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【読書感想文】芥川龍之介「羅生門」

こんばんは!
読書感想文を本格始動させました、小栗義樹です!

さぁ今日は、昨日の日記にも書いた通り【読書感想文】をやっていきます!

今週の題材は、芥川龍之介の「羅生門」です。

え? 先週も芥川龍之介じゃなかった?

はい、その通りです! 先週は、芥川龍之介の「鼻」という作品にて感想文を書いていきました。

先週の「鼻」の感想文宛てに、こんなお問い合わせを頂きました。

「羅生門は読んだ?羅生門の感想を聞きたい」

ご要望にはなるべく応えるでおなじみの僕です。頂いた時点で、来週は羅生門と決めていました。

「鼻」という作品は、芥川龍之介が夏目漱石に見いだされた作品です。そこには、人間の醜さ・いじめ・浅ましさという要素が入っています。そんな事を、先週の感想文にて述べさせてもらいました。それだけでも十分にすごい作家だと思うのですが、もう1つ、芥川龍之介にはすごい点があります。それは、古典に由来を受け、個人にフォーカスした作品を生み出す天才であるということです。せっかく、芥川龍之介の作品に内包される問題提起の部分を、「鼻」を通してお話したのなら、この流れのまま、もう1つの特質すべき部分である、古典由来と個人へのフォーカスについて、思ったこと・感じた事を述べてしまいたいなぁと思いました。

こうした考えとリクエストを頂いたという出来事が重なり、2週連続でもやってしまおう・話したい時に話してしまおうと思ったわけです。

羅生門には、芥川龍之介が得意とする領域、伝えたいこと、考えていたことなど、すべての要素が詰まっていると感じます。僕がどのようにとらえ、何を感じたのか? 全力でぶつけていきますので、楽しんでもらえれば幸いです。

それでは、いきます!

羅生門は、芥川龍之介が学生時代に書いた短編です。東大出身のエリート学生だった芥川龍之介は、その豊かな感性でもって、とてつもない作品を生み出したわけです。

すごくないですか? この羅生門というお話、今でも教科書に収録されています。短いから載せやすいという相性の問題もあるのかもしれませんが、それだけが理由で、ここまで重宝されることもないでしょう。そこには、とてつもないパワーがあり、今でも色褪せない普遍的な問題提起と、ある種のイノベーションがあると思うんです。新しい・面白い・語りたい、この3つの要素が無ければ、これだけ長いこと愛される作品にはならないでしょう。

羅生門を読んだ大学生の僕は、そんな事を感じ、そんな風に分析して、芥川龍之介の凄さを、漠然と刻み込みました。

羅生門は、芥川龍之介が生きた時代よりも、だいぶ前の時代に作られた作品を、リメイク&再構築して作られています。今昔物語集の作品をベースにしながら、明治や大正を生きる人が、読んで共感できる物語に仕上げたわけです。そのリメイク方法とは、時代観ではなく、個人にスポットライトを充てるというものだと思います。

お話のおかしさや進行で魅せるのではなく、個人の心境の変化や気持ちの移り変わりで魅せる。これは、芥川龍之介以前と以後で、かなり大きな変化だったと思います。それこそ夏目漱石は、人物をお話の要素として捉えることが多く、人物の心境や人物の気持ちを主軸にした作品ではないように感じています。人物描写という点では、芥川龍之介の方が上手だったのではないでしょうか?

