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気分には自分と他人の区別がつかない。
心の仕組みについては、以前、説明しました。
自分に、言い換えれば自意識に近いところから
言葉のある部分
気分のある部分
自分では感じることができない部分
があります。
言葉のある部分と気分のある部分は合わせて顕在意識、自分では感じることができない部分は潜在意識と言われたりします。
言葉にある部分で考えたことは、気分のある部分にも信号として伝わります。
ここで大切なことは、
願いや祈りはいじくりまわしてはいけない。
人は誰しも、何らかの叶えたい願いや祈っていることがあるものです。
願いや祈りはとても大切なものであり、叶うととても幸せになれるものです。
願いや祈りは大切なものなので、丁寧に扱わなければいけません。
願いや祈りは、いじくりまわしてはいけないものです。
多くの人は、願いや祈りが叶うまで待てず、あるいは叶う確信が持てない時に、このしてはいけないことをしてしまいがちです。
何度も何度
「努力」と「報われる」に直接的因果関係はない。
努力すれば報われる。
これが真実か否かは、正しく捉えられているかによって異なります。
まず、「努力」と「報われる」は直接的には繋がっていません。
なぜならば、「努力」と「報われる、報われない」の間は、「気分」があって、気分を介して繋がっているからです。
「努力」したことにより、自分はできるはずという気分が増せば、パフォーマンスはあがり、自信をもって取り組み、手応えをより感じること
気分は世界と繋がっている。
世界は広いですが、その大半は手の届く範囲にはありません。
私達の日常を彩る世界は、気分と強い相関関係にあります。
同じものを見ても気分によって、捉え方が変わります。言い換えれば、気分によって現出してくる世界が変わるということです。
気分を整えるということをおざなりにしたまま、生活をすることは、自分の住む世界をぐちゃぐちゃにほったらかしにしているのと同義です。
気分は世界と繋がって
全ての事象の責任は自分にあると考えることが大切。
人は、いつも自分が正しいと思って生きている時間が多いものです。
正しいかどうかは、私は重要でないと思っていますが、自分が正しいと考えることは悪いことではありません。
悪いのは、自分は正しいのだからと、都合の悪い事象が発生した時に、その原因を自分の外に求める姿勢です。
明確に言い切ります。
全ての事象の責任は自分にあります。
全ての事象の原因は自分の心持ちにあります。
そういう