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憲法1条も、まともに理解できないのに護憲を語る、胡散臭いアレ(9条)な人達の正体


戦争反対とか、戦わなければ平和だとかいう連中がいますね。


そもそも、この手の輩は戦争とは何か
平和とは何かを全く考えてないし、実現の具体的な方法論もないのに
只のスローガンを掲げているのは、胡散臭いと思いますよねー。
実は自己利益を追求するために、もっともらしいスローガンを
建前で、掲げているだけではないでしょうかね。

ようするに「ウソツキ」の集団だということです。

まずは、日本国憲法典を読んでみましょう。
 憲法が掲げるのは法基準ではなく、文化基準です。


憲法1条では

  天皇を国民の統合の象徴としています。  

  天皇は神道の神官であり、シャーマンの一族です。
  シャーマンは、厳しい自然(神々)そのものだけでなく、その中で
  賢明に生きてきた先人の苦労(経験)を崇拝し、祈りを捧げます。

  それを一言で言えば、文化への崇拝です。

  天皇は文化の長だという事です。

  国民は、共通する文化の下で統合される
  まあ当たり前の事ですね。

  9条も含めた、成文法の下ではありません。

  祝祭、お祭りを主催するのが、天皇なのです。
  国民を統合するのは、お祭りだと、1条は言っているのです。
  昔から、国の運営は政(まつりごと)といったりしますね。

  日本国憲法の1条は、最初に何をすべきかが書かれています。
  実務的な組織経営を知ってれば、簡単にわかる話ですが
  まず、組織は何によって、まとまっていくかです。
  
  人をまとめるのが、組織運営のスタートです。
  同じ文化を共有し、仲間意識がなければ必ずこけます。

  多文化共生は大事ですが、異なる文化同士だと争いが起きます。  
  共通の文化を育てるなりして、共有する事が大事です。
  だからオリンピックとかやってるわけでしょう。

  最低限の歯止めとしては必要でしょうが
  はなから成文法とか規則で、無理やり人をまとめることはできません。
  善悪を明確にする方法で、人を脅して従わせるのは
  権力(暴力)を背景とした、力づくなので
  かならず不満を抱く人が、たくさん現れ、組織は分裂します。

  そんな上から目線の野暮でダサイ、無理やりやらされる
  祭りもどきには、誰も参加したがりません。
  付き合いがあるので、無理に参加させても
  適当にやるだけで、結果にはつながりません。

  お祭りは、一人一人が、自分から祝いたい
  やりたいと思って参加すべきなのです。

  
 憲法は13条では

 個人の尊重を近代国家の目的に掲げています。
 個人は言うまでもなく、それぞれがユニークな存在です。
 ようするに個々人はユニークな文化です。
 一律の法基準を正当化して
 ユニークな個人(文化)の尊重はできません。

憲法25条では

 最低限度の文化的生活を国民に保証しろと命令しており
 ナショナルミニマムとして
 文化基準のサービスの実現の方向性を国家に義務付けています。
 法基準は最低限の歯止めで、そんな低い基準では
 文化的な生活は実現できません。

 ユニークな存在がない、一律の画一的な法基準の物しかない
 世の中で、文化的な生活ができるでしょうか。
 民間に、かなわない事まで、無理にしゃしゃりでろとは言いませんが
 公共も、最低限であってはいけないのは
 民間と公共の対立と競争の関係からも明らかです。
 公民、それぞれ人々をまとめるのが組織運営の大前提で
 コミュニケーションの活性化を促進するのは、同じでしょうしね。

 最低限を目安にすれば、そんなもの簡単に逸脱してしまうのは
 警察の冤罪や、不法行為だらけの政治と行政で明らかでしょう。

 だから憲法は法基準より、高度な水準の文化基準を掲げています。

憲法98条では

 この憲法は最高法規だと記述してあります。
 では憲法とは何でしょうか。
 それは文化です。

 イギリスで発祥したオリジナルの憲法は
 不成文憲法で、憲法典などありません。
 イギリス人は社会生活を営む上で
 自然と身につくのが憲法という常識なのです。
 だからイギリスは国民主権ではなく、国会主権です。
 その常識は文化といいます。

憲法が他の法律や規則に優越するのは文化だからです。
(人権を侵害する悪習は文化とは定義してません)


なんでアレ(9条)な人達は違憲な法基準で護憲だと言ってるの?


