才所丑松

仏教研究者として末席に40年。 6世紀~インド仏教、特にダルマキールティという人物の研…

才所丑松

仏教研究者として末席に40年。 6世紀~インド仏教、特にダルマキールティという人物の研究からスタートし、14,5世紀のツォンカパまでを視野に入れながら、ここ14,5年は倶舎論を中心とした研究に着目し、これまでの研究と結びつける道を探しています。 記事の無断転載禁止です。

記事一覧

仏教余話

その231 さて、これまで見てきたように、インド仏教は、他のインド思想との濃厚な交流を無視しては語ることは出来ない。原始仏教とサーンキャ思想の見事な符合は、仏教…

才所丑松
11時間前

仏教余話

その230 残りの記述に、鎌倉在住の私には、随分と興味をそそる話があったので、以下、それを紹介しておこう。  田舎者の東京行きは成効で無かったかもしれぬが、但し多…

才所丑松
2日前
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仏教余話

その229 続けて、舟橋博士の「倶舎を漁る記」から引用してみよう。  四月二十一日快晴。此日、性相学科生数名を引具して、見学のため御室付近の、倶舎に関係ある二三の…

才所丑松
3日前
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仏教余話

その228 難しい説明に入る前に、昔の『倶舎論』学者の優雅な研究の日々を紹介しておこう。船橋水哉博士は、日本に古くから残る、伝統的な『倶舎論』研究の大御所である…

才所丑松
4日前

仏教余話

その227 さて、従来、チベット語仏教文献は、ツオンカパ研究を機軸としていたせいもあり、中観派や仏教論理学方面の考察は、かなり進んでいる。しかし、『倶舎論』など…

才所丑松
5日前

仏教余話

その226 我々は見たい部分、理解しやすい側面しか捉えていないのである。チベット仏教について、やや詳しく述べたのは、私自身、そこから、限りない恩恵を受けていて、…

才所丑松
6日前

仏教余話

その225 では、話を戻そう。その後、『チベットの死者の書』は、忘れられてたが、ベトナム戦争の頃、1960年代に、反体制派のヒッピーと呼ばれる若者が、『チベット…

才所丑松
7日前
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仏教余話

その224 さて、現代社会がチベットに興味を抱いた経緯も簡単に紹介しておこう。そのきっかけを作ったのは、紛れもなく、『チベットの死者の書』の出版である。この本は…

才所丑松
8日前

仏教余話

その233 もう1人は、ヴォストリコフと同年輩のローエリッヒ(Jurij,Nikolaevic Rerix/Geoge(s)(N.)Roerich,1902-1960)である。彼は、チベットの著名な歴史書、ショヌペル…

才所丑松
9日前
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仏教余話

その232 この問題をシチェルバツキーに伝えたのが、他ならぬ、ヴォストリコフなのである。こういわれている。  章を通常の順序に変えるのか、、伝統的な順序を守ってい…

才所丑松
10日前
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仏教余話

その231 これらの人々は、すべて欧米の研究者であるが、無論、日本の研究者も、チベット資料は、大いに活用している。欧米の研究に比べれば、格段に日本のチベット学の…

才所丑松
11日前
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仏教余話

その230 以下私の管見の範囲で、上記で言及された欧米諸学者の業績を、もう少し、紹介してみよう。まず、トム・ティルマンスは、主に、仏教論理学を専門としている。彼…

才所丑松
12日前

仏教余話

その229 私の知っている範囲で、彼等について述べてみよう。まず、ホプキンスは、アメリカのチベット仏教学の指導者的人物で、著作も多い。最近のものとしては、その仏…

才所丑松
13日前
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仏教余話

その228 さて、ついでながら、チベット仏教についても、簡単に触れておこう。概して、チベット仏教は邪教的イメージで認識されることが多い。確かに、密教的秘儀の占め…

才所丑松
2週間前
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仏教余話

その227 とにかく、今と違って、明治の人の熱気はすごいものがある。その熱気の目指した1つが、チベットなのである。明治とは時代はずれるが、チベットと深い関わりの…

