母から監督へ。その5

リレーエッセイ10回目

前回、監督が最後に書いていたこと。

『映画を見てくださった方から、よくこういう感想をいただきます「空雅さんは良い高校に行ったんですね。良い友人に恵まれたんですね」

私からみるとそうではありません。自分をまっすぐに生きる姿勢や、自分のことをオープンにする直向きさが、学校やお友達を変えていったように思います。』

このように書いてくださっていました。今回は、空雅が自分をオープンにありのままに生きてきた様子を、母の視点からお伝えします。

映画では語られていない小学生低学年の空雅は、自分のことを「おれ」と呼び、お友達を「お前」と呼ぶ、やんちゃな子供。毎日、泥だらけ、傷だらけ、あざだらけで遊んでいました。
「虐待していると思われるから、あまりあざを作るな」なんて冗談を言っていたくらいです。
洋服や文房具を買いにお店に行くとボーイズコーナーへ直行していました。
私は本人が好きな物を買ってあげるのが一番いいと思っていたので、
「女の子なんだから」とか「それはおかしい」というような事は、一切、口を出しませんでした。否定する事なく見守っていました。そして、ぬいぐるみが好きで、手芸やお菓子作りも大好きだったんです。

全学年ひとクラスの団地の中の小学校で、クラスメイトの性格や個性を知っているし、友達の親御さんも顔を知っていて親戚みたいな感覚でした。

中学生の時にカミングアウトした時も、空雅はそれまで通り何も変わらずでしたし、周りの人も今まで通りに性同一性障害というものではなく、空雅として接してくれました。本当にごく自然に。
例えば、セーラー服から学ランになった空雅を見た友達やママ友は、
「しっくりくる」「こっちの方が似合ってる」と笑っていました。
立ち振る舞いも、今まで通り自然体。
世間でよく言われる「男の子っぽい」(そもそもそれもおかしい定義)動作とか歩き方をすることもなく、今まで通り。今までも大股で歩いていたし、とにかく「俺」「お前」だったので。
(名前だけは女の子っぽくない名前に改名しましたけどね)

高校生になっても、そのまま自然体で過ごし「空雅」という人間として接してくれるお友達にも恵まれて、毎日が楽しそうでした。

今、思い返しても空雅はいつもありのまま。周りがどう変化しても変わらず自分らしく歩いているように思います。

ひとりだけ態度が変わった人がいました!
それは空雅の姉です。空雅を「妹」と思っていた時は、当たりが強く衝突することもあったのですが、「弟」だと知った時から、なんだかものすごく優しくなりました。もともと仲は良かったのですが、さらにいい関係性になりました。

次回はとこちょ。にお願いします。

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