深川峻太郎

1964年生まれの作文業者。著書は『キャプテン翼勝利学』(集英社文庫)、『アインシュタ…

深川峻太郎

1964年生まれの作文業者。著書は『キャプテン翼勝利学』(集英社文庫)、『アインシュタイン方程式を読んだら「宇宙」が見えた』(講談社ブルーバックス)。本名(岡田 仁志)では著書に『闇の中の翼たち』(幻冬舎)があるほか、フリーの編集スタッフとして手がけた書籍は200点を超える。

記事一覧

「英気」が心配

 仕事が指示待ち状態なのでユルユルと過ごしている今日この頃だ。しかし指示内容が決まった瞬間にアクセル全開で走らなければならぬので、あまりボンヤリしてもいけない。…

深川峻太郎
4か月前
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ビジネス弁としての「展開」──その2

 なぜかふと気が向いて、前に読んだジョゼフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』(今西康子訳・白揚社)に手が伸びてパラパラめくっていたら、きのう書いたこととちょ…

深川峻太郎
4か月前

ビジネス弁としての「展開」

 今年の夏あたりから、ときどき妙な「展開」に遭遇するようになった。メールに添付した原稿や企画書などのファイルをほかの関係者に転送することを「〜に展開します」と表…

深川峻太郎
4か月前
2

およそどうでもいいエッセイのこと

 あれは七月頃だったか、読みたいニュース記事があって、めずらしく週刊新潮を買った。読みたかった記事は思ったほど面白くなかったが、パラパラとページをめくっていたら…

深川峻太郎
5か月前
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優先席の葛藤

 交通機関の優先席での振る舞い方が難しいお年頃である。  正直しんどいので、空いていれば座ることに躊躇いはない。車内を見渡しても、自分より年上と思しき人が見当た…

深川峻太郎
5か月前
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「ブックライター」なる呼称が不要な理由

 ちょっと前にこちらで、業界内の言葉遣いが「ゴーストお願いできますか」から「ライティングお願いできますか」に変わってきたという話をしたばかりだが、先日、いよいよ…

深川峻太郎
10か月前
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何か言ってくれよ沢崎

 惜しくも亡くなってしまった原尞のお兄さんは、佐賀県の鳥栖で「コルトレーン・コルトレーン」というジャズ喫茶を営んでいるという。行ったことはない。写真の灰皿とマッ…

2

廣松渉と京都学派と田舎と都市と近代の超克

 このところ社会学とか宗教とか歴史とか戦争とか人文系の取材や原稿が重なっており、共通するキーワードが「近代」だったりするので、長く積ん読になっていた廣松渉関係の…

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カウント・ベイシーと原子力の1957年

 本日はカウント・ベイシーの命日だそうだ。亡くなったのは1984年。私は大学2年になったばかりの頃だが、訃報に接した記憶がない。このレコードを買ったのがその前なのか…

2

謎のテーリヒェン『バトラコミュオマキア』

 古いカセットテープ群から「テーリヘン バトラコミュオ・マキアー」とだけ書かれた謎物件が見つかった。たぶん中学生時代の自分の字だが、暗号か呪文のようにしか思えず…

カセットテープを聴いている

 仕事場で置き場所を失っていたカセットデッキを家に運び込んだ。結婚直後に買ったミニコンポの一部である。29年前までは、コンポにカセットデッキが含まれていたんだなぁ…

4

ショスタコ交響曲全集と宇野功芳

 ヤフオクでルドルフ・バルシャイ&ケルン放送交響楽団のショスタコービチ交響曲全集(11CD)をたった1000円(!)で落札したら、ブックレットに『レコード芸術』誌の記事…

「自転車さん」と「ELIZA」さん

 道路工事の現場に近づくと、警備員が「歩行者通りまーす」と作業員たちに注意喚起することがある。べつにそれはそれでよいとは思うものの、なんというか、非人格化された…

千のナイフとサマー・ナーヴス

 中学生時代(1977〜1979)、未知の音楽と出会う場は、もっぱらFM雑誌(!)とレコード店だった。学校の友人たちと音楽の話をした記憶はあまりない。たぶん重度の中二病を…

2

偶然と結果オーライ

 きのう言及したブックライター講座、受講料を調べてみたら、5回の講義と4回のオンライン交流会的なもので国立大学の授業料半期分と同じぐらいだったので、腰を抜かしそう…

