白岩太郎

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記事一覧

小説無題 #16 行方知れず

 柳の弁護士である奥村唯人は頭を抱えていた。  実際のところ仕事用のデスクに座って肘をつき、左の拳を眉間に押し当てているだけなので物理的には頭を抱えていない事に…

白岩太郎
1か月前
1

小説無題#14メキシコ料理店

 「早く開けなさいよ、電話にも出ないし」  ホテルの部屋の前には美幸が立っていた。すっぴんのまま髪を後ろで束ね、蛍光ピンクのUVカットパーカーと白のロングスカート…

白岩太郎
3か月前
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小説無題#13過去の記憶

 美幸は小さな頃から泳ぐのが好きだった。  中学、高校と水泳部に所属し、医大の看護科に入った後も大学水泳部で日々真面目に練習し、大会ではなかなか良い結果を残した…

白岩太郎
3か月前
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小説無題#12ディープブルーの存在ついて

 田中が去った後、柳は三本目の煙草を吸った。とても不味い煙草だ。柳は自分でも予感した通り既にトラブルに巻き込まれつつあるようだ。柳はつけたばかりの煙草を灰皿に投…

白岩太郎
4か月前
2

小説無題#11ハンチング帽の男

 電車に乗った後も動悸が収まることは無かった。今頃店主の死体が発見され、中年女性は警察に通報しているに違いない。そして女性の証言から柳を重要参考人として捜査を進…

白岩太郎
4か月前
3

小説無題#10昨日見た夢

 前日にちゃんと用意した甲斐もあって身支度にはそれ程時間が掛からなかった。冷たい水で顔を洗い、電子レンジを使って蒸しタオルを作り、それを頭に乗せた。元々寝癖が付…

白岩太郎
4か月前

小説無題#9真っ白な空間

 気がつくと柳は真っ白な空間に居た。その空間がどの程度の広さなのか全く検討もつかない。なんせ見渡す限り真っ白であり、かつ満遍なく光が行き届いているのか陰影も見当…

白岩太郎
4か月前

小説無題#8死と眠りの違い

 どのくらい時間が経ったのだろうか? 目を開けると辺りは真っ暗になっていた。柳は目を凝らして時計を見ると針は六時二十分を示している。もしや朝まで眠っていたのか?…

白岩太郎
5か月前

小説無題#7クリスマス会

 柳は何時からか美幸と交際関係になっていた。何時からという明確な境界線は無いのだが、関係性が決定的となった出来事はあった。それは大学一年目のクリスマスイブの夜に…

白岩太郎
5か月前
1

小説無題#6入学式の日

 柳は九州でそこそこ名の知れた高校を卒業した後、上京して都内にある私立大学の医学部に入った。実家は決して貧乏では無かったし柳自身、学校の成績も悪くなかった。そん…

白岩太郎
5か月前
4

小説無題#5リンスとボディソープを間違える

 柳は自分の部屋にたどり着くと、着ていた服を丸ごと洗濯機に放り込み熱いシャワーを浴びた。風呂にゆっくりと浸かるつもりでいたのだが、先程の全力疾走のせいで冷えきっ…

白岩太郎
5か月前
1

小説無題#4逃走劇

 柳が店を出たのは午後一時過ぎだった。雨宿りも兼ねて立ち寄ったはずが、雨は目に見えて悪化していた。厚い雲が空全体を覆い、日中にも関わらず日暮れの様な薄暗さが立ち…

白岩太郎
6か月前
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小説無題#3無愛想な店主

 奥村弁護士は柳を自宅の最寄り駅までタクシーで送ってくれた。柳はタクシー代として多めに奥村に現金を手渡し、手短に感謝を述べてタクシーを見送った。  空は相変わら…

白岩太郎
6か月前
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小説無題#2タクシーに揺られながら

外は、冬特有のどんよりした曇り空が広がっていた。雲が薄く伸びて太陽をさえぎり、灰色の街はより灰色の街として此処に存在している。柳にはそれがこの世の出来事であるの…

白岩太郎
6か月前
1

小説無題#1ある男の裁判

——男は傍聴席を睨んでいた——  男の目には見たものを石にしてしまう程の鋭さがあった。眉間に皺が寄り口元はへの字に結ばれている。優雅に寝癖を整える余裕など無かっ…

