校則運用の難しさ
あんたはいわゆる「校則」ってやつについて考えることがあるかい?
何かこんな記事を読んだんだよね。
おおう、今でもこんな校則が残っていてそれを実運用してるの?
これさ。誰がどう幸せになるの?
記事によるとだよ。校則で縛り付けないと学内の秩序が乱れるって意見を持っている教師の皆さんはホントにいるらしい。
あるいは状況を変える事に目的意識を持てないってこともあるだろう。
前にこんなことを書いたんだよな。
今回は改めて校則ってやつのことについて考えてみる回だ。
誰がなんのために校則ってのが存在し続けているのかを考えてみようぜ。
学内の秩序が乱れるってどういう状況か
そもそも学内の秩序ってなんだ?
ざっくり言えば、生徒同士で物理的な暴力が行われたり、精神的な暴力が行われたり、生徒から教員にそれらの暴力がふるわれたり、その逆に教員から生徒にそれらの暴力がふるわれたりするってことかな?
確かに暴力が横行する状況はよろしくはない。
多少の暴力は社会勉強の一貫な気もするが。
なに?無茶言うなって?
いわゆる力関係ってのがあって社会ってのが出来上がっているわけじゃんか。
それは暴力という方法に見えないかもしれないけれども、実に巧妙な方法を使いながら俺たちの力関係ってのは成立している。
その前提で考えるなら学校という環境で力関係の構築って経験を積むことは必要なことなんだよな。
暴力を推奨するわけにはいかないけれどね。
校則は学内の秩序を維持しているのか
さて、学内の秩序ってのが暴力の抑制だという風に考えた上でだ。
校則ってその抑制に役立っとるのか?って話だよな。
例えば髪型の規制によって取っ組み合いのケンカを防げるか?
こいつはいくらなんでも無理筋がすぎるよな。
服装の規制によって「おめえその服ダサくね?」みたいな言葉の暴力を防げるか?
こいつは一定の効果はあるかもしらんが、逆に服装の個性ってのを認め合うチャンスも与えそうだ。
爪の長さとかの規制によって「やだ、あの子遊んでる感じよね」なんて言葉の暴力を防げるか?
こいつも無理筋っぽいな。逆に爪を短くしているヒトに対してもどーのこーの言う暇人はそんなにいないだろう。
いや、そもそもだよ。
校則を入学前にキッチリ読み込んでいるやつなんていやしねぇだろ。
ってか教師だってそうだ。
私立の学校だったら万万が一読んでるヒトもいるかもだけれど、公立の教師のヒトなんて、学校を異動するたびに校則を丸暗記し直すなんてやってられるはず無いと思うしね。
学校での法の支配
実社会では法律の専門家として司法、立法、行政の各々の立場での仕事がある。
そうじゃないヒトは六法全書なんて見たこともないだろ?
法の支配を実現するには専門家が必要なわけだ。
では学校では?
司法、つまり校則に準じて罪がの有無を確認し、罪の告発をする検事とその擁護をする弁護士と、最終的な裁定をする裁判官は誰がしているのか?
検事と裁判官は教師のヒトがやるとして弁護は生徒自身がするしか無い。
立法は?
そもそも誰もやってないよな。
昔からある校則という法律を後生大事にかかえているだけだってのが現実だと思う。読みもしないで。
行政は?
可能性として考えられるのは教師のヒトと生徒会のヒトかもしれない。
でも風紀委員会みたいなんが現実に機能しているって話はアニメでしかみたこと無いんだよな。
なんで、現実的には教師のヒトってことになるんだろう。
こんな風に、学校での法の支配ってのはほとんどが教師のヒトによって運営されているってわけだ。
これさ。
まともに運用できるわけなくね?
司法の部分だけとってもだ。
校則の文章の解釈をするためには、立法時の方の理念みたいなものを把握する必要があるわけだ。
で、当然だけれども、立法時の経緯を把握しているヒトなんていやしないじゃんか。
そして、時代に合わせた立法も実現していない。
やるヒトがいないんだもんよ。
で、行政で頑なにその時の教師のヒトや生徒会のヒト(機能している可能性は低いけれど)その時の担当するヒトの解釈で校則を適用しているってわけだ。
こんなの法の支配って言えんのか?
無理だべ。
そもそも校則という学校独自の法を運用する事そのものに無理がある気がしてくるんだよな。
なあ、あんたはどう思う?
この校則という仕組みの存在価値はどこにあると思う?
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