2

「ブックライター」と「ビジネス書作家」

 ツベコベと2回にわたってブックライター問題について書いた。 https://note.com/deeeeepr/n/nb09cb8688054  が、まだモヤモヤするのでアレコレ検索していたら、とある…

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「英気」が心配

 仕事が指示待ち状態なのでユルユルと過ごしている今日この頃だ。しかし指示内容が決まった瞬間にアクセル全開で走らなければならぬので、あまりボンヤリしてもいけない。こういうときに求められるのは「英気を養う」というやつであろう。

 英気。この語だけ取り出すと、ちょっと新鮮な感じだ。日本国語大辞典によれば、(1)人並みすぐれた才気や気性。(2)活動しようとする気勢。元気──とのことだが、用例は古典ばかり

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ビジネス弁としての「展開」──その2

 なぜかふと気が向いて、前に読んだジョゼフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』(今西康子訳・白揚社)に手が伸びてパラパラめくっていたら、きのう書いたこととちょっと関係ありそうなところに鉛筆で線が引いてあった。

〈どんな社会規範のもとに生きている人間かということは、目で見てわかるものではない。そこで、自然選択によって利用されたのが、社会規範はたいてい方言、入れ墨のような識別可能な特徴とともに伝播

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ビジネス弁としての「展開」

 今年の夏あたりから、ときどき妙な「展開」に遭遇するようになった。メールに添付した原稿や企画書などのファイルをほかの関係者に転送することを「〜に展開します」と表現する人たちがいるのである。

 最初はひどく途惑った。「展開」と言われると、なんだか大袈裟だ。「いやいや、何をなさるおつもりかよくわかりませんが、そんな大層なことはなさらず、ふつうに転送していただければ」などとペコペコしたくなる。

 ス

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およそどうでもいいエッセイのこと

 あれは七月頃だったか、読みたいニュース記事があって、めずらしく週刊新潮を買った。読みたかった記事は思ったほど面白くなかったが、パラパラとページをめくっていたら、五木寛之御大の連載エッセイが目に留まった。

「ああ、まだあるんだなぁ」

 と、シミジミしつつ読み始めたら、これが面白い。エレベーターの開閉ボタンにまつわる話から始まる、およそどうでもいいボヤキ節だが、読ませる。さすがだ。ローティーンの

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優先席の葛藤

 交通機関の優先席での振る舞い方が難しいお年頃である。

 正直しんどいので、空いていれば座ることに躊躇いはない。車内を見渡しても、自分より年上と思しき人が見当たらないことも多くなった。だが、腰を下ろした後で、明らかに自分より年配の方がそのエリアに現れることもある。

 先日も夫婦で座っていたら、そういう状況になった。キャリーケースをまごまごと転がしながら、老婦人が乗車してきたのだ。

 「誰が譲

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「ブックライター」なる呼称が不要な理由

 ちょっと前にこちらで、業界内の言葉遣いが「ゴーストお願いできますか」から「ライティングお願いできますか」に変わってきたという話をしたばかりだが、先日、いよいよ自分のところにも見知らぬ若い編集者から「ブックライティングのご相談をしたい」とのメッセージが届いた。私の名が「編集協力」「構成」としてクレジットされた本を2冊読んでFBアカウントを見つけてくれたようで、それ自体はたいへん有り難き仕合わせであ

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何か言ってくれよ沢崎

何か言ってくれよ沢崎

 惜しくも亡くなってしまった原尞のお兄さんは、佐賀県の鳥栖で「コルトレーン・コルトレーン」というジャズ喫茶を営んでいるという。行ったことはない。写真の灰皿とマッチは、私がこの作家の大ファンであることを知る編集者が取材で店を訪れた際、お土産としてくれたものだ。それ以来、ずっと仕事場のオーディオ周辺に飾っている。

 会ったこともない著名人の死にこんなに深い喪失感を抱いたことは過去にないかもしれない。

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廣松渉と京都学派と田舎と都市と近代の超克

廣松渉と京都学派と田舎と都市と近代の超克

 このところ社会学とか宗教とか歴史とか戦争とか人文系の取材や原稿が重なっており、共通するキーワードが「近代」だったりするので、長く積ん読になっていた廣松渉関係の2タイトル(いずれも講談社学術文庫)がふと気になって手を伸ばしたら、むずかしいけど面白くって、立て続けに読了したのだった。「GWの読書」としては、なかなか高尚な感じでよろしい。ま、GWつっても、ぜんぜん休めないんだけどさ。ほんとは読んでない

