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読んだ本についてあれこれ語るマガジン

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紫式部「謹訳『源氏物語2』」(1008年頃)

紫式部「謹訳『源氏物語2』」(1008年頃)

2巻では源氏の君の18歳から25歳までを扱う。
この巻では、有名な車争いや、その後葵上が六条御息所に呪い殺されるエピソードなどがある。また、幼女だった紫上が成長し、源氏の妻となる。
また、桐壺院が亡くなり、朝廷の勢力図が変わる。右大臣家が権力を持つようになり、左大臣家側である源氏も抑圧される日々を送る。
源氏の女遊びばかりだった印象の1巻に比べて、きちんと物語が展開しはじめている。

まだまだ先は

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ベルトルト・ブレヒト「三文オペラ」(1928年)

ベルトルト・ブレヒト「三文オペラ」(1928年)

ネットで「ブレヒト」を検索すると「ブレヒト 異化効果」という検索候補が出てくる。「異化効果」は知っているが、「ブレヒトと言えば異化効果」というほどのものだとは知らなかった。

そして、「三文オペラ」にも異化効果が仕込まれているという。
自分は全然わからなかった。このあたりは、知性と教養を身に着けることと、思考力を深めていく過程で、世界に対する解像度をあげていく必要がある。そういうことをやっていると

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紫式部 『謹訳「源氏物語1」』(1008年頃)

紫式部 『謹訳「源氏物語1」』(1008年頃)

リンボウ先生の「謹訳」はとても自然な感じが読みやすくていい。紫式部の原文がどういうものなのか、というのはわからないのだが、まずは全文を通読したい、という人にはいいと思う。

最初のほうは物語の展開がゆるやかで、これが平安時代の時間間隔なのだろうかと思っていたが、夕顔という女性が何者かに呪い殺されるあたりから展開が面白くなる。

1巻は、源氏の誕生(桐壺)から18歳(若紫)まで。
絶世の美男子として

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バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

冒頭、風景描写や人物に関する説明が延々と続く。
この調子で最後までいくのではないかと不安になりはじめたころに物語がはじまる。そこからはどんどんストーリーが転がり、最後まで楽しめた。

1815年以降のパリ。
場末の下宿屋ヴォケール館に住む人々の中に、落ちぶれた製麺業者のゴリオ爺さんがいた。実は彼には二人の娘がいる。彼女たちが社交界で生き抜いていくために、ゴリオ爺さんは私財を投げうって支えているのだ

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「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

「デューン砂の惑星 下巻」(1965年)

シリーズはまだまだ続くが、「砂の惑星」としては最終巻。

デヴィッド・リンチ版、ヴィルヌーヴ版の映画で散々観ているので、プロットに関してはすでに知っている。

この巻でハルコンネン男爵の甥であるフェイド=ラウサが登場する。
一方ポールは、フレメンの宗教的指導者となっていく。その過程で以前の部下であったガーニーと再会する。
力をつけたポールは、皇帝との最終決戦へと突き進む。

有名な作品なのですでに

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ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

ようやく全8巻を読み終えた。
ハイデガーの構想としては第2部まで続く予定だったらしい。
いずれにせよ、ここで一区切りということにはなる。

本書では引き続き時間のことを中心に考察が続く。
訳者の中山元による詳細な解説を頼りに読み進めてきたが、それでも理解できたとは言い難い。ただ、それでも自分の頭であれこれ考える時間を持つというのは大切なことだ。

自分が理解できた(もしくはこうだと思った)範囲で書

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フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」中巻(1965年)

ハルコンネン家の襲撃を受けて、アトレイデス家は壊滅的な打撃を受ける。
ポールとジェシカは戦いを生き延びて砂漠に逃れる。
フレメンと出会い、試練を経て、ふたりは砂漠の民に受け入れられる。
一方、ハルコンネン家には皇帝から調査が入ることになる。

ストーリーの大部分が砂漠や洞窟といった、フレメンの活動エリアで展開される。上巻のような大規模

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ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