ウソツキの既得権益者だからです。

公務員と、公務員組織から便益を受ける
既得権益者である自分らを一般国民より
特別待遇で事実上の特権階級にするためです。

街のスーパーマーケットを見てください。
最低限で営業してるスーパーマーケットなどありません。
ユニークで固有で、多種多様です、それは文化基準だからで
それが誰の目にも明らかな現実で常識です。

ユニーク(固有)で文化的にすれば
リスクが生じ責任が発生します。
いわれたとおり、支持されたとおりでない任意な部分は
法制度に責任を押し付けることはできません。

もちろん、最低限の法基準だけ守っていては
サービス業としてスーパーマーケットは成り立ちません。
生き残るためには競争ではなく、他者と競争、競合しない
差別化とブランド化は、基本だからです。

アレな人達は
ようするに法基準という最低限度のサービスをして
責任逃れをしたい、最低限なら挑戦しなくていいし
リスクもないから、結果で評価されず、無能な自分でも
出世できるそういう魂胆です。

こういうウソツキを、宦官(かんがん)といいます。
古代中学の馬鹿の古事を参照してください。
宦官は、自分達に有利なように、基準をすり替えます。

法の支配の憲法を、法治主義の法律で上書きして
法律による法基準で、偉そうに、王様気取りで、国民に命令し
平然と反乱している、反逆行為を行っている反乱者達です。

社会的な責任のある、それなりの組織が
自分達の規則を持ち出して、一方的に
相手と調整もしないで、都合のいい事ばかりを押し通す。

こういう、ウソのつき方を、ガスライティングなどと、言ったりします。
わかりやすくいえば、いじめと同じです。
はなから、でたらめなウソの言動を行い
相手が間違ってるという心理的な状態に陥るように
狡猾な認知操作をし、自主的に黙らせ、歯向かわないようにさせる。

ガスライティングで、歯向かわないようになった状態は
ストックホルム症候群なんていったりします。
社会正義など、どうでもよく、享楽だけを追い求めるような
人間性を喪失した無気力な状態に、追い込むわけです。

人間の良心を破壊する行為で、憲法で禁止されている
(心理的)拷問行為にあたります。

日本の警察官が、警察を監視、批判する国民に対して
日常で、やってる卑劣な、ものでいいですね。

憲法の文化基準で仕事をしろと命令するのが国民国家です。
日本はマスメディアが、最低限の法律や規則を守ればいいんだと
ウソをいって国民を騙し、そこに公務員が便乗して
法律や規則で、国民に命令する、文化を基準としない
法を基準とした、近代国家の体をなしていない状態になっています。

日本国民は、いい加減、この事実に気づくべきだと思うのですが。

騙されている納税者の皆さんは
政官財学+マスコミの既得権益者たちに見下されて
舐められてるんですね。

日本国憲法の命令に従う文化基準の公務員は
じゃあ、具体的にどんなの?


文書で記述するより、動画の方が早いですよね。

信号とかのない交差点でしょうかね
警察官が交通整理しているインドの光景です。

法基準で、こんなユニークな事をしろと言ってるのでしょうか
そんなわけはありません。警察官自身が、現場で自分で考え判断して
責任を負う覚悟で、やっているのでしょう。

警察の交通取り締まりで、違反切符を切れば
取り締まるコストは当然ですが
さらにコストのかかる事務手続きが発生します。

裁判沙汰になれば、もっと莫大なコストになります。

文化基準は言語、非言語のユニークなコミュニュケーションを駆使して
コミュティとして、仲間だから互いを尊重しようという
気持ちがあふれる、文化的で人間的な、世の中にする基準です。

まあ、普通にやってる常識ですね、それが文化です。
問題があったら、すぐに裁判所に訴えて、法制度で解決しようなんて
法基準を持ち出すのは役所ぐらいです。

やくざな人達でも、まともな部類は
日本ではそういうことはしません。

人間性のない法基準は人を単純な善悪に分かち
コミュティから人を阻害し、仲間意識を消失させ
互いの不信感を広げ、コミュニティを根底から破壊します。

憲法を無視している法基準は
治安の前提となっている(憲法)秩序の破壊で
本末転倒で、治安の根底からの破壊行為です。

国家の防衛は自衛隊だけではできません。
国民国家は、総力戦体制なので
後方の国民の理解と協力、支援がなければ成り立ちません。
秩序の破壊は国防体制の破壊行為です。

法基準とは古代からある法治主義という
ソクラテスの言う悪法もまた法になってしまう
迷信かつ悪習であって、知識で人の社会は治まらないんです。
だから文化(非言語)がきちんと残っているんです。

学ぶことを否定する気は毛頭ありませんが
知識(学歴)が無く、良く知らなくても
社会を、より良くして結果を出している人はたくさんいます。
結果を出せるのは知恵の有無ではなく
クリエイティブで文化的な才能だとは言ってます。
(人をまとめていくことは、結果を出す大前提ですからね)


日本でクリエイター達が阻害される理由
(イノベーターも)


江戸時代までの日本は、日本ではなく
幕府という政権はありましたが
たくさんの独立国(令制国)がいっぱい乱立していた状態でした。

身分制度もですが、多様でユニークな国々が
普通に存在していました。

イギリスという七つの海を支配し、世界に君臨する
覇権国家が現れたために、それをマネして
まずはアメリカやフランス
そして、イタリア、ドイツ、ロシアそして日本が
イギリスのような近代国家となろうとし始めたんですね。

