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(じぶん用)何度も読み返したい記事

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#思い出

ひそやかなバラの名前

ひそやかなバラの名前

30年ほど前のこと、関東近県で新しく誕生したバラに名前が公募され、参加したことがあった。

企画に関わる親しい友人に誘われての参加だった。主催はバラ園だったのか、愛好家の方だったのかよく覚えていないが、それほど大々的に行われたものではない様子だった。

そのバラは、こちらの昨日のつぶやきのものに少し似た雰囲気があった。(ヘッダーはつぶやきと同じ写真です)

色はこれよりも淡く、ほぼ白といってもいい

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また「すずき」を|魚介のおいしいレストラン@ミラノ

また「すずき」を|魚介のおいしいレストラン@ミラノ

義母の誕生日ランチに訪れたレストランでの続き。

前の記事で紹介したアンティパストのあと、プリモ・ピアット(第一の皿。リゾットやパスタなど)はパスして、セコンド・ピアット(メイン)へ。

絶対あるはず、と、ちらっとメニューを確認し即決したのは…

Branzino al sale=すずきの塩ロースト!嬉
(珍しく太字にしております)

もうひとり、家族の中に絶対このメニューを注文するだろう人がいる

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ピィと鳴かないピィ

ピィと鳴かないピィ

ときどき青空の一片がのぞくもののほぼ曇天、時々小雨という日が続く。
そんな中、元気に活動している鳥がいる。

カササギだ。
シャープな白黒に羽と尾の青が美しい。

鳴き声は「カシャカシャ」や「カチカチ」と形容されることが多いようだが、このあたりでよく聞くのはもっとダミ声というか、「ギャ、ギャギャギャ」といったイメージだ。

生涯を同じ相手と過ごす、いわゆる一夫一婦制をとると聞く。
冬のあいだから巣

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クリームソーダ、あの日の #『こりずに わるい食べもの』を読んで

クリームソーダ、あの日の #『こりずに わるい食べもの』を読んで

 千早茜さんの『こりずに わるい食べもの』を読んだ。

 千早さんは『しろがねの葉』で直木賞を受賞された作家さん。noteの連載で食にまつわるエッセイを読み、精緻な情景描写と淡々とした文章に引き込まれ、すっかりファンになった。

 私は人見知りならぬ作家見知りをする質で、文体やリズムに慣れるまで時間がかかるのだけれど、千早さんの文章はすっと入ってきて、すぐに馴染んだ。小説はもちろん、エッセイ集の『

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夜の片隅のメンチカツ

夜の片隅のメンチカツ

京都滞在中のある夜、ちょっと疲れて夕飯は近くで済まそうということになった。

ホテルのすぐそば、歩いて1分かからないところに小さな居酒屋があった。

入口はアルミサッシの引き戸、ガラスの部分にはいろいろ貼ってあって、ちょうど目隠しになっている。
赤ちょうちんと暖簾がなければ飲食店には見えない。
うん、こういうのもいい。

「ここにしよう」と戸を開けて、唸った。
店のサイズ感、カウンターの間取りが深

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一炉庵の水羊羹

一炉庵の水羊羹

関東甲信、東海、九州南部は梅雨明けしたとみられる、とのニュースがあった。

記録的な早さの梅雨明け、長い夏になるのだろうか。
豪雨や猛暑などによる被害がないことを願うばかりだ。

さて、今日は夏の好物のひとつを。

梅雨明けのころ、というと「一炉庵の水羊羹」が思い浮かぶ。
一炉庵は東京・文京区にある和菓子店だ。
近所に住んだ夏目漱石のお気に入りの店だったといわれている。

30年ほど前になるが、職

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よしかずの後ろ姿

よしかずの後ろ姿

小学4年に上がった春、「よしかず」と同じクラスになった。

4年生は4クラスというそれほど大きな学校ではなかったにもかかわらず、それまでよしかずのことを知らなかったということは、そのタイミングで転校してきたのかもしれない。

よしかずの左手には親指しかなかった。
親指以外の指4本だけでなく、手のひらもない。通常、手相のある部分がないのだ。手首の小指側から肘にかけても何十針もの傷があって、その部分は

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あの木戸とあの家と小石の思い出

あの木戸とあの家と小石の思い出

父の仕事の都合で、4歳の時に東京から北関東に引っ越した。
もう50年近く前のことだ。……「50年」という語感と実際の感覚の隔たりに驚く。

引っ越した先は木造の小さな平屋だった。
地続きに大家さんの住むさらに小さい家があった。大家さんは高齢のご夫妻で「山口さん」といったが、近所では「ご隠居さん」と呼ばれていた。
ご主人は丸い黒縁眼鏡をかけていてすらっと細身、奥さまは色白でふっくらした、女優の京塚昌

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「ホワイトデー」わら半紙に包まれていたもの

「ホワイトデー」わら半紙に包まれていたもの

ホワイトデーという習慣(商戦?)がちょうど始まったころ、昭和50年代の話である。

小学6年生のとき、バレンタインデーの直前に、お菓子作りが得意な友人のお母さんの企画で、友だち6人とチョコレート作りに挑戦した。
チョコレートをとかしてナッツやコーンフレークなどを混ぜ込み、丸めてデコレーションするといったもの(トリュフといっていた)だったが、なかなかの出来栄えにみな大満足だった。

ただ、問題は全員

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