羅生門は、仕事をクビになった下人が、今は廃れてしまった羅生門の前で、明日からどうやって暮らしていくかをぼんやり考えている所から話が始まります。外は雨が降っていて、下人は顔のニキビを触っているという状態です。

こういう描写も、芥川以前にはあまり無いと思います。ニキビを触るという行動が、下人が感じるこの先の不安を象徴しています。これは、心境を行動で表しているということで、夏目漱石にはなかったタッチです。あくまで心理がメインで、行動は心理を表すための要素でしかないというのが、羅生門が起こしたイノベーションの1つだと思います。

次に下人は、羅生門の内部に入ります。羅生門は、平安京が出来た当初こそキレイで立派な門でしたが、腐敗した今は、誰も手入れをしなくなっていて、門内には、死体がゴロゴロ転がっているという状況になっています。下人はここで、雨宿り兼寝泊まりを決め込む予定だったみたいです。

ここは時代全体の状況を説明しているように思うのですが、状況の説明さえも、人を使って行います。死体がいても掃除するものがいない。腐敗した、余裕がない時代、人間は自分の事で手一杯になっている。そんな感じで、あくまで人を軸にして、時代と状況説明がなされるのです。歴史的な出来事を使って行う今までの作家とは、明らかにアプローチ方法が違うと思いますし、これはすごく画期的な方法だと思いました。人を大事にすれば、読み手の共感を得られやすく、感情移入もしやすいです。価値観が分断され始めた、大正デモクラシーならではのアプローチなんじゃないかなと思います。

門内で下人は、女の死体から髪の毛を引きちぎっている、サルみたいな老婆を発見します。下人はその行動に激しい怒りを覚え、老婆を捕えます。下人は老婆に「なぜ、髪の毛を抜いている?」と尋ねました。すると老婆は、「こいつの髪を使い、カツラを作って売る」と言いました。その死体の女性は生前、蛇の肉を魚の肉として売りさばき、不当に金もうけをしていたそうです。老婆は、「そんな悪人の髪の毛を抜き、それをカツラにして何が悪い?」と開き直りました。下人は長考の末、覚悟を決めます。次の瞬間、老婆の身に着けている着物を追剥しました。そしてそのまま逃げ去ってしまい、雨の都の中へ消えていってしまうのです。

ここでお話は終わります。この部分、僕はとても大好きです。何故かというと、人間の弱さと醜さがあるからです。つまり、最も人を映し出した部分だと思うのです。老婆が悪人から髪を盗む、その悪人老婆は、下人から追剥されてしまう。人間はもともと悪い事に負けてしまう弱さを持っていて、それが発動するトリガーは、生きることを脅かされたときであるというメッセージを感じます。その上で、文学的な余韻も残っています。文学とは、読み終わった後の余韻、例えば、この後主人公はどうなっていくのか?と考え、想像することを、セットで楽しむものだと思います。もしかしたら、悪人になったこの下人は、別の場所で身に着けているものを奪われてしまうかもしれません。物語の終わりには、そんな予感さえ残っています。解釈が余地が沢山ある、教訓が沢山込められている、だからこそこの作品は、今でも教科書に載っているのではないかなと思います。

羅生門は、ファンタジーと生々しさのバランスが良いですよね。昔の話なので、今の僕たちには思い描くことができないですが、物語の舞台は日本で、それは遥か昔、確実に起こったことだったわけです。同じ日本人が登場しているのに、今の僕たちには価値観が分からない。この作品に、妙な共感覚をくすぐられるのは、恐らくこういう部分が色濃く反映されているからだと思います。

この作品は、のちに書かれる鼻や地獄変で魅せる、芥川龍之介が書きたいと考えたものがすべて詰まっています。鼻も地獄変も、大正時代よりも前の時代を舞台にし、人の弱さ・醜さ・愚かさを書き、個人を主体に話が進みます。

昔話・おとぎ話をよりリアルに、現代に落とし込んだという意味では、圧倒的なイノベーションを起こした作家だと言えるはずです。大げさでもなんでもなく、羅生門さえよめば、芥川龍之介が何を書き、どんな性格で、どんな思いを持っていたのかが分かると思います。

まだ、芥川龍之介の作品を読んだことがない方がいたら、まずは羅生門から読んで欲しい。そう思います。羅生門を読み、その後興味を持ったなら、鼻や地獄変を読んで、より深い芥川ワールドを楽しむことが出来るはずです。

お近くの図書館、本屋、古本屋にて、探してみてください。日本人を知る上で、これ以上の教材は無いと思います。



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