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#15 愛が壊れる時


アメリカに帰って私達はケンカが激しくなった。婚約したら当然、その先にあるのは結婚。新しい二人の家を夢みるに私に対して、彼の綿密すぎて冒険できない、“小心者”の性格にイライラし始めた。数字を綿密に計算して100%自信が無ければ物事を進めないタイプだ。

私を「愛している」という彼の言葉とは裏腹に、具体的に何かを始めようとすると「進めない」「決定できない」で私の期待を裏切ってしまう。そんな私たちの低速走行は、未来の景色を阻む壁となって立ちはだかった。


同時に性格の不一致も浮き彫りになってきていた。理数科、現実的、理論派の彼と、文系、理想的、直感でものごとを判断する私は人間として全くの正反対。家を探したり、リモデリングや家具の配置など、大きなものは何一つ動かせなかった。「思い切り」のなさは裏返すと自信の無さだったのか、愛が足りなかったのか。イライラは募っていく。

私生活でも週末やバケーションは、彼が主導となり、もし失敗があっても(でも恐ろしくほとんどない)問題ないのだが、私がたまたま選んだ行き先やレストランが失敗したりするとたちまち彼の機嫌が悪くなった。恋人同士なら、「That’s OK」と言ってほしかったが、見逃してくれなかった。


夢と現実のギャップはどんどん広がっていった。

2003年、3月終わり、彼の家に引越しをした。私が部屋を借りていた家が売りに出る事になったのも理由の一つだった。もうこの7年、男性と一緒に暮らした事はない。ましてアメリカ人との生活はどのようになるのか皆無だ。でも私たちは婚約しているのだし、いずれは一緒に住む事になるんだと思えば「慣れていく」と自分に言い聞かせていた。環境を変えるのはすごく勇気がいった。


一緒に住み始めると、小さいケンカは益々増えた。例えば新しく買った電子レンジの置き場所や向き、私が彼の酒ボトルを棚に整理しただけで、怒鳴られるなど、洗い物、キッチン、洗面の使い方、一つ一つ物の置き方まで、注意をしたり怒鳴ったりされた。アメリカ人ってそんなに細かいのか、この人が特別なのか、わからなかった。本当の「彼」が見えてきた気がした。


たまには気晴らしに友達と会ったすると咎められた。彼は私の小さなウソに敏感になり、疑い深くもなっていた。何も言わずにソーシャルパーティーに外出した私の証拠写真などをメールで送りつけたり、私を苦しめていた。



最初の頃は、自分に欠点があるのだろうと言い聞かせていたが、「いっしょにいるって我慢することではないよ」と友達に言われた時、愛する意味を束縛に置き替えている彼に疑問を感じた。


前の夫の包容力や“本当の愛”を思って泣いた。比べるべきものではないのは分かっているものの、この“愛”の定義の違いにいつも過去の夫に感謝し、反省していた。夫に会いたくて話したくてしょうがなかった。


でも彼が再婚した新しい奥さんから、2人が連絡を取り合う事は禁止されいてたので私の”大親友”と話す事は許されなかった。そんな決まり事をちゃんと守る優しさもまた「彼らしいな」と愛情を感じた。


ここではもう誰も私の身は守ってくれない。引き返す部屋もない。ひとりでこの困難を切り開くしかなかった。愛しているのに、どうしてこんなに苦しいのか、どうしてもっと自然にフィットしないのか、これは本当に「トゥルーラブ」なのか、毎日のように悩んでいた。

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