才所丑松

仏教研究者として末席に40年。 6世紀~インド仏教、特にダルマキールティという人物の研…

才所丑松

仏教研究者として末席に40年。 6世紀~インド仏教、特にダルマキールティという人物の研究からスタートし、14,5世紀のツォンカパまでを視野に入れながら、ここ14,5年は倶舎論を中心とした研究に着目し、これまでの研究と結びつける道を探しています。 記事の無断転載禁止です。

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仏教論理学序説

その17 チベット人が著した最初期の『量評釈』注釈において著者ウユクパ(‘U yug pa,?-1253)は、第40偈の注でこう問題を鮮明化している。  また、〔因中有果論たる〕サーンキャ学派(grangs can)は、普遍と個物は同一と主張する。一方、〔因中無果論たる〕ニヤーヤ学派(rig pa can)は、別異と主張するけれど、普遍からすれば、〔多数の個物の中に、普遍が〕同一なものとして混合している、〔と主張している〕と、伝えられる。この2つを批判する解説として〔同じく

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      その17 そんな疑念が広がった。そこで、svabhavaのチベット語訳を試してみたくなったのである。ご存じない方に内容を紹介してみよう。 svabhavaは、『倶舎論』や『量評釈』において、1.rang bzhin ,2.ngo bo nyid,3.rang gi ngo boの3種に訳し分けられている。『倶舎論』での用例調査は、ほぼ終了した。その結果、1のrang bzhinは「素材」、2のngo bo nyidは「複数のものの共通な性質」、3のrang gi ngo bo

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        その16 賢明な方なら、吉水氏の訳と拙訳を比べ、その違いにすぐ気が付くであろう。bhavaを筆者は、「集合体」と訳し、吉水氏は「存在するもの」とする。吉水氏の訳語が、常識的であることは明白である。また、吉水氏が副詞的に「本来のあり方として」と訳したsvabhavena(rang bzhin gyis)を筆者は「素材によって」と訳した。また、吉水氏が原語を表示するに止めた第2のsvabhava(rang ngo bo)を「独自性」とした。すべて、吉水氏の訳し方が、常識的である。

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          その15 ところが、吉水氏は、「筆者が見た限り彼〔=シャンカラナンダナ〕がこの書で普遍実在論を唱えた形跡はない。」と反論している。一体、どちらの言い分が正しいのだろうか?肝心のその偈を見て、自分で判断する他によい手段はないようである。では、その偈とは、どのようなものであろうか。以下に、まず、梵文とチベット語訳を示そう。 sarve bhavah svabhavena svasvabhavavyavasthiteh/ svabhavaparabhavabhyam yasmad

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          その14 この第40偈は、実は、ドレイフェス氏にとっても、すこぶる重要な意味を持つ。彼は、同偈に対するシャンカラナンダナ(Sankaranandana)注をmoderate realismの震源の1つとしているからである。その注は、以下のようなものである。  〔ダルマキールティの偈中の〕「すべての集合体(dngos,bhava)」とは、単に、可視的なもの(gsal ba,vyakti)にとどまらず、普遍でもある、という意味なのである。dngos kun te/gsal ba

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          その13 また、ゲルク派の特異な時間論について貴重な研究を続けている根本裕史氏は、ドレイフェス氏のmoderate realismを含む提言に見直しを迫って、こう述べている。  こうしたゲルク派の解釈をDreyfus(1997)のように、実在論的であると見なして否定的に評価することも不可能ではない。だが、本稿で明らかにしたように、ゲルク派の学者達は、微視的な視点だけでなく巨視的な視点に立った上でも「無常」や「刹那」の理論を確立しようとした結果、以上のような独特の解釈を打ち出

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          その12 他にも、チベット論理学に詳しい福田洋一氏は、ドレイフェス説を全面否定して、次のようにいう。  いずれの点からも、チベット論理学が普遍実在論〔=moderate realism〕と特徴付けられる余地はないと思われる。 さらに、以下のような示唆的な見解を、続けて述べている。  ゲルク派の解釈は長い時間をかけて、多くの学僧が詳細な論争をしながら検討を加えてきたものであり、われわれのように俄仕込みの研究者が一朝一夕に否定することは極めて難しい。せいぜいサンスクリット語原文

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          長くmoderare realismを追求している吉水千鶴子氏は、次のような感想を漏らしている。  筆者は特にチベットのゲルク派において顕著となった普遍の実在(the existence of universals)〔=moderate realism〕を認めるアポーハ論解釈の歴史的思想的発展に関心を寄せてきた…もちろん仏教徒による普遍実在論がダルマキールティ論理学の正当な解釈として主張されるに至るには様々な要因があった。翻訳上の問題、言葉の上での誤解も多々指摘されている。し

