母から監督へ。その4

リレーエッセイ くみちょ。より

前回のリレーエッセイで、監督(とこちょ。)が、空雅を描く映画に撮りたい!と思ったきっかけを語ってくれました。

当時、とこちょ。は、いつか自分がプロデューサーになって空雅の映画を撮りたい、映画を作りたいと語ってくれました。
どのような形になるのか、内容になるのか?全く見えていない状態でしたが、とこちょ。の夢として私たち親子に、語ってくれました。
その夢を応援したいと、私たち親子は強く思ったんです。
そして、とこちょ。の夢が、いつしか私たちの夢にもなっていきました。
映画が完成するまで、必ずとこちょ。と私たちの夢を叶えよう!と、思い続けてきました。

空雅はいつでも、偽ることもなく、飾ることもなく、ありのままの自分でいます。
ドキュメンタリー映画を撮るのですから、構えることなくカメラの前でもいつでもありのままでした。
幼い頃から、ブレることなく、びっくりするほどそのままです。

前回のメルマガで、当時の私のインタビュー動画をご紹介しましたが、ご覧いただけたでしょうか?
気恥ずかしくなるほど若い自分の姿・・・・
でも言っていることはいつも同じだな〜と思いました。
私もブレていないんですね。ずっと同じ「自分らしく生きる」ことを応援しているんです。

さて、そんなブレない空雅ですが表現の仕方や行動は、いろいろ変化しています。
高校に入学した頃は、まだまだ人見知りもあり、常にマスクを着用している子でした。
入学後すぐにカミングアウトして、友達もできアルバイトをする中でずいぶん明るくなりました。
以前も書きましたが、ホルモンの治療を始めてから、どんどん活発になっているのを感じました。
変わった、変化したというのではなく、昔の空雅に戻ったという感覚です。
幼い頃の空雅は、本当に毎日泥だらけ、あざだらけになって遊んでいる活発な子供でしたから。
その頃は、性別にとらわれる事などなく意識する事なく、過ごしていたんです。

高校3年の1月。18歳の誕生日を迎えてすぐに乳房切除の手術を受けました。
ここは映画のネタバレですが・・・
ぼくゼロの映画でも、とても印象の強いシーン、前日との監督との緊張感あふれるあのシーン。
そして、手術、退院・・・・昨日のことのように覚えています。

定時制の高校に通っていたのでクラスメイトは4年で卒業が多かったのですが、空雅は初めから3年で卒業すると決めていました。
フレキシブルタイム制の学校だったので、3年で卒業できるように自分でカリキュラムを組みました。
卒業が近くなり進路を決めるとき、空雅はフリーターという道を選択したのですが、先生にお詫びをしたそうです。
「先生、すみません。進学率と就職率を下げちゃいますけど」って。
とても空雅らしいなと感じたエピソードです。

それでは、次号は監督(とこちょ。)にお願いします。

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