「ホワイトデー」わら半紙に包まれていたもの
ホワイトデーという習慣(商戦?)がちょうど始まったころ、昭和50年代の話である。
小学6年生のとき、バレンタインデーの直前に、お菓子作りが得意な友人のお母さんの企画で、友だち6人とチョコレート作りに挑戦した。
チョコレートをとかしてナッツやコーンフレークなどを混ぜ込み、丸めてデコレーションするといったもの(トリュフといっていた)だったが、なかなかの出来栄えにみな大満足だった。
ただ、問題は全員チョコレートをあげたいような意中の人がいないということだった。
お父さん、そして兄弟のいる人はそれぞれにラッピングしたが、まだ残っている。
そこで、じゃあみんなで担任の先生にあげようじゃないか、ということになった。
篠田三郎似といわれていた先生は、年度の途中で苗字が変わった。
どうも大きな農家の婿養子になったらしい。地方ではこういうこともけっこうなニュースになる。
「みんなね、いやー、お見合いっていいものですよ」などと授業が脱線することもあり、幸せオーラ全開な先生だったが、教え子からのチョコレートもたいそううれしかったらしく、涙目で何度もありがとうと言ってくれた。
さて、1ヶ月後のホワイトデー。
授業が終わったあとの先生の様子がおかしい。
「ちょっとみんな待って」と小声で言って、教卓の陰でなにやらゴソゴソやっている。
もしかしてホワイトデーのなにかか?当時はキャンディーやクッキーと言われていた。
「えーと、今日はなんかホワイトデーっていうんだって?ちょっと大きいんだけど……」と、取り出したものは、わら半紙に包まれた物体だった。中身は箱ではなく袋に入っているものらしい。
たしかにかなりの大きさで、ずしりと重い。どうもキャンディーやクッキーではないようだ。
「本当は学校には持ってきちゃいけないものだから、おうちに帰るまで開けないでね」という言いつけを守り、家に帰ってから開けてみると………
なんと、それは1kg入りの「氷砂糖」だった。「果実酒に!」と大きく書いてある。
母とふたりで思わず「えー!?」と笑ってしまった。
まったくホワイトデーっぽくはなかったが、氷砂糖はとてもきれいだった。
先生はいまどうされているだろう。
もうだいぶ前に退職されているはずだが、大好きな奥さまとお元気で過ごされていることを願っている。
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