仏教論理学序説

その12

他にも、チベット論理学に詳しい福田洋一氏は、ドレイフェス説を全面否定して、次のようにいう。
 いずれの点からも、チベット論理学が普遍実在論〔=moderate realism〕と特徴付けられる余地はないと思われる。
さらに、以下のような示唆的な見解を、続けて述べている。
 ゲルク派の解釈は長い時間をかけて、多くの学僧が詳細な論争をしながら検討を加えてきたものであり、われわれのように俄仕込みの研究者が一朝一夕に否定することは極めて難しい。せいぜいサンスクリット語原文から理解されることと異なっている、ということが言える程度であり、ゲルク派のように解釈できる可能性がないと考えるよりは、我々の理解が浅はかである可能性を検討してみた方がいい場合が多いように思われる。また、サキャ派のように、我々のサンスクリット語原文からの理解に一致するような解釈は、わざわざ検討する価値は少ないとも言えるであろう。同じ思想を前にして我々の理解から遠く隔たっているからこそ、それが我々に思索の機会を与えてくれ、より深い理解へと導いてくれる可能性があると考えられるのではないだろうか。(福田洋一「ゲルク派論理学の実在論的解釈について」『東洋の思想と宗教』17,2000)
ここで、福田氏は、ゲルク派のmoderate realismがダルマキールティ解釈としては、正しいものか、どうか?判断保留にすべきである、としているようである。


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