見出し画像

お酒が苦手な人も《飲み会》を楽しむための5つのパターン

大学時代、やたらと飲み会での「コール」が流行った。
今思えば、かなりやばい場だったな、と回顧することがある。飲み会とはもはや、酒上戸のための独裁の場とも言い換えることができるのでは、と思うほど。

自分自身も、そんな飲み会の場に身を置くことが多かったのだけれども、そんな雰囲気は嫌いではなかった。

アルコール自体も飲めないわけではなかったし、先輩に連れられて居酒屋に行くのも、そこまで億劫ではなかった。その点で言えば、自分自身は色々と恵まれていたのかもしれない、と思う。

飲みでの失敗も数えきれないほどあるけれども(記憶にないこともしばしば)、それでもその経験を後先には笑い話に出来ているのだから、自分はやっぱり相当恵まれている。

まぁまぁ、それでも「飲み会が嫌い」って人は後を絶えないのも事実であるし、それは否定できないなぁ、とも思うわけです。だって、人には人それぞれの嗜好があるわけですから。

酒下戸が酒を飲めなくても、もしかしたら激辛にはめっぽう強いかもしれないし、大食い早食いも得意かもしれないし、各々の得意分野ってものがあるはずなんです。

ただし、得意か不得意にかかわらず、酒上戸と酒下戸にかかわらず、参加したからには、その「道楽」を自分なりに楽しむ方法を見つけなきゃいけないと思うし、そうでないともったいないとも思うわけです。

「酒と酒場の博物誌」

この本には、世界中に存在するサケについて著者の立場から綴った「文学的酒録」が、多数掲載されています。

シャルトリューズ、椰子酒、ミード、紹興酒、カルヴァドス、太彫酒、アララト、ペリー、グーズ、コニャック、ロンリコ、ジョニ黒…

その酒を軸に、酒豪の著者が翻弄され、ときに振り回されている(?)様子を、鮮やかに描きだされています。

その内容はどうであれ、この著書に通じている、酒に対する「思想」や「行動」に影響を与えているのが、「道楽」に対しての素直さであり、「酒道楽」を実践しているさまをありありと読み取ることができます。

著書には書かれていませんが、自分なりに居酒屋での酒道楽の方法を何パターンか考えてみます。

① ひたすら飲む。飲んで駄目になる。

一番わかりやすいパターンです。もう兎に角飲んでしまう、という暴力技です。飲んで楽しくなって、周りの雰囲気に一躍買うことになりますが、それと引き換えに、翌日は二日酔いになること間違いなしです。

まぁこれは、飲める人に限られる技ですね。

② 飲めないけど、雰囲気にはついていく。

「いやこれが飲めない人にはつらいんだけれども…」って感じですよね。その前に、参加するかしないかって問題があると思いますが、参加したのであれば、その場の雰囲気についていくことくらいはしてもいいと思うんですよね。

全然飲めないのに、テンションはひたすらハイな人っていると思うんですけど、その人はもともとハイな人種なわけではなく、その場の空気に合わすことがうまい、世渉上手な人だとも、私は思うわけです。

③ 酒ではなく、居酒屋を見てみる。

深酒は出来ないけれど、酒は好き。けれども、飲み会は億劫かも、という人も少なくないと思います。次の日が仕事だと、余計そう思ってしまいます。そういう時は、「酒を飲みにきた」ということを忘れるのも手だと思うのです。

居酒屋の内観の個性は、細部に出ます。色々なところに目を配って、「居酒屋に来た自分を楽しもう!」と気持ちを前向きに持っていくのも手です。

④ 酒ではなく、人を見てみる。

人は、《店員》でも《カウンターで横にいる人》でも《隣の席のじいさん》でも《一緒に飲みに来た隣人》でも、誰でもいいわけですが。

居酒屋という狭いコミュニティで共に過ごしている時間にこそ、その人の考えだったり、思いだったり、思想だったり、姿勢だったり、いろいろなことがお酒によって剥がされてあらわになると思うのです。

居酒屋に行く前に、その人についていつも聞けないこと、質問を2~3個考えてみるといいと思います。その質問でどういう返事が返ってくるだろうと妄想してもいいかもしれません。その質問に対する返事について、また質問して聞いてみると、その人のことをもっとよく知ることができますね。

その人に興味あるなしにかかわらず、このくらいの準備はして置くべきだし、損ではないと思います。むしろ、自分にとって良いことずくめです。

⑤ 酒を見る。

酒下戸な人が仕方がなく行く飲み会ほど、苦痛なことはありません。それでも出席しなければいけない(断る理由がない)会であるなら、「飲み会に行く」ではなく「酒に詳しくなりに行く」と考えていくのも手だと思います。

何事も、詳しくなることは悪いことではありません。嫌いなことにモチベーションを振るのは、それこそ苦痛かもしれませんが、その知識が酒上戸の人と話すときに役立つ時だって来るかもしれませんよね。

「…東京都の遥か南下したところにある青ヶ島って、島民は数百人しかいないところらしいんですけど、独自の焼酎があるらしいですよ。青酎って言って、何人も杜氏がいて、風味も色々あるらしいです。その青酎ってかなり味も独特みたいで、面食らう人多いみたいですよ。あ、自分は酒は弱くてなかなかダメなんですけど、以前行った飲み屋で教えてもらって…」

酒下戸でも、酒を語れるようになったら、それはそれはすごいギャップですよね。こんな風になってみたいものですね。

酒の中に真実あり

「酒のに真実あり」とも読めると思いますが、非常に奥深い言葉です。

酒が引き寄せる経験もあると思いますし、経験が引き寄せる酒もあると思います。《酒の中》とは、実際の酒だけではなく、その酒の周囲を循環する人の関係性が有るとも思ったわけです。

であるので、「酒のに真実あり」とも読めて、考えに浸れる素晴らしい言葉だなと、感じたわけです。

うだつのあがらない一書生

著者が本著で言っていた一言です。

非常に謙った言い方ですが、やはり私たちは一生「一書生」として生きるのだろうと思うのです。完成品としての自分は一生到来しないということです。

どういう観点で「完成」と見なすのかも曖昧であるので、そのことで更に助長される想いです。

であれば、未知なことに対して《知りたいという欲求》を枯らすことなく生きることが肝要なわけで、それについてを本著では「酒」で実践したこと他ならないのだと、気づきがありました。

人も、酒も、酒場も、それらを取り巻く世界も絶え間なく変化に晒されてしまいますが、その中で変わらない何かを見つけてみたい、そう思います。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?