時間をメインとした考察が続いている。

用語も含めて難解な部分が多い。それでも自分なりに考えながら読み進めてきた。
哲学に詳しい人や賢い人がどのようなコメントをするかはわからないが、今になってようやくわかりかけてきたのは、本書は人間が本来の姿に気がつくために、今までで常識としてとらえられてきた事柄を事細かに考察し、それが本当なのか主に存在と時間と言う対象について分析し、定義しなおしてきたということ

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テンプル・グランディン「ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界」(2022年)

テンプル・グランディン「ビジュアル・シンカーの脳: 「絵」で考える人々の世界」(2022年)

これはなかなかおもしろかった。

人は頭の中で考えるときに、文字で考えたり音声で考えたりするが、「ビジュアル・シンカー」は、絵で考える人のこと。
自分も頭の中に映像が浮かんで、それがどんどん連想していくということがよくあるので、以前から「人はどうやって思考するのか」というのは興味があった。

小説家の森 博嗣がエッセイで「映像で考える」と書いており、自分に似た人がいるのだと思った。自分の場合は、彼

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呉明益「自転車泥棒」(2018年)

呉明益「自転車泥棒」(2018年)

台湾の小説。
二十年前に失踪した父親。彼が乗っていた自転車が、息子である「ぼく」のもとに戻ってきた。「ぼく」は、その自転車が戻ってくるまでの物語を集めはじめる。
その旅は、ビンテージの自転車の、足りないパーツを集めるようなものだ。いくら修理し続けても、完璧な状態にはならない。

この小説は大量の断片によって語られる。
自転車のパーツ、父の自転車の所有者たち、彼らの物語。
そして主人公の人生。
こう

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谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1939年)

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1939年)

なかなかおもしろい。

エッセイ集であり、表題にある「陰翳礼賛」をきっかけに「適切」とはなにかを探るエッセイが並ぶ。

「陰翳礼讃」は文字通り「暗さ」についてのエッセイ。
日本の建物は以前は暗くて、それがよかったのだという。
古い料亭で、電気を使わずに、薄暗い灯りの中で食事をするのがよいという。
日本の場合、器や、食べ物そのものが、手元もよく見えないような明るさの中で楽しむようにできているだそうだ

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ハイデガー「存在と時間6」(1927年)

ハイデガー「存在と時間6」(1927年)

いよいよ時間についての考察がはじまるようだ。
その一端として、人間にとっての「死」についての考察がある。
人間の一生を時間としてとらえると、「死」は時間の終わりということなのだろう。
なお、ハイデガーは人間の死と他の生物の死を区別しており、生物の死を「落命」としている。人間の死については解説において、ハンナ・アレントの言葉が引用されている。つまり、人が完全に死ぬということは、故人のことを誰ひとりと

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フロイト「精神分析入門 下巻」(1917年)

フロイト「精神分析入門 下巻」(1917年)

上巻は夢判断に関する話題だった。
下巻は神経症に関する話題がメインとなる。

読んでいて思った。
夢判断も神経症の発作も、人間の内面にあるドロドロしたものが形を変えて表に出てきたものだ。
フロイトの講義は基本的に、他者とのかかわりあいにおいて出てきた症状について話している。
そう、他者の存在が前提になっている。
そのポイントをさらに踏み込むと、フロイトがこの本を書いたのも、誰かが読むから書いたので

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 鈴木祐「YOUR TIME ユア・タイム: 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術」(2022年)

鈴木祐「YOUR TIME ユア・タイム: 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術」(2022年)

これはなかなか良かった。
現代人は生産性を求められ、常に時間に追われている。
そして、生産性を上げてタスクを達成しても、タスクはなくならないし、思ったほどの効果はあげられない。

そんな現実を踏まえながらも、著者はいくつかの時間の使い方を紹介する。人によって適した時間の管理の仕方がある。

著者は、時間の有効活用を肯定しているわけではない。むしろ、人間が人間らしく生きるということがすばらしいのだと

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