仏教論理学序説

長くmoderare realismを追求している吉水千鶴子氏は、次のような感想を漏らしている。
 筆者は特にチベットのゲルク派において顕著となった普遍の実在(the existence of universals)〔=moderate realism〕を認めるアポーハ論解釈の歴史的思想的発展に関心を寄せてきた…もちろん仏教徒による普遍実在論がダルマキールティ論理学の正当な解釈として主張されるに至るには様々な要因があった。翻訳上の問題、言葉の上での誤解も多々指摘されている。しかしながらその発生が既にインドにおいてあったと推定される以上、我々はダルマキールティ自身の議論にどのような解釈の可能性があるか吟味せねばならないであろう。彼の論理学が常に実在に基盤を求めるものであるならば、あるいはそのような道筋が生まれたのも自然なことであったのかもしれない。(吉水千鶴子「Pramanavarttika I 40の解釈について」『印度学仏教学研究』47-2,平成11年、p.927,〔 〕内は現筆者の補い)
吉水氏の見解は、中庸を得た客観的なものであるようだ。氏の見解も、当然ながら、ドレイフェス説を視野に入れたものである。あえて、名は出さないが、ドレイフェス説への単純な同意はしていないように見える。

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