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私がこうした方がいいのかな?こうなのかな?って考えることなんか、なんの力もないんだよな。私が認識できる領域よりも、ずっと高いところから私を見ている何かには逆らえない。
相手にベクトルが向いておらず、自分にしか意識がいっていない人との会話は、とても長く苦痛なものに感じる。貨物列車が通り過ぎるのを待っている時みたいな。思ったより長いな、早く通り過ぎてくれないかな…みたいな
なぜ人は無意識のうちに手段が目的にすり替わるのか
どんな人も結局は「心地いい精神状態」とか「達成感や幸福感を得ること」を目的にして生きていると思う。
そして日常の細やかな出来事は、結局それらを叶えるための手段でしかないはずなのに、気づけばすぐその手段を目的にしてしまう。
重要度が高いものほど手段が目的になりやすい
例としてすぐ思い浮かぶのが、恋愛とか結婚とか仕事とか、友達とか住むところだ。
それら全て、幸福感や充足感を得るための手段に過ぎ
私には目的がある。ただおかしな話、その目的が言語化できない。でもそれっぽい形にはしてみせようと思っている。