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#本

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気になった本をただただ読む。そのまとめ。
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#エッセイ

私の中の「信仰」

私の中の「信仰」

私はいつしか、「私」を捨てることになった。

「なんで、胸の下に線があるの?おもしろい。」
小学校のプールの授業の時間に言われたこの言葉を、十数年たった今でも、鮮明に思いだすことができる。

それは、初夏盛りの午後だった。お昼休みのあと、水泳の授業のために水着に着替え、プールサイドに集まって整列していた時のことだ。
この発言をした同級生は、きっと面白半分で言ったことなのだろう。
ただ、私にとっては

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意志を否定して、意志を救う

意志を否定して、意志を救う

他者への配慮として、「わかりやすい表現」というのは、実に望ましい形式である。誰かに何かを伝えるという行為において、短く、簡潔に言葉をまとめて、それを発語することに、なんら問題はない。

けれども、その言葉の中に含侵されている「意味」というのは、実に、その言葉のままであるという逆説があるだろう。その言葉には、まさにその「言葉そのもの」が、ただ純粋に含まれているだけである。

公理的な言葉としての「こ

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闇 の 自 己 啓 発 , 光 の 自 己 啓 発 『闇の自己啓発』/江永泉 他

闇 の 自 己 啓 発 , 光 の 自 己 啓 発 『闇の自己啓発』/江永泉 他

※長くなってしまいました…。

私が過ごした過去になかった言葉を、現在多く耳にする。全く理解できない異質なものもあれば、理解できないような不思議な言葉もある。その言葉は果たして、真に新しくできた言葉なのか、それとも、人の深層心理よりも深い、可視化できない何かを通奏低音として、もともと存在していたとある「概念」なのか、それを判断することはほぼ無理なのかもしれない。

近年は、とある事象たちは分かりや

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お酒が苦手な人も《飲み会》を楽しむための5つのパターン

お酒が苦手な人も《飲み会》を楽しむための5つのパターン

大学時代、やたらと飲み会での「コール」が流行った。
今思えば、かなりやばい場だったな、と回顧することがある。飲み会とはもはや、酒上戸のための独裁の場とも言い換えることができるのでは、と思うほど。

自分自身も、そんな飲み会の場に身を置くことが多かったのだけれども、そんな雰囲気は嫌いではなかった。

アルコール自体も飲めないわけではなかったし、先輩に連れられて居酒屋に行くのも、そこまで億劫ではなかっ

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要らなくない。むしろ欲しい。「雑感」「あいまいさ」を考える

要らなくない。むしろ欲しい。「雑感」「あいまいさ」を考える

『夏草や 兵どもが 夢の跡』

かつて戦地だった平野に、夏草がぼうぼうと生い茂っている。その戦地に挑み続けた戦士たちの、種種雑多な夢たち。
その夢のスケールや内容は、もはや誰も知ることは出来ない。けれども、それが失われてしまったものであるということは元気に生い茂っている夏草の成長から、対照的に見えてくることである。
その静寂な思いたちを、夏草から感じ取ったからこそ、一句読まざるを得なかったのではな

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