その17
チベット人が著した最初期の『量評釈』注釈において著者ウユクパ(‘U yug pa,?-1253)は、第40偈の注でこう問題を鮮明化している。
また、〔因中有果論たる〕サーンキャ学派(grangs can)は、普遍と個物は同一と主張する。一方、〔因中無果論たる〕ニヤーヤ学派(rig pa can)は、別異と主張するけれど、普遍からすれば、〔多数の個物の中に、普遍が〕同一なものとして混合している、〔と主張している〕と、伝えられる。この2つを批判する解説として〔同じく
仏教論理学序説
その17
そんな疑念が広がった。そこで、svabhavaのチベット語訳を試してみたくなったのである。ご存じない方に内容を紹介してみよう。
svabhavaは、『倶舎論』や『量評釈』において、1.rang bzhin ,2.ngo bo nyid,3.rang gi ngo boの3種に訳し分けられている。『倶舎論』での用例調査は、ほぼ終了した。その結果、1のrang bzhinは「素材」、2のngo bo nyidは「複数のものの共通な性質」、3のrang gi ngo bo
その14
この第40偈は、実は、ドレイフェス氏にとっても、すこぶる重要な意味を持つ。彼は、同偈に対するシャンカラナンダナ(Sankaranandana)注をmoderate realismの震源の1つとしているからである。その注は、以下のようなものである。
〔ダルマキールティの偈中の〕「すべての集合体(dngos,bhava)」とは、単に、可視的なもの(gsal ba,vyakti)にとどまらず、普遍でもある、という意味なのである。dngos kun te/gsal ba
長くmoderare realismを追求している吉水千鶴子氏は、次のような感想を漏らしている。
筆者は特にチベットのゲルク派において顕著となった普遍の実在(the existence of universals)〔=moderate realism〕を認めるアポーハ論解釈の歴史的思想的発展に関心を寄せてきた…もちろん仏教徒による普遍実在論がダルマキールティ論理学の正当な解釈として主張されるに至るには様々な要因があった。翻訳上の問題、言葉の上での誤解も多々指摘されている。し
その5
シチェルバツキーの他に忘れてはならない学者に、ウイーン大学の教授フラウワルナー(E,Frauwallner,1898-1974)がいる。彼のことは有名な世親2人説でご存じの方も多いだろう。フラウワルナーは、数多くの仏教論理学関係の論文を執筆した。中でも1954年発表の「ダルマキールティ著作の順序と生成」Die Reihenfolge und Entstehukng der Werke Dharmakirti’は重要である。彼はダルマキールティの全7作の位置づけを試み