イギリスも含めると今のG7です。

ドイツ、ロシアや日本、出遅れた国ほど
近代国家としての最低限の事を早く実現して
追いつくために中央に強力な力を持つ政府を作りました。

力がある政府は、法基準(法治主義)をおしつけ
文化的なユニークさ(法の支配)を排除してでも
まずは最低限の一律で、画一的な状態を実現しようとします。

分権されていると、国家として、統一した事が進みませんからね。

強国に植民地にされないで、生き残るためには
最優先で、法基準でやらないといけない事情があるわけです。

現代日本で、文化と、それを生み出すクリエイター
先進的な分野であるアニメやゲーム、漫画が否定された理由は
この辺にあるでしょう。

江戸時代は、多様な文化が花開いてましたし、おおらかでした。
明治維新では江戸時代の多様性は否定されました。
全国一律に普及していた、文化でないと
国として一つにまとめることはできないからですね。

アニメなどのサブカルチャーを世界的な物まで、押し上げた人たちは
学生運動などをして、権力に目をつけられて
普通の生き方が出来なくなった、過去を持つ人が結構いると聞いてます。

そういう人達の声をきちんと聴けて支持をして
一般に普及するまで、押し上げた、今の若者は
私は素晴らしいと思います。

揚げ足取って、優生思想者とレッテル張りのために
藁人形論法で、成田雄介氏を叩いている
意味のわからない、法基準の既得権益者の
老人どもよりはよっぽどね。

ジャニーズ問題などが、おそらく氷山の一角でしかない
腐った芸能界の方がよっぽど問題だとは思います。

現代の日本で、法基準を主張して
憲法無視の連中がなぜ、護憲といっているのか?

本当の支配者で主である文化に支配され
既得権益の根拠が、ウソだとばれて
失われてしまうことを恐れているからです。

ウソに嘘を塗り重ねて、ウソのマシンガンと言ってもいい
ウソの飽和攻撃で、本当の事を知られたくないようにしてるんです。
本来、自分がしなければならない説明責任を
相手に平然と押し付け、悪魔の証明を相手にしいて
嫌がらせし諦めさせるのが、ウソツキの常とう手段です。

4つに国で構成され、分権が進んでいる
近代国家のオリジナルのイギリスを見てもわかるように
憲法とは法の支配で、法の支配とは文化の基準の
文化の支配なんです。法基準で法治主義ではありません。

ちなみに、現代日本は知識、特に法制度を熟知した人を重視して
イギリスのような人権や対話を重んじる文化的な国になっていますか?

なってませんよね、欧州もそうですが、遠い存在だ。
週休3日にしたいですよねー。

日本には1000年以上、積み重ねてきた歴史
そして文化があります。

画一的な法制度に頼らないで、限られた場所でしか通用しなくても
ユニークな文化的なやり方で問題を、解決していくべきではないですか。

ウヨのあんたは憲法を改正して戦争をする国にしたいんだろう?


たしかに、私は兵法家で戦争の研究家です。
同時に、神話などの物語の研究家で
経営実務の研究家でもありますが。

だからこそ、私は文化立国を目指すんです。

兵法とは、戦わずして勝つことであり
平和主義の書です。
究極の戦争とは、戦わず世界の全て支配する事です。

殺し合う、暴力的な戦争は
様々なコストがかかるだけでなく
何が起きるかわからない戦場の霧が常ですので
兵法が、進んで、やれということは100%ありません。

暴力的な解決は、文化的である兵法がうまくいかず
戦争になってしまって、しょうがいないから、やる話です。

兵法は、兵は詭道也といって
戦いの本質は情報戦、認知戦だと言ってます。

具体的に言えば、ユニークな文化をもって
相手の心を心服させ制する事です。
目先、人を欺いても、後で反感を買い敵対心を持たれるだけです。
それを解消するのは大変な苦労です。

日本は戦国時代に、安心して暮らせるという約束を守らない
でたらめのウソで、民衆の反感を買い
刀狩に応じてもらうぐらいに、権力者が信用してもらうまで
戦国武将までが民衆に一揆で殺されてしまうような苦労をしています。
こんな結果を招くウソは兵法でありません。
契約や約束事を守らないのは、いつの世も詐欺です。
(関白秀吉は力づくで刀狩をさせたという説は賛同しません
  なぜなら、秀吉は天皇の権威を利用しているからです。)