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カウント・ベイシーと原子力の1957年

カウント・ベイシーと原子力の1957年

 本日はカウント・ベイシーの命日だそうだ。亡くなったのは1984年。私は大学2年になったばかりの頃だが、訃報に接した記憶がない。このレコードを買ったのがその前なのか後なのかも定かではないが、いずれにしろ当時すでに自分にとっては「古典」だったので、亡くなる前だったとしても、生きているとは思わずに聴いていたんじゃないかな。あと、その37年後に自分が相対性理論の本を書くとも思ってませんでした。

 さて

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謎のテーリヒェン『バトラコミュオマキア』

謎のテーリヒェン『バトラコミュオマキア』

 古いカセットテープ群から「テーリヘン バトラコミュオ・マキアー」とだけ書かれた謎物件が見つかった。たぶん中学生時代の自分の字だが、暗号か呪文のようにしか思えず、いったい何を言っているのかさっぱりわからない。ネット検索にも難儀したが、ナカグロと音引きナシの「バトラコミュオマキア」と入れると、蛙鼠合戦というウィキペディアのページが出てくる。まあ、読んでみてちょ。「イリアス」のパロディらしいが、あらす

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カセットテープを聴いている

カセットテープを聴いている

 仕事場で置き場所を失っていたカセットデッキを家に運び込んだ。結婚直後に買ったミニコンポの一部である。29年前までは、コンポにカセットデッキが含まれていたんだなぁ。いつ消えたんでしょうね。

 まず家人がおそらく学生時代にレコード(2枚組)からダビングしたと思われるスティービー・ワンダーのグレイテスト・ヒッツを聴いてみた。ウン十年前のテープが問題なくふつうに再生されるのだから、カセットテープメーカ

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ショスタコ交響曲全集と宇野功芳

ショスタコ交響曲全集と宇野功芳

 ヤフオクでルドルフ・バルシャイ&ケルン放送交響楽団のショスタコービチ交響曲全集(11CD)をたった1000円(!)で落札したら、ブックレットに『レコード芸術』誌の記事がはさまっていた。安く落とさせてもらった上にこんなサービス(?)までついているとはありがたや。こんなことするぐらい好きなのに手放した人には、いったい何があったのかと思ってしまう。

 5枚のうち4枚は、宇野功芳の連載コラム「志木折々

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「自転車さん」と「ELIZA」さん

 道路工事の現場に近づくと、警備員が「歩行者通りまーす」と作業員たちに注意喚起することがある。べつにそれはそれでよいとは思うものの、なんというか、非人格化されたような気がして、あまり気持ちの良いものではない。「歩行者に聞こえているのはわかっているのに自分たちの会話は仲間うちにしか聞こえていないことにする」という擬似的閉鎖空間が形成されているので、歩行者は疎外感のようなものを味わうわけだ。このところ

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千のナイフとサマー・ナーヴス

千のナイフとサマー・ナーヴス

 中学生時代(1977〜1979)、未知の音楽と出会う場は、もっぱらFM雑誌(!)とレコード店だった。学校の友人たちと音楽の話をした記憶はあまりない。たぶん重度の中二病を患っていたせいで、「みんな」の聴く音楽にさほど興味がなかったのだと思う。ありがたいことに当時のわが家では月に一枚だけレコードを(小遣いとは別枠で)買うことが許されていたので、しょっちゅうレコード店に足を運んで「次は何を買おうか」と

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偶然と結果オーライ

 きのう言及したブックライター講座、受講料を調べてみたら、5回の講義と4回のオンライン交流会的なもので国立大学の授業料半期分と同じぐらいだったので、腰を抜かしそうになった。いったい何をどう教えるのか興味があるので「いっちょ潜入取材でもしてみっか」などと酔狂なことを考えなくもなかったが、受講料を上回る原稿料を稼げるとは思えない。

 たぶん、こういうものに喜んで大金をはたくタイプの人たちが、ビジネス

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「ブックライター」と「ビジネス書作家」

 ツベコベと2回にわたってブックライター問題について書いた。

https://note.com/deeeeepr/n/nb09cb8688054

 が、まだモヤモヤするのでアレコレ検索していたら、とあるブックライターの紹介文に「ブックライターだけでなくビジネス書作家としての顔も持つ」というクダリがあって、ああなるほど、と思ったのだった。

 ビジネス書作家。言ってておかしいと思わないのだろうか

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