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#LGBT
母から監督へ。その14(我が子の胸オペ)
ここ数回は、とこちょ。とくみちょ。の生い立ちや美由起と美由紀とみゆきと美幸についてと続き、先週はとこちょ。からくみちょ。への質問にお答えしました。
さて、今週はまたぼくゼロ完成までのあれこれに戻ります。
前回は、自宅ロケのお話しをしました。
主人公の胸オペ前日の自宅ロケで、映画のタイトルにもなった「ゼロ」という言葉が主人公の口から出たんです。
『自分は今、マイナスにいるからプラスに行くにはまずゼ
監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸その2
映画「ぼくゼロ」を観てくださった方からよく、「一番大変だったことは何ですか?」という質問をいただきます。その答えには4人のミユキが大きく関わっています。
2012年、小林空雅さんとその母、美由起さんを撮影中に、ふと芽生えた映画化への夢。でもそれは「自分の無能さとの対峙」の始まりでもありました。ひとりじゃ何もできないと思っていました。私には映画を監督するだけの能力があるとは全く思えなかったからです
監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸。
前回、くみちょ。が、「生きてきた道のりが私の世界とは全く異なることを知った」と書いてくれましたが、こんなに異なる生い立ちをもつ2人の「ミユキ」が出会って、いまは同じ目的のもとに共に向かっていること、本当に不思議です。
美由起と美由紀とみゆきと美幸。『ぼくゼロ』はここから始まりました。今日は「ミユキ」のお話をさせてください。
美幸こと私が性別のことに疑問をもったのが2010年。当時、性別に違和感
イギリスに導かれた人生 My Dear UK
前回、辛かった中学校時代を支えてくれたのは、イギリスの音楽だったことを書きました。私が高校に入った80年代初頭のミュージックシーンは「第2次ブリティッシュ・インベイジョン」と呼ばれていて、イギリス勢がアメリカのヒットチャートの上位を独占していた時代。私はイギリスのビジュアル系ポップバンドの音楽を夢中で聴きまくっていました。特にミュージックビデオが大好きで、深夜に放送されていた洋楽ヒットチャートの番
もっとみる監督から母へ その9 「自分をマイノリティと思って生きること」
前回と前々回、くみちょ。がご自身の「生い立ち」について書いてくださいました。数奇とも壮絶とも表現できるかもしれないその生き様を、私は一気に読むことができなくて、ときどき文章から目を離して、自分の感情をリセットしながら読み進めました。
くみちょ。がなぜ性別違和や発達障害のあるお子さんを、すんなりと受け入れ、葛藤なく笑って生きてこれたのか、その秘訣が少しずつ明らかになってきたように思います。そしてこ
母から監督へ その6(前編)
禁断の自宅ロケ!
テレビカメラの前で、話しをするという事は、
一生の中で、滅多にある事ではないと思いますが、
その滅多にない経験を、自宅ロケという形で
経験させていただきました。
監督の投稿にも書いてあった通り、
NHKワールドで2回、空雅を取り上げていただき、
国内番組で紹介してもらう事になりました。
なんと、NHK総合「おはよう日本」です。
NHKワールドでは5分弱でしたが、おはよう日本