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90年代の楽曲に乗って、あの頃へ
90年代。
あなたにとって、それはどんな時代でしたか?
1983年生まれの僕は、小学生から高校1年生までを過ごした時期。幼少期から思春期に入り、青春前夜とも呼べる頃までにわたる。
振り返ると、もう忘れてしまったことも多いけど、いくつかの記憶に紐づいて必ず思い出されるものがある。そう、音楽だ。思い出を呼び起こす装置としての音楽の性能は、写真と同じくらい有能だ。
おそらく母親の影響で、僕は音楽
『TSUNAMI』が教えてくれたもの【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~②】
時は流れて、ミレニアム。高校1年生になっていた僕は、年が明けてチャンネルを合わせたサザンの年越しライブの中継で、あの名曲を初めて耳にした。布団に寝転がりながらテレビを見ていた僕は、凄まじい感動に包まれたのを覚えている。
今回の記事を書くにあたり、タイトルをどうするかとても悩んだ。当時、サザン史上最大のヒット曲が封印の憂き目に逢うなんて、誰が想像しただろう。ただ、僕にとっては間違いなく大切な一曲だ
エロティカの意味もわからずに【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~①】
『我はエロティカ・セブン』
このフレーズを聴いた僕の頭には、ファイブマン的な戦隊もののヒーローが浮かんでいた。エロティカの意味もわからずに。
僕がサザンを好きになったのは小学生のとき、テレビから流れてきた『エロティカ・セブン』がきっかけだった。僕の母親は大のテレビっ子で、特に歌番組やドラマが大好きだった。『エロティカ・セブン』はドラマ『悪魔のKISS』の主題歌として大ヒットしたが、当時の僕がそ
茅ヶ崎に向かって【音楽の神様に乾杯!~サザンと僕の30年ほどの逢瀬の日々~プロローグ】
新神戸から新幹線に乗って、新横浜へ。そこから在来線に乗り換えた。そして、辻堂を出発する頃には、僕のテンションは最高潮に達していた。
初めて、茅ヶ崎でサザンに逢える。思い返せば2000年、高校2年生だった頃、サザンオールスターズは初の茅ヶ崎ライブを敢行した。小学生のときからサザンが大好きだったけど、当時の僕はサザンライブ童貞。仲良かったクラスメイトのシュンが貸してくれた、茅ヶ崎ライブを録画したビデ
美容師が輝ける世界をつくりたい。訪問理美容と髪質改善専門ヘアサロンを展開する株式会社ILUMINAR海口光洋の物語【誰かの物語vol.4】
商品やサービスには、必ず物語がある。現在地に至る紆余曲折や叶えたい未来を知れば、もっと好きになったり、もっとおいしく感じたり、五感が刺激されて、ともすれば人生さえも変えてしまうかもしれない。そして、また新しい物語が巡り生まれ、世代を紡ぐ。『誰かの物語』は、誰かを救う力に満ちている。そんな、誰かの想いが詰まった素敵な物語の数々をご紹介します。
今回は、訪問理美容と髪質改善専門ヘアサロンを展開する株
「祖父母のお店をどこかに残したい」そんな想いを受けた話【じんせい論】
「祖父母のお店をどこかに残したいと思い、支援させていただきました」
そんな趣旨のメッセージをいただいたのは、神戸の須磨・塩屋が舞台の絵本「スマバレイの錆びれた時計塔」を作るクラウドファンディングに挑戦しているときだった。
その方は、当時まだ出会ったことのない人。メディアを通して僕のクラウドファンディングを知り、支援をしてくれた。
その方のおじいさま・おばあさまが営むお店は、市場の取り壊しに伴
「実績のあるベテランライター」いったい君は誰なんだ?【しごと論】
フリーランスとして働いていると、いろいろなところからご相談をいただく。お声がけいただけるのはとてもありがたいことで、フリーランス9年目の僕の場合、ご紹介でお付き合いが始まったお取引先さまがほとんど。いや、すべてと言ってもいい。ライターやコンテンツディレクターを探していらっしゃったところ、お知り合いが僕を紹介してくださったおかげで、僕は今、仕事ができている。
まずはご相談いただかないことには、何も
なぜ「ON AIR」なのか【しごと論】
なぜ「ON AIR」なのか。昔、やしきたかじんが、こう話していたというエピソードを覚えている。
『“AIR”というのは空気。スタジオの空気がそのまま出ていくもんやねん』
これを聞いたとき、「なるほど」と感銘を受けたのだが、僕はテレビタレントではないので、特に実感する場面は訪れなかった。でも、ライターとして取材やロケを重ねていくうち、この言葉が徐々に内側に染み込んでいき、今ではとても意識するよう