白岩太郎
6か月前
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小説無題 #16 行方知れず

小説無題 #16 行方知れず

 柳の弁護士である奥村唯人は頭を抱えていた。

 実際のところ仕事用のデスクに座って肘をつき、左の拳を眉間に押し当てているだけなので物理的には頭を抱えていない事になる。『頭を抱えていた』というのはつまり奥村にとって吐き気がするような出来事が起こったという意味である。

 奥村弁護士の個人事務所は高田馬場にあり、一階に焼き肉屋を構えているビル三階の、八畳ワンルームのオフィスだ。
 現在オフィス内に居

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小説無題#14メキシコ料理店

小説無題#14メキシコ料理店

 「早く開けなさいよ、電話にも出ないし」
 ホテルの部屋の前には美幸が立っていた。すっぴんのまま髪を後ろで束ね、蛍光ピンクのUVカットパーカーと白のロングスカートを着て黄色いモンベルの登山用リュックを背負っている。美幸がダイビングに行く時のいつものスタイルだ。美幸はうつむいた柳の顔をじっと覗き込んでいたが柳が想像していたよりも怒っていない様子だった。
「ごめん寝てた」
 声が裏返り柳は軽く咳払いを

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小説無題#13過去の記憶

小説無題#13過去の記憶

 美幸は小さな頃から泳ぐのが好きだった。
 中学、高校と水泳部に所属し、医大の看護科に入った後も大学水泳部で日々真面目に練習し、大会ではなかなか良い結果を残した。大学二年の夏季休暇でダイバーのライセンスを取得してからは海に潜るようにもなった。そこで美幸はこれまで見たこともない様な美しい景色と海中を漂う大量の海洋プラスチックを目の当たりにしたのだという。その頃から美幸は環境保護活動を熱心に取組み始め

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小説無題#12ディープブルーの存在ついて

小説無題#12ディープブルーの存在ついて

 田中が去った後、柳は三本目の煙草を吸った。とても不味い煙草だ。柳は自分でも予感した通り既にトラブルに巻き込まれつつあるようだ。柳はつけたばかりの煙草を灰皿に投げ喫煙所を後にした。相変わらず外は清々しく晴れ渡っていたが、今となってそれは嘘のように見える。ターポリンシートで作られた張りぼての青空を破くと、その向こう側に先の見えない闇が広がっている。そんな気がした。
 
 柳はゲートラウンジのソファに

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小説無題#11ハンチング帽の男

小説無題#11ハンチング帽の男

 電車に乗った後も動悸が収まることは無かった。今頃店主の死体が発見され、中年女性は警察に通報しているに違いない。そして女性の証言から柳を重要参考人として捜査を進めるだろう。柳は品川駅で一度降り、量販店でマウンテンパーカーを買い、それまで着ていたウィンドブレイカーを脱ぎ捨てた。ズボンと靴も色味の違うものに着替え、ニット帽を脱ぎサングラスをかけた。キャリーケースは宿泊先まで郵送にした。
 どこまでこの

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小説無題#10昨日見た夢

小説無題#10昨日見た夢

 前日にちゃんと用意した甲斐もあって身支度にはそれ程時間が掛からなかった。冷たい水で顔を洗い、電子レンジを使って蒸しタオルを作り、それを頭に乗せた。元々寝癖が付きやすい体質ではあったので蒸しタオルには長いことお世話になったし、それが柳にとって儀礼的な意味も含むようになっていた。特に物事の節目など重要な局面では蒸しタオルを頭に乗せる事が験担ぎの儀式と化している。実際、初めからニット帽を被るつもりだっ

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小説無題#9真っ白な空間

小説無題#9真っ白な空間

 気がつくと柳は真っ白な空間に居た。その空間がどの程度の広さなのか全く検討もつかない。なんせ見渡す限り真っ白であり、かつ満遍なく光が行き届いているのか陰影も見当たらないのだ。見下ろすと自分の肉体はしっかりと確認出来る。しかし足は着地している感覚は無く身体は軽かった。試しに手足を動かすと何かしらの抵抗があり動きづらい。それはまるで水の中で動いている様だった。けれど息苦しくは無い(意識的に呼吸をしてみ

