偶然と結果オーライ

 きのう言及したブックライター講座、受講料を調べてみたら、5回の講義と4回のオンライン交流会的なもので国立大学の授業料半期分と同じぐらいだったので、腰を抜かしそうになった。いったい何をどう教えるのか興味があるので「いっちょ潜入取材でもしてみっか」などと酔狂なことを考えなくもなかったが、受講料を上回る原稿料を稼げるとは思えない。

 たぶん、こういうものに喜んで大金をはたくタイプの人たちが、ビジネス書マーケットを支えているのであろうなぁ。これにそんなお金を使えるぐらい余裕のある暮らしをしているならライターになんかならんでもええやんか、と思ってしまうのは、きっと私が堕落しているからですね。

 毎年この季節になると、33年前の4月に出版社を辞めたときのことを思い出し、なんとオソロシイ決断をしたのかと怖くなって、胸が苦しくなる。大した経験もない26歳の若造が、どうして「フリーでやっていける」と思えたのか不思議でならない。アホなのかおまえは、と当時の自分を罵りたくなる。来し方を振り返れば、これまで何とか廃業せずに生き残ってきたのは、ただただ運が良かったからだとしか思えない(もっと運が良ければ別の世界線で高額な受講料を取ってウハウハ…なんてことは言わない)。どんな人生もそうだとは思うが、フリーランスでやっていると、すべては偶然の積み重ねなのだとシミジミ実感できるような気がする。

 ただしゴーストライターという仕事については、出版社勤務時代に先輩からそういう仕事が本当に存在することを聞かされた瞬間に、「あ、おれ、それ、できる」と思った。その仕事でやるべきこととやるべきではないことも直観的にわかったし、それはいまでも間違っていなかったと思っている。先日からここで書いているような認識も(もちろん経験を積むことで変化した部分はあるけれど)基本的な事柄に関してはたぶん当時から持っていた。

 要するに、この仕事が先天的に「向いてた」んだろう。書き方を体系的に誰かから教わることもなく、会社時代の先輩や業界の友人が紹介してくれた編集者から「じゃあ、手始めにこれやってみて」的に仕事をもらい、やったらとくに問題なくできて、現在にいたる。

 しかし、師匠みたいな人に原稿用紙をビリビリに破かれながら「こんなモン、使えるかボケ!」などと罵倒されるような経験がなかったのは、自分の弱みだ。確たる方法論を身につけぬまま結果オーライでやってきたから、自分でもどうやって原稿を書いているのかよくわからない。人に教えられることがあるとすれば、尊敬する編集者のみなさんから頂戴したアドバイスの受け売りだけである。むしろ誰かに「おれはどうやって書いてるの?」と聞きたいぐらいのものだ。

 そんなことだから、書き上げた原稿を編集者に送るときも自信がなくて怖い。いつだって、「思ってたのとちゃう!」と言われるのではないかとビクビクしながら連絡を待っている。OKの連絡があると「ああ、あれでヨカッタのか」とホッとするわけだが、それのどこがどうヨカッタのかはわからない。わからないまま、次も結果オーライになることを信じて新たな原稿に着手するのだった。

 まあ、でも、そもそもこの仕事に普遍的な方法論なんてものはないのかもしれない。新規の企画が与えられるたびに四苦八苦七転八倒しながら正解を模索するのが、この仕事のやり甲斐のような気もする。業界とはまったく無縁の親戚に「ヒトシ君はフンフーンって鼻唄まじりに書いてると思ってた」と言われてビックリしたことがあるが、そんなことあろうはずがない。というわけで、そろそろ仕事に戻って、口述作業の終わった新企画の構成をウンウン唸りながら考えることにしよう。

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