仏教論理学序説

その15
ところが、吉水氏は、「筆者が見た限り彼〔=シャンカラナンダナ〕がこの書で普遍実在論を唱えた形跡はない。」と反論している。一体、どちらの言い分が正しいのだろうか?肝心のその偈を見て、自分で判断する他によい手段はないようである。では、その偈とは、どのようなものであろうか。以下に、まず、梵文とチベット語訳を示そう。
sarve bhavah svabhavena svasvabhavavyavasthiteh/
svabhavaparabhavabhyam yasmad vyavrttibhaginah/
(R.Gnoli ed.The Pramanavarttikam of Dharmakirti,Roma,1960,p.24,ll.18-19)
gang phyir dngos kun rang bzhin gyis//rang rang ngo bo la gnas phyir//
mthun dngos gzhan gyi dngos dag las //ldog pa la ni rten can//デルゲ版、No.4216,274b/6)
難解である。これを吉水千鶴子氏は、こう訳している。
 すべての存在するものは、本来のあり方として(svabhavena)それぞれ固有のsvabhavaに定まっているが故に、同種、異種[と考えられているもの]からの(svavhavaparabhavabhyam=sajatiyabhimatad anyasmac caPVSV25,14)異なり(vyavrtti)をもつ。(吉水千鶴子「Pramanavarttika I 40の解釈について」『印度学仏教学研究』47-2,平成11年)
筆者は同じ偈を
 すべての集合体は、素材(svabhava,rang bzhin)によって、自己の独自性(svabhava,rang ngo bo)に落ち着いているので、自己〔と同類の〕集合体(svabhava,mthun dngos)や他の集合体(parabhava,gzhan dngos)から、〔全く〕別異であることには、根拠がある。
と訳してみたい。

 

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