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人間、特別な存在になろうとか、有名になろうとか、考えない方がいいんじゃないかと、思う。どうせたいした者にはなれない、くだらん人生をうだうだ言いながら生きてる、しょうもない人間である、そうした自分を認めた方がいい。その上で、自分にしか生きられない人生を生き抜くしかない。それで良し。

この一瞬が 永遠となり この一滴の雫が 大洋となる そんな自在な 視点をもちたい

向上心のある生き方とは? 遥か彼方から 問われているような 気がする

親に幼い頃から常に恣意的に誰かと比較されて、貶められてきたとしたら、つらいだろうな。自尊感情、自己肯定感が育たない。誰かに癒されない限り、一生痛みと苦しみ、自己否定感は続く。でも残念ながら、そういう罪悪感をもたない超毒親はこの世に存在する。それが現実だ。

いのちが共鳴する時 奇跡は起こるかもしれない

パラレルワールドは無限にあって、グラデーションのように繋がっている。自らの意識のある世界が「現実だと思っている世界」で、私の世界とあなたの世界は同一でなく、重なり合うこともない。私が「現実だと思っている世界」の一部であるあなたは、あなたが「現実だと思っている世界」とは別のものか?

バスや電車で隣に座ってくる人は選べない。最近困るのは、整髪料なのか、強い香りを放つ中年男性である。化学物質には過敏なので、すぐに席を離れないと、すぐに気分が悪くなり、後で嘔吐することもある。当該男性は全く気づくこともなく、平然と席を占有して座っている。腹も立つが、無力だ。悲しい。

今日もベルトコンベアーが大量の砂利を運びダンプの荷台に落としていく。砂利の一粒一粒は、どこに運ばれていくのか知らない。事業は予算が決められ、計画され、システム化されている。そうした中での運搬作業だ。今日も、明日も予定通りに作業は続く。砂利は砂利の働きをする。それ以外は不要なのだ。

私たちは 多くの人が彷徨う 深い霧の森の中で 生きている

世の中から競争がなくなれば もう少し緩やかで 生きやすくなるのだろうか 競争のない世界 お互いを較べ合うことなく 生きていることを 喜び合える世界 各々の違いを認め合えれば 人はみんなもう少し幸福に 近づくことができるようにも 思うのだが そんな想像をしてみる

知性は野にあれ 山にあれ 河川を流れて 海にあれ

バスでも電車でも ツンツクツン みんなスマホで ツンツクツン 老若男女 ツンツクツン 何が正しい ツンツクツン 何が誤り ツンツクツン わからないけど ツンツクツン いついつまでも ツンツクツン

【AI-art】The Miserable person【Midjourney】

当たり前に思っていることが 当たり前でなくなると 価値の逆転が起こる 絶望が希望になったり 希望が絶望になる 人生、一寸先は闇 闇も光も全てを受け入れて それでも立ち続ける そのようにありたいと 願うけれど

この社会でなんとか適応して 生きていかなければならないと 自らに強いていたことに気づいた 無理をして適応しなくても この社会のどこか 自分らしくいられる場所で どこかの片隅で ささやかに生きていけばいいのだと そう思った あるがままに 心が自由になった そう感じた

たとえば、生きることを「仕事」だと捉えてみる。金銭を得るための「労働」でも「ビジネス」でもない。寿命があるだけ働くのだ。生きることは、しんどい。たぶん我々は各々独自の役割をもって、この世に生まれてくるのだろう。寿命が尽きるまで生き抜く。それができれば、新しい世界が拓ける気がする。

人の評価は、ただの一面、ただの一瞬。人と離れれば、我独りあり。なんの責任も負わない他人の戯言に縛られ、傷つくより、自分をおおいに評価しよう。天上天下唯我独尊。これでいいじゃん。

13時間前

がんばるとか、がんばらない そんな尺度は捨ててしまったら どうだろうか 集中する、弛緩する そちらのほうが いいように思うのだが

人は運命に従って 世界を創造し続けている 完成されたプログラムの通りに そこには自由意志があるように 思えるが 自由意志はないとも言える 俳優が台本通りに 舞台で役を演じるが如く 終結は定められている それは終わりとともに 始まりとなる 時空を超越した 高次な在る者のために

僕らはなぜ急いでいるのだろう なにを焦っているのだろう いずれにしても 行き着くところは終着点 なにも生き急ぐ必要はない なにも死に急ぐ必要はない 時が満ちれば 人は 必ずたどり着くのだから