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読んだ本についてあれこれ語るマガジン

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#小説

コンラッド「闇の奥」(1899年)

コンラッド「闇の奥」(1899年)

映画「地獄の黙示録」の原作として有名な作品。あの映画が好きな人はこの本も好きになると思う。

本書は「私」が「マーロウ」から話を聞くというスタイルをとっている。
マーロウはコンゴの川を船で移動してクルツという人物に会いにいったときのことを語る。
wikiを見ると、コンラッド自身「1890年にベルギーの象牙採取会社の船の船長となって、コンゴ川就航船に乗り[5]、さらに陸路でレオポルドヴィル(キンシャ

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紫式部「謹訳『源氏物語2』」(1008年頃)

紫式部「謹訳『源氏物語2』」(1008年頃)

2巻では源氏の君の18歳から25歳までを扱う。
この巻では、有名な車争いや、その後葵上が六条御息所に呪い殺されるエピソードなどがある。また、幼女だった紫上が成長し、源氏の妻となる。
また、桐壺院が亡くなり、朝廷の勢力図が変わる。右大臣家が権力を持つようになり、左大臣家側である源氏も抑圧される日々を送る。
源氏の女遊びばかりだった印象の1巻に比べて、きちんと物語が展開しはじめている。

まだまだ先は

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紫式部 『謹訳「源氏物語1」』(1008年頃)

紫式部 『謹訳「源氏物語1」』(1008年頃)

リンボウ先生の「謹訳」はとても自然な感じが読みやすくていい。紫式部の原文がどういうものなのか、というのはわからないのだが、まずは全文を通読したい、という人にはいいと思う。

最初のほうは物語の展開がゆるやかで、これが平安時代の時間間隔なのだろうかと思っていたが、夕顔という女性が何者かに呪い殺されるあたりから展開が面白くなる。

1巻は、源氏の誕生(桐壺)から18歳(若紫)まで。
絶世の美男子として

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バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

冒頭、風景描写や人物に関する説明が延々と続く。
この調子で最後までいくのではないかと不安になりはじめたころに物語がはじまる。そこからはどんどんストーリーが転がり、最後まで楽しめた。

1815年以降のパリ。
場末の下宿屋ヴォケール館に住む人々の中に、落ちぶれた製麺業者のゴリオ爺さんがいた。実は彼には二人の娘がいる。彼女たちが社交界で生き抜いていくために、ゴリオ爺さんは私財を投げうって支えているのだ

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「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

シリーズはまだまだ続くが、「砂の惑星」としては最終巻。

デヴィッド・リンチ版、ヴィルヌーヴ版の映画で散々観ているので、プロットに関してはすでに知っている。

この巻でハルコンネン男爵の甥であるフェイド=ラウサが登場する。
一方ポールは、フレメンの宗教的指導者となっていく。その過程で以前の部下であったガーニーと再会する。
力をつけたポールは、皇帝との最終決戦へと突き進む。

有名な作品なのですでに

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フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

ハルコンネン家の襲撃を受けて、アトレイデス家は壊滅的な打撃を受ける。
ポールとジェシカは戦いを生き延びて砂漠に逃れる。
フレメンと出会い、試練を経て、ふたりは砂漠の民に受け入れられる。
一方、ハルコンネン家には皇帝から調査が入ることになる。

ストーリーの大部分が砂漠や洞窟といった、フレメンの活動エリアで展開される。上巻のような大規模

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呉明益「自転車泥棒」(2018年)

呉明益「自転車泥棒」(2018年)

台湾の小説。
二十年前に失踪した父親。彼が乗っていた自転車が、息子である「ぼく」のもとに戻ってきた。「ぼく」は、その自転車が戻ってくるまでの物語を集めはじめる。
その旅は、ビンテージの自転車の、足りないパーツを集めるようなものだ。いくら修理し続けても、完璧な状態にはならない。

この小説は大量の断片によって語られる。
自転車のパーツ、父の自転車の所有者たち、彼らの物語。
そして主人公の人生。
こう

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山本周五郎「菊千代抄」(1950年)

山本周五郎「菊千代抄」(1950年)

菊千代抄を読んだ。
1945年に第二次世界大戦が終わった。
この小説が発表されたのは1950年。
小津安二郎の「東京物語」は1953年。
なぜここで俺「東京物語」を持ち出すのかというと、戦争を引きずった作品だからだ。
菊千代抄は、武家の物語だ。最近のトレンドであるLGBTがテーマでもある。
敗戦後、時代の空気は重かったのだろうか。もしくは、終戦後、ある種の開放感があったのだろうか。
菊千代が江戸に

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カフカ「審判」(1915年)

カフカ「審判」(1915年)

不条理というカテゴリーが適切かどうかという疑問はあるけれど、やはりカフカはおもしろい。

カフカ本人がモデルであろうKが、ある日突然訴訟に巻き込まれる。わけのわからないまま、Kは現実に対応しようとするが、そもそも理屈のわからないではじまった事態に、現実的に対応できるわけもない。

大雑把な骨組みをみると、これは「変身」や「城」にも似た構造なのがわかる。
カフカにとって現実は得体の知れない不気味なも

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ダロウェイ夫人(1925年)

ダロウェイ夫人(1925年)

これはおもしろかった。

いわゆる「意識の流れ」という手法を用いた小説。
登場人物が考えていることが、川の流れのように描写されていく。ある人物から別の人物へ、さらにまた別の人物へ。無関係な人物についても描写されているように感じるときもあるが、実は関係がある。

ストーリーの枠組みはシンプルだ。
朝、主人公のダロウェイ夫人ことクラリッサが、家を出てパーティ用の花を買いにいくところから物語がはじまる。

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ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引書」

ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引書」

なかなかよかった。

自分の人生をもとにしたフィクション、という位置づけなのだと思う。謝辞のページにブコウスキーの著書を出版していた「ブラックスパロウ」や、作家のバリー・ギフォードの名前が載っていた。ブコウスキーやギフォードの名前を聞いてわかる人は、本作の位置づけもざっくりとつかめると思う。

日本の作家だと、中島らもあたりが意外と近いのかなとも思う。あそこまでめちゃくちゃではないんだけど。

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あしながおじさん

あしながおじさん

名作として知られる作品だが、読んだことがなかった。
まず驚いたのは作者のジーン・ウェブスターが女性だったことをはじめて知った。男だと思っていた。

本作がおもしろいかどうかというと、本作の主人公であるジュディに感情移入できるか、もしくは本作のあしながおじさんのように、彼女の言動を楽しめるか、という点だと思う。小生はどっちにも乗っかれなかった。翻訳者が楽しんでいるのはわかるのだが、その楽しさを共有で

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車輪の下で

車輪の下で

おとなは、子どもに過度の期待をすることでつぶしてしまうこともある。
教育とはかならずしも人間を幸せにはしない、という感じの小説。
名作と呼ばれるだけあって、説得力がある。
教育に疑問を感じている人は納得するかもしれない。

パパ・ユーア クレイジー

パパ・ユーア クレイジー

なかなかよかった。
サローヤンが自分の十歳の息子の視線を借りて、父親との生活を描く。
十歳の子どもがこんな会話をするだろうか、という印象だが、アメリカではそうなのかもしれない。むしろ大切なのは、物事にたいして自分なりの視点や考えを持つということで、そうすることによって自分なりに世界を見つけていくことができる。その過程とは、ディスカッションを大切にするアメリカという国の教育そのものなのかもしれない。

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