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紫式部 「謹訳『源氏物語3』」(1008年頃)

源氏の君の26歳から31歳までを扱う。
この巻では源氏が都落ちして数年間須磨に住むところから、ふたたび都に戻ってきて、以前以上の地位につくところまでを描く。

島流し的なシチュエーションでも源氏はモテて、明石の入道の娘、明石の君に出会う。
なぜ源氏はかくもモテるのか。容姿端麗で頭脳明晰、音楽や絵画の腕前も玄人はだし、ホスピタリティもぬかりなし、ということで今のところ触れられていないのは武術くらい。腕っぷしの強さは、貴族のたしなみとしては必要とされていなかったのかもしれない。

このような条件がそろっているので源氏がモテるのは当然として、なぜ紫式部は源氏をこのようなキャラクターとして設定したのだろうか。
この問いの真相は確かめようがないが、死別した夫を源氏に重ねたのかもしれないし、他の理由があったのかもしれない。

思うに、源氏のような人物がいることによって、周囲の人間はいわゆる普通の状態ではなくなる。そう考えると、「源氏物語」は一種の「未知との遭遇」なのではないかとも思う。通常ではありえない人物との出会いによって、普通の人々がなにを思い、どう行動するか、ということを膨大なキャラクターを登場させつつ描いているのではないか。

これは単なる思いつきだし、それならなぜ源氏の心情描写以上に周囲の人間の心情を描写しないのか、といった疑問に対する回答もできない。
ただ、作者が1,000年前の人間であったとしても、源氏がリア充、チート、そういった要素を満たしすぎているという感覚は持っていたのではないかとは思う。

こう書いてはみたものの、本書では、庶民は「なにを言っているのかわからない」というほど別世界の生物として描かれている。そう考えると、1,000年という年月の隔たりというよりは、シンプルに身分の隔たりとして紫式部と自分の感覚は違っているのかもしれない。つまり、源氏がチートだとかリア充だという設定だとは思っていないのかもしれない。これもまた確認のしようがないのだが。

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