千鶴子さんと。

千鶴子さんと。

いつからか音信不通になってしまった千鶴子さんのこと。 作文を書く先輩で、ずいぶんお世話になった。とても、ユニークで興味深いかただった。 ***** 年上の友人千鶴子さんに横浜桜木町であったおりのこと。 赤羽駅で人身事故があったとかで、電車のダイヤが乱れていた。また、違う線でも何件か同様のことがあったらしい。 昨日あんなに暖かくて、今日はこんなに寒くて雨模様だから、その気温や気圧の変化に対応できず、そのひとたちの気持ちがうつむいてしまったのかもしれないなあ、なんてずい

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読解力を身に付ける方法⑤【完】

読解力を身に付ける方法⑤【完】

今の時代に生きる人は、日々の生活で感じたことをSNSで発信し、多くの人に読まれている。私も、その一人である。 平安時代に、清少納言が「枕草子」で伝えたかったことは何か。 鎌倉時代に、兼好法師が「徒然草」で日々書き綴っていたことは何か。 同時代に、鴨長明(かものちょうめい)が「方丈記」で説いていた無常論は何か。 時代は違っても、私たちがSNSで発信していることと同じことを、清少納言も兼好法師も鴨長明もやっているのである。 清少納言が、今の時代に生きる私たちの書いた文章

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心のおもうままに

心のおもうままに

 2021年7月26日から18日間、【ライオンズゲート】が開くそう。スピリチュアルの世界で言われているそうで、一般には馴染みのない言葉。  そういう不思議なものに、なんとなく触れていたい時ってあるもの。そういう時は思い切って身を委ねて、見えないエネルギーを感じてみる。  ここnoteのアカウントを作って2年が過ぎ、初めて書き込んだ白いキャンパス。親指を忙しなく動かしキーボードを叩く。次々自分の気持ちを文字にする。  これもきっと【ライオンズゲート】パワーからのお導き。た

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引き算の美、余白の美

引き算の美、余白の美

日本にはよろしくとか、お陰様で、などといった短い言葉でお互いに察し合う文化があり、その先に俳句や短歌があるといえましょう。 黙ることで生まれるのは余韻であり暗黙智といわれるもので、その沈黙の中にこそ答えがあるのかもしれません。 なぜなら本当の答えは教えてもらうのではなく、自分で気付くものだからです。 語り尽くさない「間」の美しさは短詩に限らず、折り紙とかあやとりなどの日本の文化の全てに共通していて、山水画や水墨画などの余白は、全てを描き尽くそうとする西洋画とは正反対です。

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ぼんやり

ぼんやり

最近、休みといえばぼんやりしているうちに終わってしまっている。そんな今日もぼんやりマンガを読んだり本を読んでいるうちに終わってしまった。 明日は出勤と分かっているのに寝たくない。オリンピックや好きな動画を見て、ラジオなんかも聴きながらのんびりぼーっと過ごしたい。 オリンピックでは頑張っている人がたくさんいて、周りで支える人もいて、他にもたくさん頑張っている人がいて、そんな中に私も生きている。果たして誰かの役に立っているのだろうか。私の存在意義とは。 とにかく今週は競泳の

徒然草第百九十四段 達人の人を見る眼は(3)

徒然草第百九十四段 達人の人を見る眼は(3)

(原文) 愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞にても顔にても、隠れなく知られぬべし。 まして、明らかならん人の、まどへる我等を見んこと、掌の上の物を見んが如し。 但し、かやうの推しはかりにて、仏法までをなずらへ言ふべきにはあらず。 (舞夢訳) 愚かな仲間うちの戯言であったとしても、真に知識を持つ人の前では、今まで例示してきた様々の反応を、人の言葉や表情から、しっかりと分析されてしまうのである。 そのうえ、深く洞察力を持つ人から見れば、物事の道

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徒然草で意識を変える、「丁寧に暮らす」こと

徒然草で意識を変える、「丁寧に暮らす」こと

「つれづれなるままに、日暮らし、硯すずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」 日本三大随筆の一つ、兼好法師の「徒然草」の冒頭。義務教育で習い覚えたこのフレーズは、大人になっても記憶に残っている人もいるのでは。 徒然草の三十二段を知り、「人に見られていない時でも、丁寧に、穏やかに過ごしたい」「人の目がなくても、恥ずかしくない生き方をしたい」と思い、背筋をちょっと意識するようになった話。 * 九月半ば頃、兼

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蹴鞠〜恥ずかしくなる時〜(徒然草177段)

蹴鞠〜恥ずかしくなる時〜(徒然草177段)

むねたか親王様の家の庭で蹴鞠大会があっったとき 雨が降ったあとだったで、庭がまだ濡れていてみんなが困っていた。 そんな時、佐々木のオキ入道がやってきて 湿った庭に車積んできたオガクズを撒いたので足元のぬかるみが気にならなくなった。 それをみて、人々は 「雨が降って庭がぬかるむことを予想して、オガクズを用意するとは なんと用意のいい方だ。」 と、感心していた。 この話を吉田中納言が聞いて 「そんな品の無いオガクズを使うなんて 乾いた砂は用意して無かったのか?」 言ったので、

徒然草第百九十四段 達人の人を見る眼は(2)

徒然草第百九十四段 達人の人を見る眼は(2)

(原文) また、推し出して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ誤りもこそあれと怪しむ人あり。 また、ことなるやうもなかりけりと、手を打ちて笑ふ人あり。 また、心得たれども、知れりとも言はず、覚束なからぬは、とかくの事なく、知らぬ人とおなじやうにて過ぐる人あり。 また、この虚言の本意を、はじめより心得て、少しもあざむかず、構へ出したる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。 (舞夢訳) また、自分なりに考えて、「ああ、そういうこともあるのか」とも考えながらも、それでもどこ

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徒然草第百九十四段 達人の人を見る眼は(1)

徒然草第百九十四段 達人の人を見る眼は(1)

(原文) 達人の人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず。 たとへば、ある人との、世に虚言を構へ出して人を謀る事あらんに、すなほにまことと思ひて、言ふままに謀からるる人あり。 あまりに深く信を起こして、なほわづらはしく虚言を心得添ふる人あり。 また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。 また、いささかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。 また、まことしくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さもあらんとてやみぬる人もあり。 また、さまざまに推し心得たる

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