だい

30代前半🏳️‍🌈/ MR / 打楽器 / 読書 実用的にみえないけど実は実用的、みたいな物事… もっとみる

だい

30代前半🏳️‍🌈/ MR / 打楽器 / 読書 実用的にみえないけど実は実用的、みたいな物事が好きです。 私のノートの内容も、そんな感じになっています。

マガジン

  • #本

    気になった本をただただ読む。そのまとめ。

  • 偶像性と多様性について

    1つにまとまるような偶像的なものはあるのだろうか。多様なものとは何なのだろうか。と、いろいろあれやこれや書いてます。

  • #気になる記事

    他noter様の気になった記事、後で読みたい記事まとめ。

  • #散歩

  • #音楽

    音は楽しいもの。ただそれだけ。

    • #本

    • 偶像性と多様性について

    • #気になる記事

    • #散歩

    • #音楽

最近の記事

  • 固定された記事

クラシック音楽は「見るな!」「聴くな!」「理解するな!」

\\ 「「クラシック音楽の敷居は決して高くない!!」」 // 世界的に有名な指揮者であるグスターボ・ドゥダメルは、このコロナ禍とマッチした、クラシックの新たな可能性を引き出す活動を開始しました。 バーチャルリアリティー(VR)を使い、オーケストラの団員の一人であるかのように、クラシック音楽の世界を体験できる取り組み「シンフォニー・プロジェクト(Symphony Project)」がこのほど、スペイン・バルセロナ(Barcelona)で始動した。 VRを活用した、クラシッ

    • 今は、どうだろうか?

      家の中には「世界の幸せ」が詰まっていた。 おいしいごはんが待っているのも家だったし、好きなテレビを見ることができるのも家だった。気持ちよく寝れるのも家だったし、ゲームボーイを初めて触って興奮したのも家だった。夜中に灯りひとつで読む本の楽しさを教えてくれたのも家だったし、朝にだれかの声で心地よく自然に目覚めるのも家でだった。常にその場所には、幸せと思われる何かが詰まっていた。 今は、どうだろうか? 家の外には「世界の楽しい」が詰まっていた。 学校へ行くまでの道のりは新しい発見

      • 「実用的な生き方をする人が嫌い」という信念を持つ自分を好きになることはない『ノルウェイの森』/村上春樹

        私自身の問題ではあるのだけれど、普段からプラグマティックな考え方に完全に同意することができないでいる。実用的なことがあたかも正義であるかのように語る人を見聞きすると、その語り自体さえもプラグマティックに支配されているのではなかろうかと思うからだ。実用的なものへの称賛自体が、つまりは実用性に富んでいると思ってしまう。実用的に実用性を語るということ。全ては実際的で実用的であると実用主義者は語るのであるから、その語り自体も実用性に富んでいるのである。実用と実用の相互作用がここに存在

        • スキニーパンツくんとの出会い

          君とぼくが初めて出会ったのは、まだぼくが大学を卒業して社会の海に飛び込んだころだったことを記憶している。その出会いは、いくらか衝撃的だった。それは-幾分信じがたいことだけれど-ぼくは君に「全て」を見透かされていたからなのだ。文字通り、「全て」を。ぼくが経験してきたあらゆる喜怒哀楽の根っこを、君は太陽のような光量でもって照らし続けていたからなのだ。君がぼくの喜怒哀楽の中の「怒」と「哀」を注意深く照らし続けていたことも印象深く記憶している。たぶんだけれど、それらを照らしている時の

        • 固定された記事

        クラシック音楽は「見るな!」「聴くな!」「理解するな!」

        • 今は、どうだろうか?

