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学問論:学問について(2) 学問にとっての「戒定慧」
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前回は、門外漢の立場から「学問」というのは「場所」であって、その内側で行われていることである、ということを考えてみましたが、当たり前すぎる内容だったかと思います。
そこで今回からは、あまり門外漢と言って済まさず、なるべく役に立ちそうな手掛かりを頼りにしながら、もう少し明確に「学問」なるものを描き出してみたいと思います。
仏教の「戒定慧」
学問論:学問について(1) 専「門」の内と外
「バカ学大全」に取り組み始めて、もうすぐ1年になります。
しかし1年前に私が抱いていた意気込みはどこへやら、研究成果の発表は最初の2ヶ月足らずで止まってしまい、後は「バカの表現集」でお茶を濁す……いや、お茶を濁しているつもりはないのですが、ともかく本論のほうを進めることができておりません。
「バカ学」をわがライフワークに、と心に決めてみたものの、その「ライフ」を維持するには飯を食わねばならず
■バカの表現集
私は、愚か者だ、思考の抑圧と、思考の畸形化のために。舌が麻痺してしまったために、私はからっぽだ。
――A・アルトー「神経の秤」(粟津則雄訳)