日本国憲法は平和主義というユニークな特徴を持っています。

その考えは、全人類の心を心服させる文化的な象徴です。

自衛隊を軍隊にするべきという意見は持ってはいますが
あくまで文化基準の文化立国であるという大前提は
兵法的観点から譲れないです。

戦争をする国ではなく
兵法に倣い、文化で他の強国の国民を心服させ
強力な集団をつくりあげ、戦わずして勝つという
真の戦争はしたいですが

兵法も用兵もわかってないような
暴力をふるえばいいと考えている
何も考えてないヒステリックな輩ではありません。

中国との古くからの歴史に倣った
伝統的な関係性、つまり中国との間で築いた文化を重要視しますし
ロシアとも協力し、共通した文化を育んでいくべきだと考えています。
法制度に頼らず、文化を育み、守護するのが護憲なんですから。

善悪を分けてしまう野蛮な法基準が
敵国をつくるだけでなく、日本人という
コミュニティの内部にも、疎外感から、亀裂を生じさせ
広がった不信で、仲たがいさせ、衰退していき
かつてのスイスのように、若者が傭兵で他国に雇われて戦うとか
戦争をするしかない、産業のない国になり果ててしまうのを
危惧はしています。

皆、貧乏でいい、戦争をしないとかいって
護憲だとウソツク法基準の方々の
机上の空論となるであろう、ウソはうんざりです。

たとえ実現できても、それでいいとは思いません。
国際社会はパワーポリティクスの世界で
文化や政治、経済、軍事などなんらかの突出した物がないと
生き延びていくのは厳しい世界です。

もちろん世界共通の普遍的な法制度ではなく
文化を育むことで、そういう世界ではないようにしたいとも
考えています。

あと、子孫が、貧しくなる生活を容認もできません。
ああいうのは現在は特権的な地位を法基準の
ウソで守っている連中が上から目線でいってることで
軸がないので、そういう連中は貧しさが自分まで及ぶと
100%、戦争をして、他者の命を差し出して
豊かになろうと言い出しますし、戦前はそうでしたでしょ。

「自分はぬくぬくとした場所にいて、お国のために、死ねとかいってね」

だって、そいつらは人としての軸になる
文化度がないですから
だから、平気で人を貶めるような、ウソツキなんですね!

インターネットという世界的なメディアが整備され
言語の壁を超えられ、文化的な活動を強力に支援する
AGIの登場が時間の問題です。

古代からある兵法にもならわずとも
これからの戦いは超限戦、ハイブリッド戦なんです。

情報戦、認知戦は主役で、情報優勢を勝ち取ることが最優先だと
理解もせず、憲法を改正して、軍事力で平和になるとかいう
脳みそまで筋肉で、無思考な輩や
法基準で法治主義者なのに、法の支配の憲法を持ち出し
護憲を語る輩を利用はしても、信用してはいけません。

法基準とウソをつく公務員組織と正面から対決した
鹿児島県阿久根市の元市長、竹原信一さんの
(現市議会議員、元航空自衛隊、二等空尉)
ご主張は有名ですが、日本の政治勢力の思想は全て建前で
みんな、莫大な税金を扱う公務員の既得権益を守り
そこから便益を享受する、日本史において許されない文化レベルの
まがまがしいまでの俗物の集団ということです。

最近はこの集団の事を総称して、ネットスラングで上級国民
とか政官財(学+マスコミ)の癒着などと言ってますが
私は日本国憲法という最低限の常識に反していて、それを警察力で
開き直っている点から、日本を植民地支配し、占領統治している
日本社会主義共和国連邦と言っています。
日本という国の中に、勝手に国を作っているオウム真理教のような
危険なカルト組織だとさえ、考えています。
政権政党である自公政権は
大手宗教集団、創価学会に支持されてるので笑えません。
大手教団の信者は、警察、マスコミ、大学、官僚、政治家
あちらこちらに普通に、いるでしょうしね。

「地獄への道は善意で舗装されている」と
過去の宗教的な権威者は言っています。

人間は善意で人を地獄送りにしてきました。
怖いのは、無思考のまま考えないで言動する、凡庸な善人です。

日本では、この刺された、学者さんが、言葉の自動機械と批判してます。

日本国憲法は、東洋が誇る兵法書にも劣らない
世界に誇れる、特徴的で、魅力的な憲法となっています。


200近い国や地域が存在し
日本を凌ぐような力を持つ、新興国が台頭しています。

ここ20年で、日本を普通の国家にしろという論は
既に陳腐化しています。
競合してしまう近代国家が、たくさんありすぎるのです。

平和主義を特徴としている、憲法は世界から感動や共感を得れ
旗頭となりうる戦略的なユニークさを持っています。

日本国憲法を書いてくれたのはユダヤ人だという話を聞きますが
ならば、日本人は21世紀に、通用する未来を見据えた、
憲法を書いてくれた、ユダヤ人達に、真に感謝すべきです。

憲法を改正するにも、差別化、ブランド化できるような
ユニークさを失わないようにしたいですね。

では〆

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