うみのよう

生命あるものとして、いかに、この世界、宇宙で存在するか、永遠の課題だ。然れど自分なりの…

うみのよう

生命あるものとして、いかに、この世界、宇宙で存在するか、永遠の課題だ。然れど自分なりの答えを模索し続ける。

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生きること自体が、目的である、

私は生きる 生きるために 生きる 生きること自体が 目的である だから 他のことは 手段である 生きていながら 生きる目的を 探す人が多い 生きる目的は 生きること 自体でよい 生きる目的を 探す人は それ以前に 生きているのだ 心臓は動いている そのことに気づけば 何も焦る必要はない 生きていると 時間がある だから 好きなことを すればよい 勿論 生きるために 不本意でも しなければならない こともある それは仕方ない 必要最小限 受け入れる 好きな

    • たぶん、せっかちな人とゆっくりの人は時間の流れ方は違うんだろうな。同じ10分でもせっかちな人は沢山の心身の活動をし、ゆっくりの人はそれほど多くの活動はしない。両者では活動の量質ともに異なる。つまり別々のペースで同じ空間に生きていると言えるのだろう。お互いに違いを知ることは需要だ。

      • 「このままではいけない。なんとかしないと」と、自分や周囲の状況を見て、様々な問題、課題を認識して解決しようと思ってきた。ある意味で「なんとかしないといけない」病、思考パターンに嵌まってきたと言ったらいいか。逆に「何もしなくていい」「そのままでいい」と考えたら世界はどうなるだろう?

        • 幼き日に 心に 爆撃を受けた人よ 破壊され 流した血を 痛みを 今も覚えているか その傷は 癒えているか たとえ 身を引き千切られようとも 生きられるか 前に進めるか それでも 裂けた胸から 滴り落ちる血を 目から落ちる涙を 全身に走る痛みを 引き受けて 前に進めるか

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        生きること自体が、目的である、

        • たぶん、せっかちな人とゆっくりの人は時間の流れ方は違うんだろうな。同じ10分でもせっかちな人は沢山の心身の活動をし、ゆっくりの人はそれほど多くの活動はしない。両者では活動の量質ともに異なる。つまり別々のペースで同じ空間に生きていると言えるのだろう。お互いに違いを知ることは需要だ。

        • 「このままではいけない。なんとかしないと」と、自分や周囲の状況を見て、様々な問題、課題を認識して解決しようと思ってきた。ある意味で「なんとかしないといけない」病、思考パターンに嵌まってきたと言ったらいいか。逆に「何もしなくていい」「そのままでいい」と考えたら世界はどうなるだろう?

        • 幼き日に 心に 爆撃を受けた人よ 破壊され 流した血を 痛みを 今も覚えているか その傷は 癒えているか たとえ 身を引き千切られようとも 生きられるか 前に進めるか それでも 裂けた胸から 滴り落ちる血を 目から落ちる涙を 全身に走る痛みを 引き受けて 前に進めるか

          周囲の空気は刻々と変わる。昨日私がいた世界の延長線上に今日の世界があるのかさえ、私にはわからない。ただ無限のパラレルワールドから今、私の意識があるこの世界に何かの偶然か必然により私は流動的に存在する。否、存在しないか?恐らく時はない。全てが完結循環する完全体だ。その一部が全てか。

          周囲の空気は刻々と変わる。昨日私がいた世界の延長線上に今日の世界があるのかさえ、私にはわからない。ただ無限のパラレルワールドから今、私の意識があるこの世界に何かの偶然か必然により私は流動的に存在する。否、存在しないか?恐らく時はない。全てが完結循環する完全体だ。その一部が全てか。

          高校時代に友人Tがいた。彼の信条は「触らぬ◯に祟りなし」という。面倒を避け要領よく生きるTを冷めた目で僕は見た。Tは卒業後某有名大学に入ったがその後の行方は知らない。僕は自分の納得できる生き方を試みた。真逆だ。創造的に火中の栗を拾う。今、Tは無難な人生に満足しているのだろうか?

          高校時代に友人Tがいた。彼の信条は「触らぬ◯に祟りなし」という。面倒を避け要領よく生きるTを冷めた目で僕は見た。Tは卒業後某有名大学に入ったがその後の行方は知らない。僕は自分の納得できる生き方を試みた。真逆だ。創造的に火中の栗を拾う。今、Tは無難な人生に満足しているのだろうか?

          人はそれぞれDNAで生きている。デオキシリボ核酸だ。各々の塩基配列から紡ぎ出される波動が、あらゆるものを引き寄せ、あらゆるものを遠ざけ、コンステレーションを形成し、人を動かし、生かし、死に導く。たぶんそれから逃れることはできないのだろう。無駄な足掻きをやめて、DNAの声を聴くか?

          人はそれぞれDNAで生きている。デオキシリボ核酸だ。各々の塩基配列から紡ぎ出される波動が、あらゆるものを引き寄せ、あらゆるものを遠ざけ、コンステレーションを形成し、人を動かし、生かし、死に導く。たぶんそれから逃れることはできないのだろう。無駄な足掻きをやめて、DNAの声を聴くか?