才所丑松
2週間前

仏教余話

その226 この辺りのことを、専門に研究している人に金子民雄がいる。金子氏は、雲南懇親会という所で、その1人について、発表している。その発表要旨を紹介し、慧海以…

才所丑松
2週間前

仏教余話

その231
さて、これまで見てきたように、インド仏教は、他のインド思想との濃厚な交流を無視しては語ることは出来ない。原始仏教とサーンキャ思想の見事な符合は、仏教特有の「無我」思想自体を、再認識させるものであることは、記憶に新しいと思う。『倶舎論』も、同じように、他学派の影響を勘案することなしには、済ませられない。アビダルマの大学者、櫻部建博士は、ある対談の中で、次のように、述べている。
 サーンキ

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仏教余話

その230
残りの記述に、鎌倉在住の私には、随分と興味をそそる話があったので、以下、それを紹介しておこう。
 田舎者の東京行きは成効で無かったかもしれぬが、但し多少の獲物はあった。七月六日出発、其夕鎌倉光明寺前、中島館に投宿した。中島館は旅館の外に万屋と郵便局とを兼て居って、至ってじみな旅館である。十年ばかり前に安藤州一君と海水浴に来たことのあるおなじみの旅館であるから、懐旧の情禁じがたく、早速安

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仏教余話

その229
続けて、舟橋博士の「倶舎を漁る記」から引用してみよう。
 四月二十一日快晴。此日、性相学科生数名を引具して、見学のため御室付近の、倶舎に関係ある二三の寺院を探るべく試みた。…先ず太秦の広隆寺を訪問した。こゝへは十二三年前一度参詣したことがあるが、昔ながらの奥ゆかしい寺であって、どことなくよいところがある。倶舎頌疏条箇二巻、広隆寺長伝の作となって居るから、長伝を取調の為住職にも面会して見

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仏教余話

その228
難しい説明に入る前に、昔の『倶舎論』学者の優雅な研究の日々を紹介しておこう。船橋水哉博士は、日本に古くから残る、伝統的な『倶舎論』研究の大御所である。博士の書物に、随筆めいた研究記録がある。題して「倶舎を漁る記」という。16ページに亙り(pp.253-269)面白い記述が展開されている。少し、長く引用して、来るべき『倶舎論』解説の布石としよう。
 相変わらず倶舎の研究に従事して居るが、

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仏教余話

その227
さて、従来、チベット語仏教文献は、ツオンカパ研究を機軸としていたせいもあり、中観派や仏教論理学方面の考察は、かなり進んでいる。しかし、『倶舎論』などのアビダルマ文献についての研究は、未知な部分も多い。本演習は、本来は、仏教論理学をテーマとするものであるが、その根源には、アビダルマが横たわっていて、アビダルマの理解なくして、仏教論理学の理解もないのである。その辺りの思想的関連は、今まで、

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仏教余話

その226
我々は見たい部分、理解しやすい側面しか捉えていないのである。チベット仏教について、やや詳しく述べたのは、私自身、そこから、限りない恩恵を受けていて、これからの研究においても、大いに、チベット語仏教文献を活用する予定でいるからである。ここで、日本のチベット学の動向や実力なども瞥見しておきたい。日本チベット学のパイオニアの1人は、長尾雅人博士であろう。博士は『西臓仏教研究』において、ツオン

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仏教余話

その225
では、話を戻そう。その後、『チベットの死者の書』は、忘れられてたが、ベトナム戦争の頃、1960年代に、反体制派のヒッピーと呼ばれる若者が、『チベットの死者の書』に関心を示した。理由は、2つある。第1の理由は、その書によって死の恐怖を逃れるため。『チベットの死者の書』には、死後の世界が描かれているので、そういうこともあり得たであろう。第2の理由は、その死後の世界の様子が、ドラック体験の世

