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夜の片隅のメンチカツ

京都滞在中のある夜、ちょっと疲れて夕飯は近くで済まそうということになった。

ホテルのすぐそば、歩いて1分かからないところに小さな居酒屋があった。

入口はアルミサッシの引き戸、ガラスの部分にはいろいろ貼ってあって、ちょうど目隠しになっている。
赤ちょうちんと暖簾がなければ飲食店には見えない。
うん、こういうのもいい。

「ここにしよう」と戸を開けて、唸った。
店のサイズ感、カウンターの間取りが深夜のあのドラマとほぼ同じなのだ。
ただ、マスター(こちらは大将と呼ばれている)は、同じく作務衣姿であるものの、かなり渋抜きをし、ちょっとつぶしてコロッと丸めた感じ。

さらに店は全体的に雑然としている。
そしてあのドラマとは違って白色蛍光灯が眩しい。

左側の壁には絵や御札やおみやげ物っぽいグッズ、そしてお品書きの短冊が画びょうで留められているコルクボード。

その反対側には物が所狭しと置かれ、天井からは「ハエ取りテープ」が。最後にこれを見たのはざっと45年前、たしか小学校の職員室の脇にあった給湯室だ。まだあるんだ…


さて、カウンターには先客が3人。

こういう店、どういうアプローチをしたらよいのか未知数であったが、普通に「えーと、2人なんですが…」と訊いてみる。

と、大将は「はいいらっしゃい」と人懐こそうな笑顔で迎えてくださった。
カウンターに座っている女性3人(2人組+1人)に、「ちょっとどちらかに寄って2つ分空けてよ」と頼んでくれて、めでたく仲間入りさせてもらえた。

どうもみなさん週に何度か来る常連さんらしい。
観光客、しかも外国人連れではどうか、と少しだけ心配になったが、すぐにそれは杞憂であるとわかった。

みなさん自分のスタンスはそのままに、かつ垣根を作らず自然体でいてくれる。

「飲みもの、なにお出ししましょ」
「生ふたつで!」
楽しい予感しかない。

何品か頼んでとりあえず一杯。(というか一杯しか飲まないのだが)
特に洗練されてはいないが、真っ当に作られた昭和の家庭の普段の食卓、そんな雰囲気がいい。

誰かが注文するものを「あ、こっちにも」とお願いするシーンも多々


すっかり打ち解け、テレビで流れる旅関連のクイズにああだこうだコメントしたり、地元民おすすめスポットを伝授されたりするなか、メニューに「メンチカツ」を見つけた。
そうだ、メンチカツ。特に好物というわけではないが、時々ふと食べたくなることがある。

小さいころ、母がポテトコロッケ派で、メンチカツが並ぶことはまずなかった。
そのせいか、大人になってもどこか注文するのに後ろめたい気がしていた。夫もおそらく母と同じ好みだ。

「えーと、じゃメンチカツ」
だからなにか?という雰囲気を漂わせて注文する。笑


ところが大将は「あぁぁ」と少し残念そうな顔をした。
「あのね、これ本当は2個セットなんだけど、今1個しか…」
大将の話にかぶせるように、隣の1人で来ている友(すでに友)が、「ごめーん!私がさっき1個だけ揚げてもらったの」と笑う。

「ひとつしかいらないってこの人わがまま言うからさ。明日定休日だから、少ししか仕込んでなくてごめんね。1個しかないけどよかったら」

かくして、その日最後のメンチカツがやってきた。おそらく10年ぶりぐらいだ。

夫と半分ずつ
マヨネーズがかかっている
マヨネーズを好まないところも夫と母は似ている


こうしているあいだに、2人組の1人が静かになったなと思ったら舟を漕ぎだした。
さっき自転車で来たって言ってたけど…
「だいじょうぶ、もうすぐ起きるから。いつもだいたいこうなの」
なかなかワイルドだ。

そこへまた女性が1人やってくる。きゅっと少しずつ席を詰めてカウンターへ招き入れる。
彼女もご近所さんで、老舗の若女将らしい。
「今日も忙しかったー!お腹すいた」と、お造りで一杯始める。あとでご主人も来るというので、私たちはそこでお暇して席を空けることにした。

「ありがとう、楽しかったです。今週もみなさんがんばって!」
「りょーかい!よい旅を!」


正直なところ、こういう店はちょっと苦手、という方も多いと思う。
私も最初は若干「うわ…」となった。

でも、「これが食べたい」と言って、それをそばで作ってくれる人がいる。
ここをホームとする人、一夜だけやってきて通り過ぎていく人、それぞれの物語を抱えながらお互いにさらっとエールを送り合う隣人のいたこの店に浸った時間を、私は人生の陽だまりのように感じている。


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