昔は「エセ同和」が存在した。『それは部落差別だ』と個人や企業や行政を一方的に糾弾し、不正行為(窃盗、恐喝、強要、拘束、営業妨害、闇融資など)を正当化していた。 現代でも「差別」を主張して「特権」を得ようとする者がいる。 「不合理な差別に当たること」は法的に証明されるべきものだ。
問題解決の選択肢よりもマウンティングの選択肢の方が、大体の場合において個人の利益には寄与する 社会全体としては後者の選択肢にペナルティを付けなければならないが、後者の選択を自由とする社会は、法律が存在しないことと同じである 斯様な自由な社会は殺人の自由すらも肯定できるだろう
「極左」とか「極右」とか、私から見ればどちらも原理主義者。全体主義を指向し、自らの考えに同調しない者を排斥する。 世界は原理主義者が言うほど単純ではない。 多様であり、色々な人、共同体、国が存在する。その中で協調しようと努力してる。協調せず犯罪を侵すものは裁かれないといけない。