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廣松渉と京都学派と田舎と都市と近代の超克

 このところ社会学とか宗教とか歴史とか戦争とか人文系の取材や原稿が重なっており、共通するキーワードが「近代」だったりするので、長く積ん読になっていた廣松渉関係の2タイトル(いずれも講談社学術文庫)がふと気になって手を伸ばしたら、むずかしいけど面白くって、立て続けに読了したのだった。「GWの読書」としては、なかなか高尚な感じでよろしい。ま、GWつっても、ぜんぜん休めないんだけどさ。ほんとは読んでないで書かないといかんです。

 左の『〈近代の超克〉論 〜昭和思想史への一視角』は、伝説的に有名な戦中の『文学界』誌上座談会「近代の超克」や『中央公論』の京都学派座談会などを通して、廣松がおもに京都学派の哲学、思想を批判したもの。いわゆる戦後民主主義者たちに「帝国主義の戦争イデオロギー」として告発された「近代の超克座談会」だが、それだけの扱いでは面白くない(?)ので、京都学派の近代観をちゃんと理解した上でテツガク的に批判しようぜ、という趣旨だと受け取りました。

 で、たしかに京都学派を廣松は批判しているわけだが、戦後民主主義者たちによる全否定的な告発とは一線を画したいという思いが見え隠れしており、なんとなく京都学派を擁護している面がある。そのあたりを解説してくれているのが、廣松の弟子筋にあたる小林敏明が廣松自身の「近代の超克」を論じた右の『廣松渉──近代の超克』だ。両方とも買っておいてヨカッタ。

 これを読むまで知らなかったんだが、小林本では、廣松が亡くなる直前に朝日新聞に発表して物議をかもした「東北アジアが歴史の主役に」という記事が引用されている。〈新しい世界観や価値観は結局のところアジアから生まれ、それが世界を席巻することになろう〉〈東亜共栄圏の思想はかつては右翼の専売特許であった。日本の帝国主義はそのままにして、欧米との対立のみが強調された。だが、今では歴史の舞台が大きく回転している〉〈日中を軸とした東亜の新体制を! それを前梯にした世界の新秩序を!〉云々。思わず「京都学派かよ」とツッコミたくなる雰囲気で、小林も「京都学派流の発想法との類似」を見出し、「廣松自身がかつて鋭く批判した京都学派の東洋主義とどのように距離をとることができるというのだろうか」と述べている。

 この類似性を小林は、御大・西田幾多郎もいわゆる「京都学派四天王」も廣松もみんな地方出身者だという事実から「辺境性」をキーワードに説明を試みる。曰く、「この辺境性は一国の内部で生ずる都市と田舎という近代化の落差に基づいている」が、その一国内部の「遅れ」と、日本というネーション自体が抱えた「遅れ」という二重の遅れを体験していることが、彼らの思想に影響を与えているのではないか、という問題提起をしているのだった。

 この見立てが妥当なものかどうか私なんかにわかるはずもないけれど、これを読んで、なるほど日本人が「近代」を考える上で「辺境(田舎)と中心(都市)」という対立軸は重要なのかもしれんなぁ、と、素朴に思ったのでした。もしかしたらロシア人にとっても重要なのかもしれない。いま日本人は自分たちを「西側の一員」とか「アジアで唯一のG7」とか言い張っているように見えるけれど、実際のところはどうなのか。いまだに「近代」という都市を辺境から眺める立場なのではないか。ウクライナ戦後の国際秩序を見据えつつ、令和の「近代の超克」座談会を開催するとしたら、出席者は誰だろう。なーんていう思いを漠然と抱えつつ、人文系ワークに戻る。

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