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小説無題#8死と眠りの違い

小説無題#8死と眠りの違い

 どのくらい時間が経ったのだろうか? 目を開けると辺りは真っ暗になっていた。柳は目を凝らして時計を見ると針は六時二十分を示している。もしや朝まで眠っていたのか? 柳は起き上がって窓へ寄り、目下に拡がる首都高を見下ろした。首都高速道路は交通機能が完全に麻痺している。大名行列の様な車列が下り方面へとゆっくり流れ、その始まりと終わりはここからだと見ることが出来ない。見慣れた帰宅ラッシュの風景だった。柳は

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小説無題#7クリスマス会

小説無題#7クリスマス会

 柳は何時からか美幸と交際関係になっていた。何時からという明確な境界線は無いのだが、関係性が決定的となった出来事はあった。それは大学一年目のクリスマスイブの夜に開かれた『クリスマス会』だ。この会は柳と美幸との間で立案された。共通の友人達も誘う話になっていたのだが、用事があるなどの理由で誰一人集まらず一時開催を取りやめようかという話にもなった。しかし友人達の後押しもあって結局は二人きりで行う事になっ

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小説無題#6入学式の日

小説無題#6入学式の日

 柳は九州でそこそこ名の知れた高校を卒業した後、上京して都内にある私立大学の医学部に入った。実家は決して貧乏では無かったし柳自身、学校の成績も悪くなかった。そんな柳は親の強い勧めもあり、医者になることが何時からか自身にとって夢と形容出来るものになっていた。
 大学の入学式の日、遅咲きの桜を横目に母親とキャンパスを跨いだ。せっかくのハレの日にも関わらず母は終始不機嫌そうに眉を寄せていた。後から聞いた

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小説無題#5リンスとボディソープを間違える

小説無題#5リンスとボディソープを間違える

 柳は自分の部屋にたどり着くと、着ていた服を丸ごと洗濯機に放り込み熱いシャワーを浴びた。風呂にゆっくりと浸かるつもりでいたのだが、先程の全力疾走のせいで冷えきった体も汗をかく程に熱を持ち、それでもなお熱い風呂に入ろうなどと自分に追い討ちを掛けるような気分には到底ならなかった。
 それにしてもさっきの出来事は一体なんだったんだ? 柳は髪に付けたシャンプーを泡立てながら考えた。ロシア帽の男は確かに追い

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小説無題#4逃走劇

小説無題#4逃走劇

 柳が店を出たのは午後一時過ぎだった。雨宿りも兼ねて立ち寄ったはずが、雨は目に見えて悪化していた。厚い雲が空全体を覆い、日中にも関わらず日暮れの様な薄暗さが立ち込めている。
 まるで日食のようだと柳は思った。古来より日食は凶兆とされている。柳のもとへも招かれざる『何か』が近付いて来ているのだろうか? もちろんこれは実際の日食では無い。しかし日食に準ずる示唆が隠されている気がしたのだ。柳はスマートフ

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小説無題#3無愛想な店主

 奥村弁護士は柳を自宅の最寄り駅までタクシーで送ってくれた。柳はタクシー代として多めに奥村に現金を手渡し、手短に感謝を述べてタクシーを見送った。
 空は相変わらず雨足を強めており、柳は傘を持ってきて無かった。無理も無い今朝は大寝坊をかまし、公判に遅刻したのだ。悠長に天気予報を見る時間など柳には無かった。それでも彼には急いで出廷する理由があった。妻が傍聴に来てるかも知れないと思ったのだ。ただ何となく

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小説無題#2タクシーに揺られながら

外は、冬特有のどんよりした曇り空が広がっていた。雲が薄く伸びて太陽をさえぎり、灰色の街はより灰色の街として此処に存在している。柳にはそれがこの世の出来事であるのかさえ分からなかった。時折り聞こえる鳥の鳴き声だけが柳の心を和らげてくれた。世界はそうやって均衡を保っているのかも知れない。
 東京高等裁判所を後にして、柳は奥村弁護士と共にタクシーに乗り込んだ。保釈されて以降、柳は人混みを避ける様になって

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小説無題#1ある男の裁判

——男は傍聴席を睨んでいた——
 男の目には見たものを石にしてしまう程の鋭さがあった。眉間に皺が寄り口元はへの字に結ばれている。優雅に寝癖を整える余裕など無かったのだろう。強風に煽られたかのように髪が吹き荒れている。男は確実に、そして激く何かを要求していた。もし仮に誰かがこの男と目が合ったのなら、その人は決して見なかった事にして通り過ぎる訳にはいかなくなるだろう。
 しかし視線の先には誰も居なかっ

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