        • 「実用的な生き方をする人が嫌い」という信念を持つ自分を好きになることはない『ノルウェイの森』/村上春樹

        • スキニーパンツくんとの出会い

        マガジン

        マガジンをすべて見る すべて見る
        • #本
          だい
        • 偶像性と多様性について
          だい
        • #気になる記事
          だい
        • #散歩
          だい
        • #音楽
          だい

        記事

        記事をすべて見る すべて見る

          限界と空白の間を想像する力『海辺のカフカ』/村上春樹

          『海辺のカフカ』上下/村上春樹 読了。 文章の細かな構築や言い回しに感想を求めてしまいがちな自分ですが、今回は大まかな雑感を述べてみようと思います。 *** 人には基本的に、限界というものがあるのだろうと思う。あらゆる事態に、その限界は必ず存在していると感じる。人には限界があり、その限界点を越えたところには、何も存在しえない、つまり、「空白」なのである、と。自分が認知できる範囲の限界というものがあって、その限界範囲を超えたところに、「空白」が存在している。 けれども、

          限界と空白の間を想像する力『海辺のカフカ』/村上春樹

          名曲喫茶ライオン

          古風なステレオの音量バーが常に最大値を指し示すような喧騒に囲まれて存在している渋谷の街の中には、古風なステレオの音量バーが常に最小値を指し示すような〈無駄な音が許されざる空間〉がある。その場所は渋谷道玄坂を少し上がって道なりに曲がった小路にひっそりとたたずんでいる。そこはラブホテルがひしめき合っている場所でもある。 あちらこちらにあるラブホテルには、昼間でも男女のカップルであふれている。(もしくは、カップルとは別の関係を約束した者たち。)判別のつかない2人組が滞りなくその空

          名曲喫茶ライオン

          この世界には確かなことなんて無いかもしれない。けれども、何かを信じることはできる。「騎士団長殺し」/村上春樹

          『騎士団長殺し』面白く、不思議で、洞察深い物語でした。 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』『街とその不確かな壁』に続き、村上春樹は3作目です。『騎士団長殺し』の前に読了した2冊で、村上春樹の『手腕』的なものと『文章技巧』的なものと『軸』みたいなものが、概ね把握できたのは、『騎士団長殺し』を読むうえで有益でした。 今回は読みながらその瞬間に思ったことをツイートし書き留める作業をしてみました。140文字という制限とフォロワーの目があるということもあったので、端的に『纏

          この世界には確かなことなんて無いかもしれない。けれども、何かを信じることはできる。「騎士団長殺し」/村上春樹

          「街とその不確かな壁」均一さと参照先のない事実について

          「街とその不確かな壁」は私にとっての村上春樹2作品目の長編小説として存在することになった。それまで村上春樹作品は短編集を1冊読んだきりで、今年に入って「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読了し終えたばかりの新参者である。古参者から見た私は、いわばひよっこである。過去の作品を振り返りながら、思い出しながら読む最新長編作品は、実に味わい深いものであるのだろう。まるで、甘さと辛さを兼ね備えた、深い旨みに支えられた純米吟醸のように。文だけではなく、その文によって印象付けられ

          「街とその不確かな壁」均一さと参照先のない事実について

          舌でリキュールの苦みを感じながら甘い夜景を見る

          バーの中には、一定のリズムみたいなものがある。 そのリズムを生み出しているのは、カウンターの向こう側でショットを作り続けているバーテンダーだ。 バーテンダーの動作は、一定のリズムに裏打ちされた洗練さがあり、誰もがその姿に影響を受けてしまうからだろう。 その動作に影響を受けるのは、酒をたしなみに来た客だけに留まらない。バーの中のすべてのモノに、影響を与え続けている。 たとえば、リキュールの瓶たち。それらは、バーテンダーの動作を最適解に導くために、理路整然と配置される。

          舌でリキュールの苦みを感じながら甘い夜景を見る

          当たり前、ってなんなんだ。

          とある言葉や、とある行為に出会ったとき、私はその言葉や行為の良し悪しを判断する。この言葉は、「良い」のか、それとも「悪い」のか。良し悪しという言葉でないにしても、これが私にとって「正義」なのか、「悪者」なのかと、瞬間的に考えている。 例えば、「同性愛」という言葉やそれを取り巻く現象に、私は「良い」という判断を下す。性愛は、人類平等にあってしかるべきだ。ならば、「同性愛」的側面を持つ人に、性愛を語る「正義」もあるだろう、というわけである。しかし、私のように「正義」と思うことが