          台風の影響の中、電車で出勤する。外は風雨が激しく、乗客には不安の表情が浮かぶ。電車は無言のまま走り続けている。もし次の駅に永遠に着かなければ、と夢想する。どこまでも線路が伸びて、いくら走っても駅に着かない。亀に追いつけないアキレスのように、永遠に風雨の中を走り続けるのだ。無限に。

          台風の影響の中、電車で出勤する。外は風雨が激しく、乗客には不安の表情が浮かぶ。電車は無言のまま走り続けている。もし次の駅に永遠に着かなければ、と夢想する。どこまでも線路が伸びて、いくら走っても駅に着かない。亀に追いつけないアキレスのように、永遠に風雨の中を走り続けるのだ。無限に。

          出来事は 様々な要因が 絶妙なタイミングで 重なって 起こる 見事としか言う他なく 神に仕組まれたように 起こるべきことは 確実に起こるし 起こるべきでないことは 確実に起こらない それが全宇宙的に 重なり連動し 見えざる配置で 動いているとしたら 何と表現したら いいのだろう

          出来事は 様々な要因が 絶妙なタイミングで 重なって 起こる 見事としか言う他なく 神に仕組まれたように 起こるべきことは 確実に起こるし 起こるべきでないことは 確実に起こらない それが全宇宙的に 重なり連動し 見えざる配置で 動いているとしたら 何と表現したら いいのだろう

          彷徨い歩く 肉体は 一体どこに行くのやら 彷徨い歩く 肉体は いついつ灰に なるのやら 彷徨い歩く 肉体に 付き添う魂 あるらしく 彷徨い歩く 肉体は 魂離れて ものとなる ものとなった 肉体は この世の摂理に従って 肉体離れた魂は いついつ生まれ かわるやら

          彷徨い歩く 肉体は 一体どこに行くのやら 彷徨い歩く 肉体は いついつ灰に なるのやら 彷徨い歩く 肉体に 付き添う魂 あるらしく 彷徨い歩く 肉体は 魂離れて ものとなる ものとなった 肉体は この世の摂理に従って 肉体離れた魂は いついつ生まれ かわるやら

          孤独に苛まれている人々の悲痛な叫びをよく聞くが、もう少し何とかならないものかと思う。私は孤独をこよなく愛する。しかし、そうでない人の方が圧倒的に多いように思う。人との繋がりを求める、自分の話を聞いてほしい、孤独に耐えられない人々。サポートする社会的なシステムが必要なのだろう。

          孤独に苛まれている人々の悲痛な叫びをよく聞くが、もう少し何とかならないものかと思う。私は孤独をこよなく愛する。しかし、そうでない人の方が圧倒的に多いように思う。人との繋がりを求める、自分の話を聞いてほしい、孤独に耐えられない人々。サポートする社会的なシステムが必要なのだろう。

          現代人は、核家族から徐々に人数は減少し、行き着くところ一人暮らしになる。そして高齢化とともに、病気や介護の問題に直面し、最期は病院か、施設か、孤立死か。一人ひとりが見えない檻に入れられて孤独に苛まれている。家族や地域の枠、人と人との適度な距離を保ち、共存していける場を作れないか。

          現代人は、核家族から徐々に人数は減少し、行き着くところ一人暮らしになる。そして高齢化とともに、病気や介護の問題に直面し、最期は病院か、施設か、孤立死か。一人ひとりが見えない檻に入れられて孤独に苛まれている。家族や地域の枠、人と人との適度な距離を保ち、共存していける場を作れないか。

          AIロボットは、芸術を鑑賞し、感動することができるか?そうした感性と心を有し得るか?破壊もしくは機能停止を、人が死を恐れるように、恐れることはできるか?神を、宗教を、救済を求めるか?それらがなければ、人間を越えることはできず、単なる高度な「知的ツール」に過ぎないのではないか。

          AIロボットは、芸術を鑑賞し、感動することができるか?そうした感性と心を有し得るか?破壊もしくは機能停止を、人が死を恐れるように、恐れることはできるか?神を、宗教を、救済を求めるか?それらがなければ、人間を越えることはできず、単なる高度な「知的ツール」に過ぎないのではないか。

          ふと思った。小判鮫はあまり良く言われないが、小判鮫には小判鮫としての存在理由があるのだろう。腰巾着も同様に。好きか嫌いかは横に置いておいて、全てのものには存在理由があるのだ。世界には必要なものは全てある。不要なものは全くない。だから無駄に見えるものも、きっと必要な「無駄」なのだ。

          ふと思った。小判鮫はあまり良く言われないが、小判鮫には小判鮫としての存在理由があるのだろう。腰巾着も同様に。好きか嫌いかは横に置いておいて、全てのものには存在理由があるのだ。世界には必要なものは全てある。不要なものは全くない。だから無駄に見えるものも、きっと必要な「無駄」なのだ。

          私は私の 世界の中心にいて 他者は私の世界のスクリーンに 映るイメージでしかないのか 私は私の 物語を生きて 私の物語が終わる時 私の世界は 消滅するのか それとも 別の私が 新たに生まれるのか ただ 不可知である

          私は私の 世界の中心にいて 他者は私の世界のスクリーンに 映るイメージでしかないのか 私は私の 物語を生きて 私の物語が終わる時 私の世界は 消滅するのか それとも 別の私が 新たに生まれるのか ただ 不可知である

          ああ どこまで歩いて 行くのだろう ああ どこから歩き 始めたのだろう 僕は 僕を忘れて 必死に進んでいるうちに 僕を 見失ってしまったよ

          ああ どこまで歩いて 行くのだろう ああ どこから歩き 始めたのだろう 僕は 僕を忘れて 必死に進んでいるうちに 僕を 見失ってしまったよ