マガジンのカバー画像

ぼくゼロ監督と母の往復書簡

32
『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 〜空と木の実の9年間〜』監督の常井美幸です。これから、主人公のお母様の小林美由起さんと、9年間のできごとを振り返っていくエッセーを始めます。同じで…
運営しているクリエイター

#LGBT

フルモデルチェンジ

緩和休題続きます…。私はオーガニックな方法で花や野菜を自分で作りながら、プラントベース(野菜中心)の食事をしています。バスケットづくりなどの手仕事も大好きです。今日はなぜ私がそんな生活をするようになったかのお話。

7年前、久しぶりに晴れた、日曜日の昼下がりのことです。
体はとても疲れていたけど、この庭仕事日和の天候を逃すまいと、草取りをしていました。クリスマスローズが植わった、大きな植木鉢を動か

もっとみる

母から監督へ。その14(我が子の胸オペ)

ここ数回は、とこちょ。とくみちょ。の生い立ちや美由起と美由紀とみゆきと美幸についてと続き、先週はとこちょ。からくみちょ。への質問にお答えしました。
さて、今週はまたぼくゼロ完成までのあれこれに戻ります。

前回は、自宅ロケのお話しをしました。
主人公の胸オペ前日の自宅ロケで、映画のタイトルにもなった「ゼロ」という言葉が主人公の口から出たんです。
『自分は今、マイナスにいるからプラスに行くにはまずゼ

もっとみる

監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸その2

映画「ぼくゼロ」を観てくださった方からよく、「一番大変だったことは何ですか?」という質問をいただきます。その答えには4人のミユキが大きく関わっています。

2012年、小林空雅さんとその母、美由起さんを撮影中に、ふと芽生えた映画化への夢。でもそれは「自分の無能さとの対峙」の始まりでもありました。ひとりじゃ何もできないと思っていました。私には映画を監督するだけの能力があるとは全く思えなかったからです

もっとみる

監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸。

前回、くみちょ。が、「生きてきた道のりが私の世界とは全く異なることを知った」と書いてくれましたが、こんなに異なる生い立ちをもつ2人の「ミユキ」が出会って、いまは同じ目的のもとに共に向かっていること、本当に不思議です。

美由起と美由紀とみゆきと美幸。『ぼくゼロ』はここから始まりました。今日は「ミユキ」のお話をさせてください。

美幸こと私が性別のことに疑問をもったのが2010年。当時、性別に違和感

もっとみる
イギリスに導かれた人生 My Dear UK

イギリスに導かれた人生 My Dear UK

前回、辛かった中学校時代を支えてくれたのは、イギリスの音楽だったことを書きました。私が高校に入った80年代初頭のミュージックシーンは「第2次ブリティッシュ・インベイジョン」と呼ばれていて、イギリス勢がアメリカのヒットチャートの上位を独占していた時代。私はイギリスのビジュアル系ポップバンドの音楽を夢中で聴きまくっていました。特にミュージックビデオが大好きで、深夜に放送されていた洋楽ヒットチャートの番

もっとみる

監督から母へ その9 「自分をマイノリティと思って生きること」

前回と前々回、くみちょ。がご自身の「生い立ち」について書いてくださいました。数奇とも壮絶とも表現できるかもしれないその生き様を、私は一気に読むことができなくて、ときどき文章から目を離して、自分の感情をリセットしながら読み進めました。

くみちょ。がなぜ性別違和や発達障害のあるお子さんを、すんなりと受け入れ、葛藤なく笑って生きてこれたのか、その秘訣が少しずつ明らかになってきたように思います。そしてこ

もっとみる
母から監督へ その6(前編)

母から監督へ その6(前編)

禁断の自宅ロケ!

テレビカメラの前で、話しをするという事は、
一生の中で、滅多にある事ではないと思いますが、
その滅多にない経験を、自宅ロケという形で
経験させていただきました。

監督の投稿にも書いてあった通り、
NHKワールドで2回、空雅を取り上げていただき、
国内番組で紹介してもらう事になりました。

なんと、NHK総合「おはよう日本」です。
NHKワールドでは5分弱でしたが、おはよう日本

もっとみる

監督から母へその6

「禁断の自宅ロケ」

2010年のこと。「性別に違和を覚える子供たちが、小中学校で辛い思いをしている」その現状と課題を伝えるニュースリポートを作りたいと、NHKワールドに提案をしたとき、耳を傾けてくれるプロデューサーは少なく、とても苦労しました。

それから2年後の提案は、打って変わってとんとん拍子に進みました。2012年9月、まずNHKワールドにて、ニュースリポートを放送することができました。さ

もっとみる

母から監督へ。その5

リレーエッセイ10回目

前回、監督が最後に書いていたこと。

『映画を見てくださった方から、よくこういう感想をいただきます「空雅さんは良い高校に行ったんですね。良い友人に恵まれたんですね」

私からみるとそうではありません。自分をまっすぐに生きる姿勢や、自分のことをオープンにする直向きさが、学校やお友達を変えていったように思います。』

このように書いてくださっていました。今回は、空雅が自分をオ

もっとみる

監督から母へ。その5

前回は、高校時代の空雅さんの変化する様子をくみちょ。が語ってくれました。「入学後すぐにカミングアウトして、友達もできアルバイトをする中でずいぶん明るくなりました。」とあります。

映画の中で一番好きなシーンはなんですか?と聞かれることがあります。私は「高校のお友達とのシーンです」と答えます。

「男とか女性じゃなくて、空雅は空雅だから」

「性別は空雅でいいんじゃないですか?」

お友達は、空雅さ

もっとみる

母から監督へ。その4

リレーエッセイ くみちょ。より

前回のリレーエッセイで、監督(とこちょ。)が、空雅を描く映画に撮りたい!と思ったきっかけを語ってくれました。

当時、とこちょ。は、いつか自分がプロデューサーになって空雅の映画を撮りたい、映画を作りたいと語ってくれました。
どのような形になるのか、内容になるのか?全く見えていない状態でしたが、とこちょ。の夢として私たち親子に、語ってくれました。
その夢を応援したい

もっとみる

監督から母へ。その4

前回のリレーエッセイで、空雅さんのお母さん「くみちょ。」が、空雅さんの15歳から17歳の変化の謎を解いてくれました。

私にとっても、いたいけな少年から思春期の男の子として成長したんだという確信は、空雅さんが700人の前で自分のセクシュアリティをカミングアウトした弁論大会のあとに訪れました。

2年前には母親の影に隠れるような素振りだったのに、今回母親には、自分の晴れ姿を見られたくないから大会には

もっとみる

母から監督へ。その3

前回のリレーエッセイで、監督「とこちょ。」は、15歳から17歳になった空雅の変化に驚いていました。
しっかりと自分の言葉で思いを伝える姿に、びっくりされたようでした。
2年間どのように過ごしていたのか?という事を、お伝えしたいと思います。

とこちょ。と初めて会った時の空雅はとても、照れ臭そうでしたし。
人見知りがあり、いつもより大人しかったように感じます。
ロケの時も声も細かったかもしれませんね

もっとみる

監督から母へ。その3

前回のリレーエッセイで、くみちょ。は、「初めてのロケで、教室で頬杖をつき、窓の外を眺めるシーンの映像を見て、親バカですが『なんて絵になるんだろう!』と思った」と書いてくれました。

私もあのとき、思いは全く同じでしたーー「なんて絵になるんだろう」。このときの映像が、のちのち映画になったときのキービジュアルになります。映画は、このときにすでに始まっていたのかもしれません。

でも、もともと映画を作ろ

もっとみる