あなたは日本人として「侘(わ)び」と「然(さ)び」を明瞭に語ることができますか? -究極の日本精神文化論『侘び然び幽玄(わびさびゆうげん)のこころ』
海外でも知られるWabi-Sabi
最近、街には外国人観光客が溢れています。彼らは、何に惹かれて、訪日しているのでしょうか。
「侘び然び (侘び寂び)」の美学(哲学)は、海外でもWabi-Sabi とか、wabisabiとして知られています。
日本人の世界観や、不完全なる美、また仏教の無常観と結びついたものと説明されています。しかしながら、日本人である私たちは、果たして、「侘(わ)び」と「然(さ)び(寂び)」について、本当に理解しているでしょうか。
『侘び然び幽玄のこころ』森神逍遥 著
平易で美しい表現ながら、奥深い日本の「侘び寂び」の真髄を解き明かした「わび・さび」本の決定版です。
世界に冠たる日本の精神文化の真髄を説き明かし、従来の学説に異論を投げかけた問題作です。
「侘(わ)び」の世界
本文より一部をご紹介します。
日本人を決定付けた梅雨つゆの存在
「しろしかねー」
筆者が幼い時よりしばしば聞かされた言葉である。「しろしい」の変化した語である。それは、梅雨の時のみに用いられた季節限定の言葉である。筆者が生まれ育った九州は、関東などでは全く思いもしない程の量の雨が降る地域である。ただの普段の雨も関東の人が出遭うと豪雨という驚きになる程に、雨に対する本州の人たちとの感覚の差は埋め難いものがある。経験的には本州の人たちも台風を知っているのだが、毎年当たり前の様にその暴風雨に晒される九州人にとって、それは日常の一コマであり受け入れなければならない「定め」でもあるのだ。その度に川は氾濫し田畑は荒れるのである。
だが、筆者はそんな台風が嫌いではなかった。学校が休みになるからばかりではない。その荒れ狂う大自然の猛威に晒されていることが、何故か心地良かったからである。海は荒れ狂い小さな船を呑み込んでいく。その様な時に船に乗れば、巨大な波の中にすっぽりと船影は隠れ、自分の目線の数メートルも上から、その荒れ狂った波が襲ってくるのである。それは当時の筆者にとって生きているという強い実感が持てる「生かされた精神」の満ちる時であった。幼い時より一度としてそれを怖いと感じたことはなかった。
台風一過と言うが、その時の海辺は砂浜を抉えぐり取られ、寒々とした光景へと変わっている。しかしそれも日と共にすぐに元に戻り、また綺麗な浜辺が出現する。何事もなかったかの様にまた平穏な日常が始まるのである。この循環を一つの法則と理解する人としない人の知性の差は大きい。自然を介して輪廻無常を学び取らない人は愚者と呼ばれても仕方がない。
この台風の時に「しろしい」とは誰も口にしない。それは、梅雨の時にのみに用いられる言葉であるのだ。ところが、後に関東に移住した筆者は六月になって驚いたものである。なんと関東には梅雨が無かったからである。有るのは、ただどんよりと曇った日々が続くだけで、しかもたまに降るだけの凡そ雨とは思えない小雨が散見せられただけだったからだ。しかしそれは貧乏学生にとって随分と助かった。下宿の窓の隙間から雨粒に襲われなくて済んだからである。よくよく生活してみると、関東にはほとんど台風らしき台風はやってきたことがなく、梅雨もなく、これでは大自然から学ぶ所の精神の昂揚や深い洞察や諦観といった哲学性は、獲得仕得ないと感じたものである。
この台風の時に「しろしい」とは誰も口にしない。それは、梅雨の時にのみに用いられる言葉であるのだ。ところが、後に関東に移住した筆者は六月になって驚いたものである。なんと関東には梅雨が無かったからである。有るのは、ただどんよりと曇った日々が続くだけで、しかもたまに降るだけの凡そ雨とは思えない小雨が散見せられただけだったからだ。しかしそれは貧乏学生にとって随分と助かった。下宿の窓の隙間から雨粒に襲われなくて済んだからである。よくよく生活してみると、関東にはほとんど台風らしき台風はやってきたことがなく、梅雨もなく、これでは大自然から学ぶ所の精神の昂揚や深い洞察や諦観といった哲学性は、獲得仕得ないと感じたものである。・・・・・(続く)
日本人必読の書!
日本人の精神の支柱と言われながら、日本人の大半がその説明が出来ないという恥ずべき現実と「侘び然びわびさび」の不可解さ。このままではこの国から絶滅危惧種化しそうな勢いで、忘れ去られようとしている。いま、ここで立ち止まり、日本民族としての精神について、真正面から問いかけてくる斯書に読者は腕組みをして、真剣に思索への道を歩み出すだろう。
これは日本人としてのアイデンティティを確立する為の必須の体験である!
〈目次より抜粋〉
序 章 「わびさび」が説明できない
第1章 日本人を決定付けた梅雨
第2章 陰の幽玄/透き通る陽性の幽玄
第3章 「わびさび」の語源
第4章 陽性の「侘び」との出会い/デカルト・懐疑法より上位としての「侘び」/ カント純粋理性批判の所与ア・プリオリの未熟
第5章 再定義/美意識の結晶
第6章 中観と唯識/「侘び茶」の矛盾
第7章 鈴木大拙の孤絶/孤絶観と悟り
第8章 茶の始祖一休/一休の迷い
第9章 全てのものは枯れゆくもの/西洋的心理構造では悟れない
第10 章 侘びと悟り/人生の意味を問う/風情/侘び然びの完成