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仏教余話

その224
さて、現代社会がチベットに興味を抱いた経緯も簡単に紹介しておこう。そのきっかけを作ったのは、紛れもなく、『チベットの死者の書』の出版である。この本は、エヴァンス・ヴェンツ(1878-1965)というアメリカ人が、20世紀の始めに、インドで発見した。その後、ドイツ語訳すると、有名な心理学者ユングがこの本を褒めたので、大いに、注目されるようになった。これが、第1次のチベット仏教ブームである

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仏教余話

その233
もう1人は、ヴォストリコフと同年輩のローエリッヒ(Jurij,Nikolaevic
Rerix/Geoge(s)(N.)Roerich,1902-1960)である。彼は、チベットの著名な歴史書、ショヌペル(gZhon nu dpal,1392-1481)作『青史』(Dep ther sngon po)をThe Blue Annalsとして英訳し、仏教学に、大いに寄与した。彼の一族には、

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仏教余話

その232
この問題をシチェルバツキーに伝えたのが、他ならぬ、ヴォストリコフなのである。こういわれている。
 章を通常の順序に変えるのか、、伝統的な順序を守っていくのかという議論は、最近、ヴォストリコフ氏により考察された。(F.Th.Scherbatsky,Buddhist Logic,rep.p.39)
また、こういう意見も引用されている。
 ヴォストリコフ氏は、以下のように認めたのである。彼〔

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仏教余話

その231
これらの人々は、すべて欧米の研究者であるが、無論、日本の研究者も、チベット資料は、大いに活用している。欧米の研究に比べれば、格段に日本のチベット学のレヴェルは上である。松本史郎博士、四津谷孝道博士は、ツオンカパを中心とする中観研究では、世界最高水準であるし、池田錬太郎教授は、アビダルマ関係のチベット資料に関しては、世界に先駆けた業績を残している。また、一昨年、退職された袴谷憲昭教授は、

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仏教余話

その230
以下私の管見の範囲で、上記で言及された欧米諸学者の業績を、もう少し、紹介してみよう。まず、トム・ティルマンスは、主に、仏教論理学を専門としている。彼は、一時期、日本の広島大学に留学していたことがある。ドレイフィスも、もっぱら、仏教論理学を扱う。1997年に大著Recognaizing Reality Dharmakirti’s Philosophy and Its Tibetan In

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仏教余話

その229
私の知っている範囲で、彼等について述べてみよう。まず、ホプキンスは、アメリカのチベット仏教学の指導者的人物で、著作も多い。最近のものとしては、その仏教理解に定評がある、ジャムヤンシェーパ(’Jam dbyangs bzhad pa,1648-1722 )という有名な学僧の難解な書の英訳Maps of the
Profound,Jam-yang-shay-ba’s Great Expos

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仏教余話

その228
さて、ついでながら、チベット仏教についても、簡単に触れておこう。概して、チベット仏教は邪教的イメージで認識されることが多い。確かに、密教的秘儀の占める割合は、日本仏教に勝るであろう。しかし、チベット仏教の全体像は、我々が思う以上に、論理的な側面が強い。今日、インド仏教学の研究者で、チベット仏教を利用しない者がいれば、それはもぐりの学者であるといってもよい。中観・唯識・アビダルマ・仏教論

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仏教余話

その227
とにかく、今と違って、明治の人の熱気はすごいものがある。その熱気の目指した1つが、チベットなのである。明治とは時代はずれるが、チベットと深い関わりのあった、著名な多田等観の事跡にも、触れておこう。ややきな臭い話であるが、日本のチベット研究の重要な側面についての記述である。
 多田のこのような活動は、どのような意義を持っていたのか。それを最初に示す資料は、最初の大陸行の際、1933(昭和

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仏教余話

その226
この辺りのことを、専門に研究している人に金子民雄がいる。金子氏は、雲南懇親会という所で、その1人について、発表している。その発表要旨を紹介し、慧海以外にチベット行きを志した人物を見ていこう。
 今からざっと100年前、中国西南の省・雲南で一人の日本人僧が行方不明になりました。東本願寺系の能海寛(のうみ ゆたか)という人物です。彼は正しい仏典を日本に将来することを念じ、チベットに向かいま

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