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信じていい直感と信じない方がいい直感

よく、「直感は信じた方がいい」または「直感で物事を選ぶな」というような文言を見るが、結局どっちなのか?という話にも通づるものがあるので、話していきたい。

結論から言うと、「信じない方がいい直感」とは、「自分の都合やエゴが加味されているか」だと私は考える。

よく「この人(職場)と出会った瞬間に、直感でビビッときた」というような話を聞くことがあるだろう。この時の「直感を信じる」についての論点は、直感を信じることの良し悪しでなく、その人の精神状態である。



その直感に自分や周囲の期待が含まれていないか

ここでいう精神状態とは、それを言っている本人の「都合」や「エゴ」がないか−ということである。

例えば「早く婚活(恋活)を終わらせたい」とか、相手の肩書きや容姿が理想通りだったとか、「この相手(仕事)なら周囲の人間を見返せられる」などといった、
本人のエゴやそこに期待(依存心)する気持ちが加わっている時、感じたのは直感ではなく所詮期待(エゴ・こうであってほしいという都合)である。

では「信じた方がいい直感」とはどんなものなのか。目に見えないものであるぶん、ふわっとしている。根拠などないと言われたらそれまでなのだが、簡単にいうと前述したように「自分の人生(可能性)が、拡大していく感覚がある選択(場・人物・物事)」だ。

その直感は自分の成長をもたらすものか

エゴや都合・期待・依存心(相手の出方に完全に寄っかかる姿勢)がない直感というのは、「今まで自分がこだわってきた条件とは異なるのに、なぜか縁を感じる」とか、「抵抗があってずっと避けてきたこと(人・仕事)だったのに、やってみたい(関わってみたい)と感じる」とか、そういうことだろう。

なんなら苦手、ちょっとしんどい、億劫−そんな気すらする物事かもしれない。「そこでは今まで自分が大切にしていた価値観を壊すような、そんな経験ができるのではないか」という感覚を潜在的に知っているからではないだろうか。

それを「信じていい直感」と表すなら、確かに存在すると私は考える。しかし、このような健全な直感を働かせるためには、まず精神状態が不健全でないことが大前提である。しつこいようだが信じない方がいい(間違った直感・不健全時にエゴや都合を直感と捉えている時)とはいわゆる、直感ではなく期待やエゴだからである。

なぜ信じていい直感は、今までの自分の理想の条件や肩書きを意図も簡単に飛び越えてくるのか。それは自分のコンフォートゾーンとか、生きていく上で「こうあるべき」と思っていたからこそ感じていた、行き詰まりの突破口であるからだ。

それを「自分に合う職場」とか、「たくさん婚活したけれど、結局結婚したパートナーは、自分が理想としていたタイプとは全然違った」と言うのだと思う。

停滞感を突破してくれるものか

行き詰まりを解消する時に必要なものを、自分自身の思考だけで考えを巡らせても答えなど出ない。出なかったからこそ行き詰まっているのだ。

それを突破するには、思考などでは辿り着けない領域に任せるしかないのだ。それを健全な直感だ。自分は一旦自分が拘っている思考を捨てて、それに従うのだ。

そしてこれは、「自分にとって大変でも大切なもの」「不本意でも、自分が強く拘っていても離れた方が良いもの」を見極めることにもつながってくる。

「この人と付き合って(結婚して)良いのだろうか」「この職場(仕事)にいていいのだろうか」という悩みにしばしば陥ることがあるだろう。

言ってしまえばそれは冒頭でも述べたように、「その人(職場・組織・集団)と関わっていて自分の人生が拡大していく感覚があるか」ということである。

これも、「自分のエゴや都合を捨てた時、心の内側から湧き上がってくる選択」が大切になってくる。