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          その9 moderate realismに対するドレイフェス氏の懐疑的な評価は正しいのか?その真偽を探るためにも、現代の研究者の見解が必要である。いくつか拾い出してみよう。長崎法潤氏は、ダルマキールティのテキスト出版も行った信頼できる学者である。まず、氏の見解を見てみよう。長崎氏は、インド思想全体を俯瞰し、ダルマキールティの属する仏教論理学派の普遍論にコメントしている。次のようにいう。  一般者〔=普遍〕の実在性を批判し続けたのはディグナーガ(Dignaga陣那四八○―五四

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          その8 これに反する動きも当然あった。これを、ドレイフェス氏は、同じチベットサキャ(Sa skya pa)のanti-realism「反実在論」と呼ぶ。一見したところ、こちらのダルマキールティ解釈がオーソドックスなように思える。事実、ドレイフェス氏も、自著で、こう評価している。  それらの思想家〔=サキャ派〕は、新しいアイデアを提示しても、ダルマキールティ自身の考えと近接した形で、それら〔のアイデア〕を守ることを心がけた。 つまり、サキャ派の解釈は、正統的なダルマキールティ理

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          その7 大事な点なので、少し、インドの様子を見、そして仏教論理学の立場を確認しておこう。  管見の範囲では、ディグナーガ(Dignaga)は、自相・共相を峻別したとされる。例えば、ディグナーガ研究の第1人者服部正明氏は、こう述べている。  それ〔独自相=自相〕が一般相(samanyalaksana)と根本的に区別されるべきであること、この区別に対応して直接知覚と概念・推理とが区別され、其の他の知識根拠は無いということ、更に一般相はただ主観的に構想されたものに過ぎないということ

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          その6 ひどく手前勝手な仏教論理学史を綴ってきたが、私の興味の赴くままのもので、客観性に欠けるというより、私が大事であると考えたことを中心としたと理解してほしい。では、現代の論理学研究を以下に紹介することにしよう。  まず、欧米の著名な学者の見解から始めよう。ドレイフェス(G.Dreyfes)は、チベットのゲルク派(dGe lugs pa)(Tsong kha pa1357-1419が創始し、ダライラマの属する宗派)のダルマキールティ理解に光を与えようとした。そして、ゲルク派

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          その5 シチェルバツキーの他に忘れてはならない学者に、ウイーン大学の教授フラウワルナー(E,Frauwallner,1898-1974)がいる。彼のことは有名な世親2人説でご存じの方も多いだろう。フラウワルナーは、数多くの仏教論理学関係の論文を執筆した。中でも1954年発表の「ダルマキールティ著作の順序と生成」Die Reihenfolge und Entstehukng der Werke Dharmakirti’は重要である。彼はダルマキールティの全7作の位置づけを試み

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          その4 またまた脱線で申し訳ない。前回チベット仏教論理学にも触れたが、誤解を招きかねない当地の状況にも目を向けてもらった方がよいだろう。チベットはインド仏教の正統な後継者と考えるべきだろう。それ故、密教も盛んだったが仏教論理学も栄えた。この点、ダルマキールティの諸作品を一つも漢訳しなかった中国仏教とはまるで質が違う。ただ仏教論理学への評価は分かれた。『仏教史』で名高い大学者プトン(Bu ston,1296-1364)は、仏教論理学をそれほど評価しなかった。これに対しツオンカ

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          その3 少々、『仏教論理学』を離れ、赴くままに論じてみよう。ダルマキールティの「量評釈」のうち、特に宗教色の濃い「量成就」章は、いつのころからか、その文頭の7偈を「量の定義を説くものとされた。私の知る範囲ではダルマキールティが定義を特に論じる箇所はない常識的な理解を示すだけのように思える。ともあれ、その理解を頼りに「量成就」章の7偈を見ると、先に紹介したプラジュニャーカラグプタの解釈が最も理にかなって見えた。彼の2派が間違っているとも断定出来ない。30年ほど前には、研究者はこ

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          その2 シチェルバツキーは、序論の中で、興味深い話題の触れている。中でもダルマキールティの主著と思われる『量評釈』Pramanavarttika(現代風に訳せば『認識論注釈』とでも言えよう。その書は絶大な人気を誇ったせいか、後代、解釈が分かれていく。シチェルバツキーは、代表的な解釈のグループとして、「文献学派」「哲学学派」「宗教学派」に分けた。「文献学派」にはダルマキールティの直弟子デーヴェンドラブッディ(Devenndrabuddhi)や孫弟子シャーキャブッディ(Saky

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