私は生きる 生きるために 生きる 生きること自体が 目的である だから 他のことは 手段である 生きていながら 生きる目的を 探す人が多い 生きる目的は 生きること 自…
うみのよう
2021年10月24日 06:50
私は生きる生きるために生きる生きること自体が目的であるだから他のことは手段である生きていながら生きる目的を探す人が多い生きる目的は生きること自体でよい生きる目的を探す人はそれ以前に生きているのだ心臓は動いているそのことに気づけば何も焦る必要はない生きていると時間があるだから好きなことをすればよい勿論生きるために不本意でもし
2024年6月13日 10:56
親に幼い頃から常に恣意的に誰かと比較されて、貶められてきたとしたら、つらいだろうな。自尊感情、自己肯定感が育たない。誰かに癒されない限り、一生痛みと苦しみ、自己否定感は続く。でも残念ながら、そういう罪悪感をもたない超毒親はこの世に存在する。それが現実だ。
2024年6月13日 09:49
当たり前に思っていることが当たり前でなくなると価値の逆転が起こる絶望が希望になったり希望が絶望になる人生、一寸先は闇闇も光も全てを受け入れてそれでも立ち続けるそのようにありたいと願うけれど
2024年6月6日 16:35
私たちは多くの人が彷徨う深い霧の森の中で生きている
2024年5月27日 06:55
世の中から競争がなくなればもう少し緩やかで生きやすくなるのだろうか競争のない世界お互いを較べ合うことなく生きていることを喜び合える世界各々の違いを認め合えれば人はみんなもう少し幸福に近づくことができるようにも思うのだがそんな想像をしてみる
2024年5月23日 06:36
この社会でなんとか適応して生きていかなければならないと自らに強いていたことに気づいた無理をして適応しなくてもこの社会のどこか自分らしくいられる場所でどこかの片隅でささやかに生きていけばいいのだとそう思ったあるがままに心が自由になったそう感じた
2024年5月22日 08:55
人は運命に従って世界を創造し続けている完成されたプログラムの通りにそこには自由意志があるように思えるが自由意志はないとも言える俳優が台本通りに舞台で役を演じるが如く終結は定められているそれは終わりとともに始まりとなる時空を超越した高次な在る者のために
2024年5月21日 08:49
僕らはなぜ急いでいるのだろうなにを焦っているのだろういずれにしても行き着くところは終着点なにも生き急ぐ必要はないなにも死に急ぐ必要はない時が満ちれば人は必ずたどり着くのだから
2024年5月20日 08:58
がんばるとか、がんばらないそんな尺度は捨ててしまったらどうだろうか集中する、弛緩するそちらのほうがいいように思うのだが
2024年5月11日 15:13
なんか最近ゆるんできた。これまで「こうしなければ」と自らに枠ぎめしていたものを外したからか。たとえば食事、たとえば運動。寿命、健康寿命を長引かせるために、検査数値の上がり下がりに一喜一憂して、自分に縛りをかけるのをやめた。ゆるみは心地よい。無理せずゆるむ。少し生きやすくなった。
2024年5月5日 18:47
多様性に縦と横はあるのだろうか。多様性は多様な人がお互いを認め合いう並列の関係になると思うのだけれど。所謂上下関係、支配・被支配の関係はないと。しかし格差は拡大し続ける。全ての人が各々の違いを尊重し合い、横に繋がり合う世界はユートピアか。今後世界はどのように動いていくのだろうか?
2024年4月29日 16:42
人と人との繋がりは大切だが、人との距離も大切だ。物理的距離は人と接する時間、距離、頻度、精神的距離は関係の質と言えるか。人間関係は複雑だ。繋がりたくない関係もある。ユングの示すコンステレーション、星々は引き合い反発し合い全体のバランスを保つ。限度を過ぎると破壊的な影響を与え合う。
2024年4月28日 10:46
中3の時、担任のO先生と進学先について話した。先生は「自分の人生で最期まで一緒に居てくれるのは自分だけ。自分の進路や人生をどう生きるかは、自分自身で決めなさい」と言った。人は結局一人であり孤独であることを教えられ、生徒=1人の人間の進む道を案じて見守るO先生の温かさが心に染みた。
2024年4月27日 17:05
散りし桜の花びらが一枚アスファルトに貼りついているその上を踏みつけて過ぎる靴たちの傲慢な声が響く雨に打たれ風に削られボロボロになり消えていく汚された欠片に目もくれず先を急ぐ意識たち聴け言葉もなく消えていく花びらの聲を儚い美は瞬きの間に消失する
2024年4月27日 06:34
さみしさもかなしみもくるしさもかみしめながらあるくなにかによりかかることなくこのみちのはてるところまであるきぬくそしてまえむきにたおれようしずかにしずかに
2024年4月23日 20:21
高校の頃、三無主義という言葉が流行った。そんなことを思い出した。大人から「近頃の若い者は」と批判的な意味で「無気力」「無関心」「無気力」を指していた言葉だ。1970年代。その後「無感動」が入って四無主義となったが。今の若者はどう言われるのか?もっと「無」は増えているのだろうか?