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#アメリカ生活
【35話】離婚への道「リスクを恐れず家を出よう」
一時は浮気相手の元へ走る思いもあったが、ゆっくり静かに火照りは冷めてきた。かと言って、この時点で夫と再び仲良しになり、人生を一緒に歩む自信もなかった。
昼間は間借りしているオフィスが唯一私の自由な居場所。そこは生活拠点ではないが、家に戻れば彼の支配圏となる。忙しいわけでもないのにオフィスに居る時間は長くなり、夕食も一人で机に向かってスナックを食べる毎日。ゴミ箱にはスナックの袋がいつも満杯になって
#12 離婚から立ち直れない、私の中の“エンプティー”
4月、私は人生最も悲しいイベントの為、日本へ一時帰国した。離婚の最終整理をしに夫が住む東京に一週間滞在した。この時、夫もまた真剣に付き合っている彼女がいた。ほぼ同居をしているにもかかわらず、私が滞在する2週間、彼女は私達を二人きりにしてくれた。私は、「なんという理解ある彼女なんだろう」と感動した。
夫は私が帰ってきたのをとても喜んでくれ、毎晩私が作る料理を喜んでくれたり、彼も私に料理を作ってくれ
#14 バレンタインデー:プロポーズの日
恋人達が愛を語り合うバレンタインデーの日、私は自分が受け持つタウン雑誌の3月号の取材原稿をかき集め、朝からバタバタと忙しくしていた。
この週、日本のある有名野球選手がサンフランシスコジャイアンツに入団した事もあり、寝ない日もあるくらい忙しかった。恋人同士にとって大切なバレンタインデーの日、約束のレストランに着替えと化粧道具を持ち込みで汗だくで駆け込んだ。それでも30分も遅刻してしまった。
それ
#18 人生2回目の結婚式「I DO」を交わす
彼から別れを引き止められた3日後、私は最終的に2度目の彼からの結婚の申し入れを受け入れた。
「ブライドになる」この喜びは女性なら誰でも共有できる、「女として生まれた最高の褒美」だと思う。彼のお嫁さんになる。輝く私。私は街にショッピングでかけ、「式に何を着よう」と考えたり、化粧品などを物色しながら高まる“ブライダルスピリット”を押さえられなかった。
2003年11月、私達は小さな結婚式をした。二
【27話】「悶々とした」結婚生活にターニングポイントが来る
結婚3年目。私はフリーランスになったにも関わらず、相変わらずバークレーの同じ事務所を借りていた。自宅には夫が一日中居るし、狭い家の中で24時間顔を突き合わせたくないというのもあったが、夫から指図されず、この事務所で過ごす間が私の唯一の「自由時間」だった。
この頃、「地球の歩き方」を始め、「まっぷる」、「ことりっぷ」、タビトモなど日本のガイドブックの現地担当として執筆していた。ガイドブックのクラ
【29話】「OCD」(強迫性障害)ーー夫の仮面が剥がれていく
あの事故から、私の心はどんどん夫から離れていった。夫婦生活を立て直そうとしても、次から次へと打ちのめされるような暴力的な「言葉」だったり「行為」があった。
かといって毎日が暗いわけではない。週末は彼が大好きなワイナリーに行ったり、高級レストランや週末はお決まりのカフェで朝ごはんを食べたり、ウォーキングをしたり、生活上は普通に見える。ただこれは週一回だけのこと。行き先はいつも彼が決めるし、旅行の計
セックスレス、会話レス、家庭内暴力、その先は?
「安定した仕事」を持ってなかった私は不覚にも深いジレンマに堕ちていた。パッションを持って仕事をしていたのに、仕事を辞めて彼との結婚生活の安定を選んだのだ。今更前のポジションには戻れない。
夫がOCDと分かってから「一緒にいてはいけない」という気持ちが強くなった。でも答えはいつも「独り立ちできない」という否定で終わっていた。「お金がなければ独立した生活は出来ないし、夫に支配されるだけ。どこへも行
【31話】夫に支配されていた「生活圏」から脱出する
そんな時通訳アテンドとしての長期出張は私にとって好都合だった。フリーランスになって始めての大きな収入となり、夫に支配されていた箱から自由な気持ちが蘇ってきた。「経済的自立」は私にとって最も必要なものだった。
私の仕事は「タービントップ」と呼ばれる、パワープラント(発電所)の要のタービンを取り付ける日本からの監督でエンジニアの付き添いだ。日本の大企業から派遣されるエンジニア達はほとんど英語が皆無で