          当たり前、ってなんなんだ。

          2022年演奏と言葉の旅

          今年は久しく本番が多い年で、吹奏楽2つ、オーケストラが2つ、アンサンブルは1つの計5つのステージに参加できた。 参加月にメモしてあった言葉を振り返って、今年を俯瞰してみる。 2022年3月(ほぼ)初の吹奏楽の本番があった月。 「興奮しない。エゴを外に向けない。自分の内にとどめる。」 この時は、自分の演奏を誰かに聞いてもらうことで《圧倒させたい》みたいなことを考えていた。けれども、それは客側からしてみれば単なる一方的ではた迷惑なエゴでしかないのではないか、そう考えた。音楽

          2022年演奏と言葉の旅

          意味を考える「意味」

          「西日に照らされる紅葉のパッチワーク」 ふと、自然が見せてくれる景色に、ただぼうっと感動することがある。ただただ、見惚れることがある。その瞬間を説明してくれる意味を、その時は考えたりしない。考えるよりもまず、感じてしまう。なぜ、そのように感じるのかは、その瞬間には考えることが出来ない、ということだ。 燦燦と赤くきらめく紅葉に、鋭く西日が差し込まれる。まっすぐ見れないほどその赤みを増す自然は、もはや私の思考のいとまを許さない。ただ感じる他ない、という、無力感のような、抱擁感

          意味を考える「意味」

          想像を創造する 『すずめの戸締まり』/新海誠

          ※以下は「すずめの戸締まり」に関した内容です。 文庫版、映画のネタバレはありません。 「私」と「私」日常を過ごすために、私たちは常にだれかの「お世話」になっている。それは、朝に起きる瞬間から始まっている。目覚まし時計だ。目覚まし時計は私たちが起きたい時間にアラームが鳴るように自動設計されている。つまりは、このような時計になるように設計した「誰か」が居るのだ。私が寝ているベッドやパジャマ、照明、カーテン、陽の光、コップ一杯の水、シャワー、歯磨き、朝食…。朝という場面だけでも、

          想像を創造する 『すずめの戸締まり』/新海誠

          私と、陶器と、鏡と

          ふと私は私自身について非常なまでに「陶器的な」側面つまりは陶器の私を見出すことがある。その瞬間は突然私の元を訪れて、その次に陶器から私自身は何かを問う声を聞くのである。如何程の問いを私は投げかけられているのかと言えば例えば、その陶器はとてもきれいだね?君の陶器はどこ産のものなの?君が作った陶器なの?それとも習作なの?目を惹きつける色々な模様はどのような意図があるの?色の配置には何か不可思議なものを感じるね?…、とにかくその都雅な陶器は突然私の前に現れ、このように執拗に問い質し

          私と、陶器と、鏡と

          三島由紀夫の『金閣寺』をスライド形式で振り返る 

          先月に三島由紀夫の「金閣寺」を読了してからその衝撃を忘れることができず、一スライド一題目の「1対1対応」で振り返ってみました。 振り返るとわかる、内容の密度と、その文言の壮麗さ。 何度でも読んでその内容を噛みしめたい、そう思わせてくれる作品です。 ※スマホを横にして任意の画像をタップすれば、あとは横にスライドして画像を流れるように閲覧できます。

          三島由紀夫の『金閣寺』をスライド形式で振り返る 

          私の中の「信仰」

          私はいつしか、「私」を捨てることになった。 「なんで、胸の下に線があるの?おもしろい。」 小学校のプールの授業の時間に言われたこの言葉を、十数年たった今でも、鮮明に思いだすことができる。 それは、初夏盛りの午後だった。お昼休みのあと、水泳の授業のために水着に着替え、プールサイドに集まって整列していた時のことだ。 この発言をした同級生は、きっと面白半分で言ったことなのだろう。 ただ、私にとっては、今でも残る《心の刻印》として、この言葉が機能していることを否定することはできな

          私の中の「信仰」