもやろか?」

 彼らは、桑田さんでも手を焼くほどの悪辣さで、でも慕って来る以上無碍にもできないし、なんだかんだいっても自分と同じ道を歩いている人間の面倒を見るということは、人間として当然の欲望なのだろうし、同じ気性の人が寄り集まってお互いを守るのはすごく自然なことな気がする。あの時やって来た二人のタクシー運転手もそんなふうにできた仲間なのかもしれないし、他にもそんなグループがあることも想像に難くない。

 よく「必要悪」という言葉を利用して悪を正当化しようとする人がいるけども、「悪」はあくまでも悪いことで、肯定してはダメだ。でも全ての物事にはそういう部分が必ず含まれているものだし、悪いことがあってはじめて全てが形成されているのも紛れもない事実だ。
「遊ぶ」ということにだって、そこにはリスクが少なからず必ず含まれているもので、それがなければ「遊ぶ」という楽しみは決して生まれない。「健全に遊ぶ」なんてことは「遊ぶ」ことではないという考えは、至極正当な意見なようにも……

 まあ人間は、「したい」と思うことによって生きていられる。だから、「欲望」なんてものがなければ存在すらできないってもので、でも他人の欲望は自分にとっては邪魔なものだし、だから自分の欲望だって自嘲しなきゃ迷惑になる。だから、自分の欲望はあまり口にはできないんだけども……まあ歌舞伎町は、今のぼくにはあまり関係のない街だけども、でも絶対になくなってほしくない街、そんな存在だ。

余談

 この話を表したいと思ったのは、「徒然草」で読んだある一段とぼくの目に映ったものが被ったからだけど、言葉に表してみると、思っていたようなものにはならなかった。
 でも、「したい」と思ったとおりにならないことは、すごく愉快で、昔、クイズダービーで篠沢教授が、知らない問題に対して「非常に愉快」と言って出場者や視聴者の不安をあおったのとまた被り……まあ歌舞伎町も思ったとおりの街ではないから、だから愉快だったのかも。

 
    徒然草  第百十五段

 宿川原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来るぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、ここに候ふ。かくのたまうは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思いて、尋ね申すなり」という。いろをし、「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。ここにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあわん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給うな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。
 ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ、梵字、漢字などと云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て争淨を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしままに書き付け侍るなり。

 この「ぼろぼろ」という者たちが、ヤクザの始まりという説があって、ぼくもそうなんじゃないかと感じる。
 日本においての「ヤクザ」というものの立場とは、世界的にも珍しくて、非合法としながらも、その存在を認めている。そういう者への目の向け方って、日本人特有というか、日本人の個性といえるのではないかと思う。

 このぼろぼろという者たちの、死を重く考えられない思考、世をしのびながらも我欲のままに生き、戦いに明け暮れるくせに任侠などとうたうというその様には、かの兼好法師ですら新鮮に感じたくらい、人間の種類の違いがあるような気がするが、昔は折り合いがとれていたようにも見受けられる。

 ただ、グローバルな世界において、そうした個性は邪魔であるし、今後そういう考え方はなくなっていくと思われる。よいか悪いかは別にして、我々人間はたくさんのものを殺して生きている、という自覚を持つのが大切なのかも……なんてことが心に浮かんできた。
 よいか悪いかは別にして、だけども。


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