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谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1939年)

なかなかおもしろい。

エッセイ集であり、表題にある「陰翳礼賛」をきっかけに「適切」とはなにかを探るエッセイが並ぶ。

「陰翳礼讃」は文字通り「暗さ」についてのエッセイ。
日本の建物は以前は暗くて、それがよかったのだという。
古い料亭で、電気を使わずに、薄暗い灯りの中で食事をするのがよいという。
日本の場合、器や、食べ物そのものが、手元もよく見えないような明るさの中で楽しむようにできているだそうだ。
西洋はなんでも明るくしてしまう。そして、日本もその影響を受けて、当の西洋人が驚くくらいになんでも明るくしてしまった、と嘆く。

西洋人が明るさを好むかどうかという話については、聖書において神が天と地を作られて、そのあとで「光あれ」と言われたという描写があるし、ギリシャ神話でもプロメテウスが人間のために火を盗む。そう考えると、西洋人は明るいのが好きなのかな、と思う。

他のエッセイでは、口語体や「のである調」と命名した文体のことなども語られている。また、西洋の文章はなんでも説明するから、それを翻訳するとやたらと事細かくていけないという。日本語には向かないそうだ。
建物の陰翳にも通じるものがあって、すべてをさらけ出すのは美しくないということなのだろう。
文体へのこだわり、もしくは敏感さといったものは、さすがだ。このくらいのこだわりがあるからこそ、超絶技巧的な句読点の使い方をしている「春琴抄」のような作品が書けるのだろう。
ただ、平安時代の文章も口語体であり、当時の人は実際にああいう文章と同じ口調で話していたのだろうと書いてあるくだりは、ちょっと首をかしげた。

人づきあいについても、もはやあまり交友関係を広げたくないと語る。
大阪の暑さや、それに適した生活のことなども。

角川ソフィア文庫で読んだのだが、「解説」がおもしろい。
本作で「陰翳」への礼賛を熱っぽく語りながら、実際には谷崎は明るい間取りの家を建てたりもしていて、かならずしも本書に即した生活を送っていたわけではないようだ。種明かしを見ているようで、最後まで楽しめた。

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